去る11月18日はボジョレ・ヌーヴォーの解禁日。普段たしなむワインと違ってボジョレは特別な新酒。通常のワインとボジョレにはいろいろな違いがあるが、飲むまでの手順も違う。
買い置きしているワインの中から「今夜はこの赤ワイン」と決めて一本取り出す。朝に抜栓し、抜いたコルクにラップフィルムを巻いて再び栓を差し戻しておく。夕方帰宅してから飲む。空気に触れてから8時間以上経っているので酸化は進んでいるはずだが、経験的には開けてすぐよりもおいしく飲める。
ボジョレは飲む直前に抜栓するのがいい。重厚感はないが、ボジョレの特徴は新酒ならではのさわやかな香りと喉越しにある。出荷前に濾過されているが、ボジョレに澱はつきもの。したがって、グラスに注ぐ前に濾して雑味を取ってやるとすっきり感が増す。
→→→→→
鮪の目玉が売られていた。生で食べるシーンは連想しない。すぐさま浮かぶのは皿に盛られた煮付けである。鮪の生の目玉を煮付けに化けさせるには、「酒と砂糖と水と生姜を合わせて沸騰させ、熱湯でアクとヌメリを落とした目玉を中火で10分ほど煮る。濃口醬油を加えて弱火にしてさらに10分煮る」という調理手順が必要だ。書いてしまえば〈食材→調理→完成〉という単純な流れだが、完成形が浮かぶから調理の手順と方法が工夫されるのである。
ちなみに、料理における手抜きとは〈食材→X→完成〉の“X”の数を増やさないことだ。手数をかけないからと言って、急いで安っぽく作るわけではない。たとえばパテなどは、一から自分で作るよりもフランス製の缶詰を使うほうが数段すぐれている。上手に手抜きしてまずまずの味に仕上げるのが手料理の要領である。
→→→→→
川面に浮かぶ鴨を見て鴨南蛮そばや鴨鍋を思うか。ぼくには、そんな連想以上に強く記憶に残るエピソードがある。〈鴨→デパ地下で200グラム買ったが、虫が付いていた→苦情を申し入れたら、担当者が謝罪のために自宅にやって来た→お詫びのしるしにと出されたのがずっしり重い鴨肉〉。測ったら1キログラムあった。鴨南蛮そばのつもりが、鴨鍋にグレードアップした望外の晩餐。
別のデパートで買った鴨肉にも虫が付いていた。「売場までお持ちいただければ交換します」という対応だった。以来、鴨と言えば、虫に注意することとデパートのクレーム対応の差を連想する。
→→→→→
出されたらすぐに食べるべしという料理の代表格は天ぷら。会話中に出てきたら話を中断してでも箸を動かす。一瞥だけくれてすぐに口に放り込むから、味覚が視覚に優先する。他方、「食べるのがもったいない」とか「インスタ映えする」とか「形を崩しにくい」とか言って見つめるばかりで、なかなか口に入れない場面がある。斬新な季節のデザートやメガ盛りなどがそうだ。
鯖は煮付けにしてよし焼いてよし。足が早いので刺身は産地近くに限るが、酢じめという知恵で鯖は日持ちするようになった。料理をおまかせで頼んだ店で〆に甘酢漬けの蕪を乗せた鯖の押し寿司が出てきたことがある。その分厚さに息をのみ見とれた。食べるのを忘れそうになった。視覚が味覚になかなかバトンタッチしない最たる例だった。