動けば気づき、出合う

この3年間出張が激減し、仕事のスタイルが大きく変わった。2019年までは毎月34都市へ1泊か2泊で出張するのが常だった。ところが、昨年は宿泊出張はわずか2件、日帰りの仕事も月に1件あるかないかである。働き方は二足のわらじから一足のわらじになった。

机に向かう時間が長くなると考えは深くなるかもしれないが、地上のことに気づきにくくなる。ひらめきの回路が閉じてしまうような感覚に陥る。正確に言うと、座る作業ならではの気づきがないわけではない。しかし、気づくのは守備範囲内のことばかりで、想定外の気づきにはなかなか到らない。

平日は脳が膠着し、尻が椅子に膠着し、視野が膠着する。そこで、面倒くさがらずに頻繁に席を立ち、何回かに一度は用の有無にかかわらず外に出る。つまり、動いてみる。半時間か小一時間程度だが、見えるものが一変し、それまでと違う景色が目に入り、何かに気づき、その気づきに触発されて新しいことを浮かべたり考えたりするきっかけになる。そんなに首尾よく結果が変わるわけではないものの、見通しがよくなってくるような気はするのだ。


戻ってくると、メモを取ったりノートを書いたりしやすくなっている。じっとしているよりも忙しく動いている時のほうが、言語的な働きが旺盛になっていることがわかる。コロナで出掛けず、人と会わずに話もしないことのツケは大きいなあと思う。

ルーチンとして日々よく歩いていた哲学者のエピソードを聞く。カントは毎日同じ時刻になると散歩に出掛けた。西田幾太郎が思想に耽った散歩道には「哲学の道」と名づけられた。散歩は運動だから、健康が効用であることは間違いないが、部屋でじっとしているよりも感覚が受ける刺激の強さと変化が違う。ものの見方が変われば思考の行き詰まりを少しは解消してくれるのだろう。

年末に古本屋で『書斎曼荼羅 本と闘う人々➋』を買った。後で出版された➋を先に手に入れて➊がないのは不自然。どこにも出掛けずに➊を求めようとしたら、Amazonや楽天で本を探して注文して配達してもらうしかない。運よく見つかれば23日で手元に届く。しかし、欲しいものを外に出ずに手に入れることに、入手すること以外の付加的な行為や意味は伴わない。引きこもりは機械的な効率を求めて良しとしておしまい。

年明けから平日も――仕事を中座してでも――外へ出るようにしている。先週、➋を買った古本屋とは別の古本屋にたまたま立ち寄り、探したわけではないのに、偶然にして➊を見つけたのである。こういう、まるで用意されたかのような出合いが、在宅ネット注文との決定的な違いなのである。外に出る、場を変えてみる。望外の、脱目的の気づきと出合いの時間が生まれる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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