――あなたがいつの時代の政治家にも求めたい改革とは何でしょうか?
第一に情報公開だろう。政治や行政に携わる者は、己たちが交わす議論、おこなうスピーチなどを民衆に公開するべきだ。発言者は言論の責任を負う。責任とは何事も包み隠さないことなのだ。
第二は政治と金の問題。とりわけ政治家と官僚につきものの賄賂に見て見ぬ振りをしてはいけない。いつの時代も金が不正に動く時、汚職まみれの政治家が出てくる。
第三には失業対策と雇用促進だな。たとえば遊閑地があれば、放置していないで農民に再分配する。いとも簡単に食糧と仕事を確保できて、一石二鳥だ。
――文明国家の多様性についてはどのようにお考えでしたか?
文明主義に悲観的な向きもあるが、文明を健全に機能させる方法はある。すなわち、文明の上位に気高い精神性を置くことだ。
文明とは国家を超大にするシステムではない。それは、異民族が固有の文化を維持しながら共存し続ける「ルール」にほかならない。繁栄した国はいずれも異民族を取り込み、技能や適性に応じて活躍の場を与えたのである。
多民族、多文化、多芸術などの多様性を誇り、常に異種なる価値に開かれた社会こそが健全で、変化の活力となる。権力者が長期的な覇権に安住するような風土は不幸だ。
――指導者としての自身が生涯貫いた精神は何だったのでしょうか?
わが時代のわが母語に“CLEMENTIA”ということばがあった。「寛容」を意味する。強引かもしれないが、私は「自らの考えに忠実に生きること」を何よりも大切にしていた。自分は裏切られたが、それは自らの考えに忠実に生きた証だと考えて寛容を貫いた。
寛容の精神と決断は不可分の関係にある。裏切られて暗殺される5年前、覚悟の決断をした。ローマ帝国の同じ支配地でありながら、市民権は川の北側の人々には与えられていなかった。私はローマに再帰するべく、ルビコン川を渡った。あの時の大きな賭けは今もなお「さいは投げられた」と伝えられているようだ。
――後付けになりますが、自己紹介をお願いします。

私はガイウス・ユリウス・カエサル。紀元前100年生まれだから、キリストよりも1世紀も前の人間だ。暗殺により56歳没。共和制ローマ末期の政務官だった。
古典ラテン語ではCaesarと綴り、カエサルと発音した。フランス語ではセザール、現代イタリア語ではチェーザレと、それぞれ呼ばれる。英語圏はどう言うわけか、私をシーザーと読んでいる。イタリアにない例のシーザーサラダはメキシコ発祥で、アメリカや日本でよく食べられているが、私はあのサラダとは何の関係もない。