あとがきの第一段落

『日本の名随筆』という全集がある。各巻にテーマがあり、3040人ほどの著名な文筆家の手になる随筆が編まれている。全巻100冊、別巻が20冊、すべて揃えていない。書店や古本屋で気に入ったテーマの一冊ずつを買って読んできた。

編者が「あとがき」を書いている。錚々たる顔ぶれが綴った随筆を選んで編集した後に、編者がどんなふうにあとがきで締め括っているのかに興味津々。とりわけ最初の段落の書き出しと「摑み」に注目してみた。


🖋 「色」 大岡信  編 

 私の家には今猫が二匹いる。そのほかにも、去年死んだ犬が残していった犬小屋に住みついている野良猫が、定住者で五匹、場合によっては七、八匹もいて、これらはわが家の準飼猫のような生活を送っている。

猫の毛色からテーマに入るのかと思いきや、そうではなかった。次の段落で「人間と猫とで、物の色彩がどのように異なってみえているのだろうか」と、興味の方向が示される。猫の毛色のバリエーションの話よりはおもしろいのではないかと思わされる。

🖋 「蕎麦」 渡辺文雄  編

 形が似ているから仕方がないと言えるけど、ソバとウドンが対決する。ウドン好きとソバ好きが対決する。世の中ウドン派とソバ派、どちらが多いかわからぬが、目につくのはソバ派である。「麺好きですね。」と言われてウドン派はにっこりうなずいても、ソバ派は「いえ、ソバが好きです。」とこだわる、、、、

テーマが蕎麦だが、ソバ好きの特徴を際立たせるためにウドンと対比してみせた。ソバ職人やソバ好きのこだわりには際限がない。後段で編者は「ウドンのうまさには幅があるが、ソバのそれはまことに狭い」と言い、スリリングな食い物であると付け加える。ウドンは庶民的で付き合いやすいが、ソバ自体もソバ好きもおおむね気難しい。

🖋 「嘘」 筒井康隆  編

 この名随筆シリーズの「嘘」を編集するにあたり、八年間かかって五万冊の随筆集を読破した。「嘘」をテーマとした随筆は数少なかった。さらにまた、読んで面白いと感じたものはもっと少なかった。そのためわたしは鬱病となり、リタリン(鬱病の投薬剤)を八百錠のみ、そのため胃潰瘍となって手術を八回した。

「嘘」がテーマの随筆集のあとがきを嘘まみれにしたところに編者の工夫がある。さすが筒井康隆だ。この先で、純文学作家の書いた随筆がおもしろくなく、自分のようなエンターテインメントの作家の随筆はおもしろく筋金入りだと書いている。テーマをとことん追求する姿勢に感心し苦笑する。

🖋 「古書」 紀田順一郎  編

 学生時代、私の最大の不満は、学校の付近に古本屋の乏しいことであった。荷風、敏、万太郎、瀧太郎、春夫……という三田文士を輩出した土地に、古本屋がたった二軒というのはいかにも物足らない。本郷、早稲田に一籌を輸するのは明かだ。

編者は慶應付近の古書店の少なさに文句を言いながらも、後に書誌研究に秀でた評論家になったくらいの根っからの本好きであったから、神田神保町の古書街に入り浸るようになった。そこからテーマ「古書」にふさわしい話が綴られる。

🖋 「道」 藤原新也  編

 大人になってむかし通っていた小学校を訪ねてみると、校舎や運動場やそれに到る道筋などがこんなにも小さく短かったか、という驚きをもたらされた、という話をよく聞く。私自身にもそのような経験がある。

子どもの頃の記憶の中の道と大人になってから通る道は同じであって、しかし相対的に別物だ。実際に歩いてみると、かつての体躯の大きさと歩く速度に見合った道のイメージが一変してしまう。勝手知った街歩きの最中でも、道の意味の多義性と道のイメージの多様性によく気づかされる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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