📖 『悪の引用句辞典』(鹿島 茂)
……「できると思っていたこと」と「実際にできたこと」の巨大な落差に絶望的にならざるを得なかった……
人は安易に「できると目論み、できると広言する」。言うこととできることの埋まらない距離を何度も経験しながら、また同じことを繰り返す。面倒なことをするものだ。「わかっていることや語ること」と「おこなうこと」を同じにしてしまえばいいだけの話。有言実行や知合合一のほうがうんと楽なのに。
📖 『サピエンス全史 (下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ)
近代科学は「私たちは知らない」という意味の“ignoramus”というラテン語の戒めに基づいている。近代科学は、私たちがすべてを知っているわけではないという前提に立つ。
では、「私たちは知っている」と確信している場合はどうか。それは今知っているということであるから、将来、新しい事実が確信を覆すことがありうる。近代科学は基本的には異議申し立てによって成り立っており、知識の誤りを指摘し指摘されることを前提としている。今知っていることは、やがては「知っているつもりだった」と振り返ることになる。
📖 『知っているつもり 無知の科学』(スティーブン・スローマン/フィリップ・ファーンバック)
……私たちは自分の知識を過大評価する。つまり自分で思っているより無知なのだ。
「ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明せよ」と言われて、説明しようとしているうちに、思っているほどわかっていなことを知る。日常的によく接しているものについてほとんど知らないのである。自転車もそんな一つ。本書の表紙の帯には次の図と文がある。
絵の巧拙は別として、正答率50%とは、みんな想像以上に「知っている」と感心。しかし、苦し紛れに適当な絵を描くと、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られることになる。「あまり自転車に乗らない」とか「自転車を持っていない」とか言い訳するのは見苦しい。実際に何度も見て記憶してきたはずのイメージは、チェーンやペダルということばに比べて曖昧だということがわかる。