オフィスに近い大阪城と天満橋八軒家浜には「標本的地点」と呼べそうなスポットが随所にあり、季節の移ろいを感知しやすい。9月下旬から11月上旬に撮った写真を数年前と今年で比較してみると、明らかに今年は秋が遅れている。ここ1ヵ月、夏を引きずったまま季節がほとんど動いていない。
最近とみに季節のメリハリの無さを痛感する。「春夏秋冬」が消滅危惧四字熟語になりかねない。四季でそうなのだから、ましてや繊細なグラデーションの二十四節気の趣がいつ消えてもおかしくない。暦以外でほとんど見聞きすることのない、雨水、清明、小満、芒種、白露、霜降などはとりわけ危うい。
旧暦に倣って暦月で区切ると、今よりも2ヵ月早く、春が正月~3月、夏が4月~6月、秋が7月~9月、冬が10月~12月になる。一方、二十四節気の節で区切れば、立春~立夏~立秋~立冬……と巡り、春は2月初旬、夏は5月初旬、秋は8月初旬、冬は11月初旬に、それぞれ始まる。
わが国は地域に寒暖差があるから、春だから暖かいとか、11月は紅葉真っ盛りなどと一概に言えない。暦月も節月も現代人が知覚している春夏秋冬とズレてきている。四季の名と体感を合わせようと思えば、結局は気象学的に区切ることになる。つまり、3月~5月の春、6月~8月の夏、9月~11月の秋、12月~2月の冬。
しかし、今年のような場合、四季に分けることにも一季に3ヵ月を割り振ることにも無理があるような気がする。夏が6月~10月と5ヵ月続き、秋が11月のみという異変ぶり。その11月がほぼ連日の夏日なのだから、このまま冬に突入すれば秋が消滅しかねない。かろうじてスーパーマーケットの食材に季節の味覚を想像しようと努める今日この頃だ。
世界には7,168の言語があり、そのうちの約40パーセントが消滅危惧言語とされている。日本語という同一言語内においても、同じようなことが起こりうる。四季折々の表現を口にしたり書いたりする人が減っていくと、季節のことばが一つずつ日本語から消えていくのである。今年に関して言えば、ファッションは春夏でも秋冬でもなく、「夏秋もの」を先取りするべきだった。