夜も遅い帰り道、年恰好80歳前後の老人がふらふら状態で立っていた。酔っ払っていたのか気分が悪くなったのかわからないが、まもなく座り込んだ。急いで駆け付けた。「大丈夫、ありがとう」と言うが、どう見ても大丈夫ではない。家を尋ねたら「すぐそこ」と指を差す。そこは天ぷら料理の店。身体を支えて店先まで送った。
二男の体験談で、2、3年前に聞いた話である。二男と拙宅は近い。そしてその現場も徒歩圏内だ。だから店が老舗の天ぷら割烹「H」だとすぐにわかった。会社を創業してまもなくの頃、知り合いに連れて行ってもらい、その後何度か夜席にお邪魔したことがある。
その頃も今もオフィスは同じ場所。当時は大阪の郊外に住んでおり、オフィスからでも徒歩15分ほどの場所でも土地勘はまだあまりなかった。職住近接を考えて引っ越してきたのが17年前。自宅から「H」は6、7分という近さだが、店とは疎遠になって久しいし、二男から話を聞くまで思い出すこともなかった。
いや、この話を聞いた直後も「あ、以前行ったあの店か」という程度の反応で、久しぶりに行ってみようとは思わなかった。仕事がらみの接待でよく利用した店はほとんど廃業しているし、ひいきの飲食処のリストはそっくり更新している。
他にも理由がある。ここ何年か、天ぷらを食べに行こうとあまり思わなくなったこと。天ぷら割烹の夜席は一品ずつ揚げて出される。接待したりされたりの機会ならまだしも、プライベートでは少々面倒くさい。同じ揚げ物なら串カツのほうが気取らずに済む。
ところが、一昨日の土曜日の昼、久々に天丼か天ぷら定食を食べたくなったのである。日中は暑いので、なるべく近場という条件を付けたら必然「H」に辿り着いた。店内はスマートに改装されていた。そしてカウンター向こうにはすべての注文を一人で揚げる主人がいた。かつて通った時のあの主人であり、二男の話に登場したあの人物である。懐かしさを覚え断片的な追想が巡り始めた。接待相手のいない昼の天丼は一味違った。