語句の断章(55)「便利」

日常語ほど定義に苦労する。その語だけで十分明快なのに、説明を加えて逆にわかりづらくなる。「便利」などはその最たる例だ。この語を初めて辞書で引いてみた。「それを使う(そこにある)ことによって何かが都合よく(楽に)行なわれていること(様子)」と『新明解』には書いてある。あまり明解ではない。執筆者、ちょっと困っているのではないか。

便利とは何かと説明するよりも、便利を使った用例を示すほうがわかりやすい。たとえば、「今住んでいる所は買物に便利がいい」とか「知人にもらった8-in-1エイトインワンの多機能道具は想像していたほど便利ではない」とか。

『徒然草』は、長年書きためた随筆を吉田兼好が1300年の半ばにまとめた鎌倉時代の随筆集。この第一〇八段に「便利」という語が登場する。

一日のうちに、飲食おんじき便利べんり睡眠すゐめん言語ごんご行歩ぎやうぶ、やむ事をえずして多くの時を失ふ。そのあまりのいとまいくばくならぬうちに、無益むやくの事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟しゆゐして時を移すのみならず、日をせうし月をわたりて、一生を送る、最も愚かなり。

文中の便利は、現代の意味とは違う。古語辞典でチェックしたら、当時は仏教由来の「大小便のお通じ」の意味だった。

食べたり飲んだり、大小便をしたり、眠ったり、しゃべったり、歩いたりと、やめるわけにはいかないことに一日中時間を費やしている。残された時間が多くもないのに、役にも立たないことをやり、役にも立たないことを言い、役にも立たないことを考えて時が流れる。日を送り月を過ごして一生を送ってしまうとは、きわめて愚かなことだ。(拙訳)

食事、排泄、睡眠、会話、散歩が無駄だと言っているように聞こえるが、むしろ、それ以外のことをしていない日々の過ごし方への批評だと読むべきだろう。ともあれ、便利は大小便のことだった。役に立たないと片付けてしまうわけにはいかない。便利が滞ると「便秘」になってしまう。便利には「利便性」があるのだ。