姑息は、近年の国語調査ではいつも誤用ランキングの上位に入っている。令和3年度の文化庁の「国語に関する世論調査」でも、姑息の意味を「卑怯」とした人は73.9パーセント、「一時しのぎ」とした人が17.4パーセントだった。本来の意味は一時しのぎだが、誤用の卑怯が浸透してきたため俗用として広く使われるようになってしまった。
姑は「しゅうとめ」だが、他に「しばらく」という意味がある。息は「休む」であるから、姑息は「しばらく息をついて休む」。これが転じて「一時の間に合わせ」や「一時しのぎ」が正用となった。しかし、ほとんどの日本国民は姑息を「ずるさ」だと思っている。
一時の間に合わせやその場しのぎだから、姑息は「おざなり」に近い。抜本的に策を講じるのではなく、適当に繕って用を済ませてしまうのである。たとえば、お客が来た時に、座布団を出そうとしたら破れていたのでひっくり返して裏面を使うとか、障子の破れを適当な紙切れで貼って隠すとか。
姑息の出典を調べていたら、儒教の基本的な経典の一つ、紀元前に編纂された『礼記』に行き着いた。
君子の人を愛するや徳を以てし、細人の人を愛するや姑息を以てす。
(君子は徳によって人を愛するが、心の狭い者は場当たりで他人を愛する)
なるほど、ずるいとか卑怯とかではなく、適当な、行き当たりばったりという意味である。
なお、因循姑息という四字熟語もある。古くからの習慣にこだわったり従ったりして一時逃れをすること。たしかに、昔からの伝統やしきたりを持ち出してその場しのぎの言い訳に使う場面にはよく出くわす。
