症状、所見、処方

〈はじめに〉
オフィスの通り一本向こうに内科・皮膚科・免疫のクリニックがある。七十半ばのドクターで、日本の医学部に学び大学の付属病院に勤務した後、スイスの研究機関と病院に長く従事した人だ。ぼくは某総合病院で検査と診察を定期的に受けているが、かかりつけ医がいなかった。アレルギー症状が出た2年前をきっかけにこのクリニックをかかりつけ医として利用し、総合病院の検査結果にセカンドオピニオンをもらうようにしている。

〈症状①〉
盆休みに入る前の朝、いつものようにストレッチをしていたら、右側の腹部から腰のあたりがヒリヒリ・ピリピリした。痛みと言うよりも、皮膚が引っ張られるような不快感。筋肉の深部や骨ではなく、皮膚に近い浅い所のような気がした。ストレッチをしても痛みはなく、触るとヒリヒリ・ピリピリする。ズキズキではない。じっとしていたら痛みはない。しかし、キモチ悪い。1週間様子を見たが、症状が変わらない。

〈所見と処方①〉
以上のような症状を舌足らずな表現で聞いてもらった。このクリニックは血液検査はしてくれるが、レントゲンやCTはないので、総合病院での検査の結果をそのつど渡している。先生はカルテを一部始終眺めた後に「とりあえず採血しましょう」と言い、3日後に結果を聞くことになった。症状が深刻ではないので、ひとまず神経痛(らしき痛み)を鎮める薬を飲んで様子を見ることになった。

〈所見と処方②〉
3日後。通常の血液検査の項目はすべて標準値内だった。しかし、先生の判断で追加したヘルペス抗体の項目の値が、通常2.0なのに対し、あっと驚く50.1だったのである。つまり、潜伏しているヘルペスの発症を抑えようとして、何かのきっかけで抗体が急激に増えたということだ。先に処方された鎮痛剤に代えて、「中枢神経系においてカルシウム流入を抑制し、グルタミン酸などの興奮性神経伝達物質の遊離を抑制することにより、過剰に興奮した神経を鎮め、痛みを和らげる薬」を処方してもらった。

〈症状②〉
週末を挟んで4日間朝夕の2回服用したが、先の鎮痛薬よりも目立った効果を実感できない。この1週間症状があまり変わらないと伝えた。

〈所見と処方③〉
「帯状疱疹の患者に、ある程度良くなった時点で処方する薬がある」と言って、先生は切り札を出した。

処方されたのは「ウイルスDNAの複製を阻害することにより単純疱疹、帯状疱疹、単純ヘルペスウイルスの増殖と感染症の発症を抑える薬」。朝昼晩それぞれ2錠ずつ、5日分。

〈現状〉
今朝までに6回服用した。ヒリヒリ・ピリピリが
信じられないほど見事に消え、違和感がまったくない。今朝もストレッチをしてきたが、何事もなかったかのように脇腹も腰もすっきりしている。さすが免疫専門の先生だと感心しきりだ。あと9回飲み切れば万全と思われる。しかし、正直言って、効能のメカニズムについてほとんどわかっていない。そんなこと知らなくてもいいのだろうが、「ウイルスDNAの複製を阻害することにより単純疱疹……云々」について週明けに少し詳しく聞いてみようと思っている。

厳暑の日々の二字熟語遊び

今日のテーマは「日」。日を含む二字熟語をつないでみた。ある日が次の日にリレーする。日は別の漢字とくっついて、様々な日々の様相を呈してくれる。〇△の二字を△〇にするだけで、これまで馴染んだ熟語に新しい顔と意味を見つけることがある。

日毎ひごと毎日まいにち
(例文)
「焼けつくような天気が毎日続きますねぇ。冷たいのが恋しい」
「ええ、日毎暑さがつのります。かき氷目指して甘味処によくお邪魔しております」

日毎と毎日の意味は同じである。日毎は、毎日のやや文学的な言い回しと思えばいい。「日ごと夜ごと退屈している」と「毎日毎晩退屈している」はニュアンスと印象がだいぶ違う。ところで、毎日新聞を日毎新聞としたら、記事の文体も変わるはずである。

日曜にちよう曜日ようび
(例文)
「遅まきながら、“日曜日”が上から読んでも下から読んでも“にちようび”だと先日気づいたよ」
「月火水木金土ときて、次の日をわざわざ日にしなくてもよかったのに……。“天曜日”がカッコいいと思う」

夏休みのような長期休暇中は毎日が日曜みたいなものだから、曜日の意識が薄まる。曜日は空海が唐の時代にわが国に伝えたと言われている。主として吉凶の占いが目的だった。今のような週と曜日が始まったのは太陽暦と週休制が導入された明治6年らしい。

中日なかび日中にっちゅう
(例文)
「大相撲の中日のチケットが手に入ったけど、行ってみるかい?」
「それはいいねぇ。日中の早い時間に行って序ノ口や序二段から観てみたい」

中日はドラゴンズのことではない。野球ではなく、大相撲の八日目を指す。また、興行期間の長い芝居の公演の真ん中の日も中日という。日中にも、日が高くのぼり始める午前10時頃から午後3時~4時までという慣習的な定義がある。

数日すうじつ日数にっすう
(例文)
「こんな内容だけど、受けてもらえるかな? できれば数日以内に……」
「いやあ、ちょっと無理です。そのお仕事なら、日数をいただくことになります」

数日は慣習的には34日、時に56日で、よほどのことがないかぎり、2日や8日、9日ではない。明確に何日とは言わないが、以心伝心的にはお互いが承知している。数日が短くて日数が長い感じがするから、「数日ほど日数をいただきます」は誤解を与える。


〈二字熟語遊び〉は二字の漢字「〇△」を「△〇」としても別の漢字が成立する、岡野勝志が発案した熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

イカとタコの食べ物考

『物語 食の文化 美味い話、味な知識』(北岡正三郎著)に次のくだりがある。(㊟ルビは岡野)

イカ(烏賊)は味が淡く甘味があり、脂気が少なくさっぱりしている。(……)イカはま、煮る、揚げる、焼く、漬ける、干す、いぶす、裂くなどあらゆる調理に向く。(……)イカは鮮度落ちが早いので、生食はごく最近まで水揚げ地近くに限られていたが、今は山奥でもいかそうめんが膳に上る。タコ(蛸)は欧米では悪魔の魚として食べないといわれるが、イタリア南部、ギリシア、スペインなどでは食べる。(……)

一部省略したが、イカとタコの記述する視点が異なっており、しかもイカのほうがタコよりも詳しい。勝手な解釈をするなら、タコに対するイカの優位性を感じさせる。ところで、イタリアでもスペインでもイカ料理は食べたが、タコ料理は食べていない。テレビでも見たし人からも聞いたが、ポルトガルのタコ料理がかなりうまいらしい。

本やインターネットの料理レシピを調べると、イカとタコを同時に・・・使う料理がおびただしく紹介されていて、正直驚いた。二つの具材を一緒に炊き込んだり、カルパッチョにしたり、揚げたり、アヒージョやパエリアにしたり……と何十ものレシピが出てくる。どのレシピも強引に併せている印象を受けた。

経験不足だと思うが、イカとタコが同じ器に盛られるのはチラシ寿司かにぎりの盛り合わせしか知らない。イカとタコは「対立」の関係ではないが、かと言って「協調」の関係でもないような気がする。イカとタコは対立も協調も相互補完もせず、優劣を競うこともなく、それぞれが独立性を保っている。たこ焼きのタコをイカでは代替できないし、イカソーメンが売り切れてもタコソーメンでは補えない。イカはイカであり、タコはタコであり、それぞれ固有の存在である。

イカは好物だが、タコも互角。これまで食べてきた料理を思い浮かべて列挙してみた。

【イカ料理】 関西風イカ焼き(チヂミに近い);いか飯;イカリング/フリット/イカ天;塩辛;イカと大根/里芋の煮もの;イカソーメン;活きづくり;イカ墨パスタ;カラマーリ(ガーリック風味の唐揚げ);スルメ/燻製;刺身/にぎり;カルパッチョ;イカとセロリの中華炒め、etc.
【タコ料理】 たこ焼き;ぶつ切り炒め/
ゆでダコの辛味炒め;おでん;たこ飯;カルパッチョ;唐揚げ;タコ酢;マリネ;パエリア;たこ煎餅;刺身/にぎり;サンナッチ(韓国料理のおどり食い)、etc.

どちらも魚でも貝でもなく、個性的な軟体動物なので料理に一部共通点はある。しかし、イカをタコに、タコをイカに変えると違う料理になってしまう。

盆休みの間に、イカならでは料理、タコならではの一品を食す機会があった。それぞれが食材の特徴をかなり上手に引き出した海鮮料理だと思う。

イカと野菜の葱油炒め(中華料理)
薄切り水ダコのカルパッチョ(イタリア料理)

レトロ・ロマン・モダンの広告文拝見

大阪くらしの今昔館で開催中の企画展『レトロ・ロマン・モダン、乙女のくらし』を見てきた。女性のファッション、化粧品のデザインとパッケージ、石鹸や生活雑貨、絵葉書・雑誌など、明治から昭和初期までのおびただしいコレクションが展示されている。

デザインもさることながら、かつて「引札ひきふだ」と呼ばれていた商品や店の広告チラシの文章を楽しませてもらった。知りもしない過ぎし時代を感じるのは当然だが、着眼と切り口、文案と表現のセンスの良さに感心した。

新規開店の喫茶店のチラシ

つかみのコピー、概要のコピー、本文のコピーを棲み分けして書いている。「人と話の出來る 喫茶 キューカンパ―」と店を紹介し、「新開店」であり「來易く氣安で高尚」な店だと訴求し、「喫茶と輕いお食事」ができると伝える。本文は、まるで小説か散文詩のようなタッチで綴られ、不思議な空気を醸し出している。

春です‥‥‥アスフアルトの街
路に流れる軽快な足どりの、
リヅムにあでやかな、薫香の
どよめきが踊つてゐます。春
です‥‥‥全ては芽ぐみのび立
つて享樂の階調にしたつてゐ
ます。紫の氣の立ちこめたコ
バルトの空に獨り立ちの翼を
ひろげて精一杯の呼吸をつい
た時たよりない力と希望のぞみから
を破つて巢立ちしたキユーカ
ンは皆様にお願ひいたします
キユーカンパー‥‥‥キユーカ
ンパー‥‥永しえに御引立てを

所々の旧字に味がある。二字熟語を使った「薫香のどよめき」も「享樂の諧調」も語感がいい。一瞬読み方に戸惑った「とこしえ」という、何とも大仰な言い回しが、今では逆に斬新だ。「春です‥‥‥」を二度繰り返す技を掛けられて、つい文章を読み進めてしまった。

もう一つユニークなコピーを見つけた。六個入り壹圓の石鹸。「五つの特色」と謳う。

芳香温雅
泡立良く
生地を細に
肌を荒さず
最後迄形体
崩れず。

ルビは次のように巧みに振ってある。

にほひやはらか
あわだちよく
きぢをこまかに
はだをあらさず
しまいまでかたち
くずれず

レトロとロマンとモダンの文章、思っていた以上に自由度が高く創作性が豊かである。

旧盆の仕事とランチ処探し

当社の得意先もそうだが、大企業の多くは810日㈯から18日㈰まで9連休を取っている。これに有給休暇を組み合わせれば12連続や半月ほども休みが取れる。海外へ出るなら長期休暇はありがたい。実際、スタッフが大勢いた頃は、春や秋に2年に一度のペースで半月ほど休ませてもらっていた。

遠出の予定を立てないので、夏場に長期で休むのは苦手だ。飛び石のほうがありがたい。今年も2日休んで、3日出て、3日休むという具合。出社の3日が13日~15日のドンピシャの旧盆になる。創業以来30有余年、夏は旅に出ていない。大勢の旅行客に出くわすのを避けて、旧盆の時期はなるべく仕事をするように調整してきた。

この時期、オフィス周辺は人が激減する。オフィスには電話がかからない、メールが来ない。フレックスタイムにしているので、一人の時もある。仕事の合間に読書したり文章をしたためたり、モールで買物をしたり、リラックスして瞑想したりと、マイペースな時間を謳歌する。

旧盆時の出社には一つの悩み事がある。行きつけの食事処が軒並み休みを取るのである。コンビニ弁当は買わない主義なので、営業している店を近場で探す。めったに行かない店でも一見でもやむをえない。今日もどこで食べるかと心当たりをイメージしていたら、炎天下を歩かずに済む隣のビルのラーメンが浮かんだ。

新規オープンしてから早や2年の人気店だが、入店はわずか2回。開店の11時半前に行けば、すでに7人が入店していた。定員11席の10番目。昨日か一昨日かにユーチューバーが発信して、少しバズったらしく、正午頃には店の前に10人くらい並んでいた。

ニンニクと背脂と鷹の爪がふんだんに入った濃厚スープ。さすがに最近はこの種のラーメンは控えているが、この店オリジナルの太い縮れ麵は評価できる。「無料のモヤシ増しされますか?」 何も考えずにハイとうなずく。注文後の待ち時間と食事時間合わせて35分。ラーメン1杯にしては結構時間がかかった。4コマ漫画風に紹介する。

約15分待って運ばれてきた。ようやく実食スタート。
モヤシをさばくのに5分、麺に到達。スープの全貌は見えない。
さらに5分食べ続ける。麺と具にからむ濃厚スープ。3口ほど飲む。
穴あきレンゲで具を平らげる。危険な濃厚スープはほとんど残す。

抜き書き録〈テーマ:夏の歳時記)

📖 『日常の極楽』(玉村豊男)

樹木が減ると、そのあたりは涼しさが減る。
そしてそこにコンクリートの建物でも建てられれば、ますますあたりには熱が漂い停滞することになってしまう。いわゆる、「都市気温」(……)

「地球温暖化」のせいで暑いとぼやいても現実味がない。地球温暖化という概念が大き過ぎるのだ。今住む街の昔と今を比べれば、街の「構造」が変わっていることに気づく。今日のような午前10時で33℃なら、公園沿いの木陰を歩けば34℃は低く感じる。アスファルトのない公園の中の木陰ならしばらくベンチに座っていても耐えられる。今日の午後2時に大阪の気温は38℃に達するらしいが、都市気温的に言えば、これは40℃超えを意味する。体感は優に45℃超えかもしれない。

📖 『最近日本語歳時記』(稲垣吉彦)

山梨県から静岡県へ抜けて太平洋にそそぐ富士川は、山梨県では「フジワ」で、静岡県に入ると「フジカワ」になる。「ガワ」が「カワ」へ、下流にいくと濁音が清音に、水質と反対に地元での発音が変わる。実際には、川をはさんで右岸と左岸で「カワ」「ガワ」が交錯して、そう簡単に割り切れないらしいが。

身近なところでは、上流の瀬田川と宇治川は「ガワ」、その水系を受け継ぐ、淀川は大阪湾に近づいても「ガワ」と濁り、「ヨドカワ」にはならない。

近くを流れる旧淀川の大川は「オオカワ」。海を控えているからと納得しかけたが、その大川から大阪湾に向かって分岐する堂島川も土佐堀川も「ガワ」だ。下流に行くにしたがって「ガワからカワ」という説にはもしかすると例外が多いのではないか。ともあれ、川が夏の風物詩に割り振られることに異論はない。

📖 『歳時記百話――季を生きる(高橋睦郎)

わが国の歳時記を陰翳いんえいぶかくしている重要な一つに忌日がある。俳諧、和歌、文芸、芸術、芸能をはじめ、さまざまな分野に業績のある、かの世の先人たちへの献句によって、その忌をしゅうし、徳をたたえ、魂をしずめ、自分の仕事や生活への加護を願うのが起こりだろう。

すでに実家はなく――いや、実家という概念すらほぼなく、ゆえに帰省や盆というものが世間一般に比べてきわめて希薄だった。
終戦記念日を言い換えた終戦忌、原爆忌などの忌日は、体験者が世を去ってやがて人々の記憶から消える。聞いた話もやがて忘れる。個人や小集団で伝承するのはたやすくない。だから、国や地方自治体に仕切られるのはどうかと思うが、やっぱり年に一度の忌日の式典を国や地方自治体に催し続けてもらう必要がある。

スタミナ料理の実効と気休め

体力に自信のない時にスタミナ料理は逆効果だと聞いたことがある。夏バテ防止を期待してスタミナ料理を食べても、疲れている時は胃腸も弱っているから即効回復は望めない。元気だからこそ、スタミナ料理をおいしく食べて上手に消化して効果が実感できる。

スタミナ料理とは何か? いくつもの説があるが、鰻や豚キムチやレバーのような、タンパク質、鉄、ビタミンB1/B2などの栄養素を含む料理というのが一般的。しかし、スタミナ料理と元気の因果関係はわからない。スタミナが実際につく人とつかない人がいるし、効いてはいないけれど気休めになっている場合もある。スタミナ料理を検証してみたい。


🥢 鰻丼や鰻重は「土用の丑」という語感効果で、スタミナ料理の象徴になり古典と位置づけられた。しかし、夏バテ防止や精をつけようと期待して食べるには高級過ぎる。鰻丼や鰻重は、滅多に口にしないのがよく、素直に「うまい!」と唸っていただくのがいい。お値段が高いほどうまさが増して元気になるように感じるのは錯覚である。

🥢 これでもかとばかりに鷹の爪、おろしニンニク、背脂、ネギが投入された中華そば。疑う余地のない男飯おとこめしで、早食いの客が多い。香ばしさと辛さと脂の複合スープは50メートル先の角を曲がった時点で強く匂ってくる。平らげた者はスタミナがついたと満足するが、そんなにすぐには効かない。確かなことは、ニンニク臭が翌日の昼頃まで残ることだ。

🥢 焼肉店の一番の推しはカルビということになっている。焼肉通は初めて入る店では必ずカルビを注文して品定めをするらしい。隠し包丁を巧みに入れたカルビが出てくるだけで、焼く前から味のイメージが湧き始める。とは言え、牛と豚と羊と鶏を比較すれば牛肉は人気一番で一番値も張るだろうが、スタミナ一番かどうかは検証できていない。

🥢 餃子は、ホルモンと並んで、人気のある元祖スタミナ食である。鰻が「古典」なら、餃子は親しみやすい「庶民」である。テイクアウトして自宅で焼いても十分うまい。庶民的な町中華で学生の頃からよく食べた。メインの一品だけで物足りないと思えば、必ず餃子を一、二人前追加した。瓶ビールでやるイーガーコーテルは真夏に負けない。

背の高い人と背の低い人

最初のオリンピックの記憶は1960年のローマ大会である。その4年後の1960年の東京大会はしっかり見た。日本人選手の金メダリストが全員言えるほど今もいろいろ記憶している。学校でサブノートのような五輪ガイドが販売され、それをいつも手元に置いていた。競技/種目別の金銀銅のメダリストとその国名を書き込めるようになっていた。

さて、パリ五輪もいよいよ最終盤となった。よほどのことがないかぎり、深夜に五輪観戦しないと決めていたので、テレビを見るのは夕方から零時までだ。

スポーツを見ていていつも思うのだが、柔道・レスリング・ボクシングのように体重別に階級が分かれる競技はあるが、身長別に階級を分ける競技はない。身長に関しては誰もが無差別級で闘うことになる。体重差は競技に影響するが、身長差は関係ないという見立てだ。

下記は競技別男子の平均身長である。

プロ野球選手(日本):   179cm
バスケット(世界):    192cm
サッカー代表(日本代表): 178cm
バレーボール(日本代表): 190cm

ちなみにMLBドジャースの大谷翔平は193cm。バスケット日本代表のホーキンソンは208cm。その横に体操で金3個の岡慎之介(155cm)を並べると、倍も違わないけれど、倍以上違うように見えるはず。6月に心斎橋を歩いていたら、バレー日本代表の山内晶大を見掛けたが、204cmがどれだけ目立つ存在か思い知った。

周囲に200cm越えの「日常的存在」はいなかったし、今もいない。学生野球をしていた遠戚が一番の高身長で、たぶん185cmだった。

先週末、レストランで食事を終えようとしていた時、グループが入店してきた。一人が店内を見渡すが席はない。すかさず立ち上がって「もう出ますから、どうぞ」と声を掛けた。後に続いていた中に巨人がいた。「なかなかこんな人には会えない」とつぶやいたら、グループみんなが微笑んだ。「デカいねぇ、何かスポーツやってた?」と月並みに問えば、「バスケットです」と想定内の答え。「今は会社員」と言う。「あ、そう、背が高いだけの会社員?」と、もうちょっとで言いそうになった。

昔、関東に玉川カルテットという浪曲漫才があった。メンバーの一人が身長145cm。浪曲調で「♪ 金もいらなきゃ女もいらぬ わたしゃ も少し背が欲しい」と歌った。身長が売買できるなら、ただ背が高いだけの会社員の25cmを浪曲師に売れば、175cmの会社員と170cmの浪曲師としてハッピーになれるだろうか。

背の高い人はみんな頭をよくぶつける。もう一つ、うんざりするのは「何かスポーツやってた?」と尋ねられることらしい。あの200cmの会社員はうんざり顔をしなかった。聞かれるのを喜びとする人がいても不思議ではない。