ブームとリバイバル

かつて流行語大賞でトップ10に入賞した「マイブーム」は、今ではれっきとした俗語になっているそうである。他人や世間はいざ知らず、個人的に夢中になっている自分だけの流行。「マイ」も「ブーム」も珍しくないふつうの単語なのに、二つをくっつけると賞に値する新語が一丁出来上がる。

なかなかわかりやすい言い回しである。ただ、これまで使ったことはないし、これからも自分のことに関しては使わないと思うが、誰かのことについてなら、たとえば「つまり、それがきみのマイブーム?」などと使うかもしれない。いや、その誰かが目の前にいて、その人のブームについて語るなら、マイブームではなく、たぶんぼくは「ユアブーム」と言うだろう。彼や彼女のマイブームなら、きっと「ヒズブーム」や「ハーブーム」と呼んで正確を期す。

ある人を介して最近知り合いになったM氏に食事に誘われた。店では世間話に花が咲き、まったく口癖のようなものは感じなかった。食事後にもう一軒と誘われ、快く随った。その二軒目の店でM氏の雰囲気ががらりと変わる。かなりリラックスして弁舌さわやかになり、やがて口癖を連発し始めた。場が変わり応対する人が気の置けない人になり、酔いも手伝ってか、いつものペースを取り戻したに違いない。「わっかっるぅかな!?」を連発し始め、深夜まで十数回は耳に響いた。

古いギャグで松鶴家千とせに「わかるかなぁ~(……)わかんねぇだろうなぁ~」というのがあった。口癖がここに由来しているのかどうか知らない。「わかるかなぁ~」とつぶやくのではなく、「わっ、かっ、るぅ、かな!?」とスタッカート気味におどけて発声し、後段は言わない。暗に「わっからないだろうねぇ」という余韻は残る。ともあれ、聞き慣れない表現ではない。最初の数回のうちはさほどおもしろいとは思わなかったが、繰り返しというのは妙なもので、徐々におかしみのボディブローが効いてくる。これがM氏のマイブームらしいのである。いつも聞かされている人たちは、そのことを承知しているから、上手に笑って場の空気を白けさせない。


ぼくは多趣味の無趣味、多芸の無芸、雑学の無学、凝り性の飽き性……という具合だから、何事もブームのようでブームではなく、ブームでないようでブームでもある。これを言わねば気が済まないような口癖の自覚症状はない。最近は映画にちょくちょく行くが、まったくマイブームと言えるほどではない。行かないなら行かないで平気である。カフェや美術館には若い頃から行っているし、読書も文を綴るのも一つの習慣だから、ブームなどではない。何でも食べるので、いま特に嵌まっている食材や料理もない。

システム手帳2システム手帳1

最近、ノートを従来のものからシステム手帳にシフトした。変化と言えば、これが目新しい。ノートは四十年以上続いている習慣だから今さらブームではないが、二十数年ぶりに眠っていた手帳を今年から復活させ、バイブルサイズの6穴ルーズリーフを使うようになった。一過性の流行で終わる予感はなく、したがってマイブームではない。

ぼくの記憶では、システム手帳は1980年代の半ばからバブルが崩壊するまでの一時期に「みんなのブーム」になった。しかし、他の紙の媒体同様に、ITの隆盛の陰に隠れたか姿を消したかした。ご多分にもれず、ぼくもある人の勧めで買って使った。しかし、数ヵ月後には長年愛用してきた通常の文庫サイズのノートに戻し、以来昨年末まで続けてきた。

システム手帳に再チャレンジした動機は単純である。ルーズリーフでなく綴じたノートにメモを書くのは「時系列記憶」で探しやすいというメリットがあるものの、いざ活用する段になると複数のノートにまたがって類似情報を寄せ集めなければならない。これまではそうしてきたのだが、ちょっと疲れてきた。まあ、今までのスタイルを踏襲することに意地を張らなくてもいいだろう……ページを組み替えて関連メモを必要に応じて可変的に処理すれば生産性が上がりそうだ……と思った次第。いったん埃をかぶったモノや習慣を復活させる。これを「マイリバイバル」と呼ぶ。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です