時の鐘

釣鐘屋敷跡2 釣鐘

オフィスは大阪市中央区の釣鐘町一丁目。百メートルちょっと西へ歩けば二丁目で、そこに釣鐘の鐘楼がある。現オフィスに移転して26年になる。鐘は定刻に毎日鳴るのだが、オフィスビル群に囲まれ、また窓も閉めているから、こんなに近接していても、よほど聞き耳を立てないかぎり打鐘に気づかない。

由緒のある鐘である。寛永十一年(1634年)に大坂町中時報鐘として設置された。「おおさかまちじゅう じほうしょう」と読む。鐘は高さ1.9メートル、直径1.1メートル、重さ3トン。この場所はかつて釣鐘屋敷と呼ばれていた。屋敷はとうの昔になくなっている。

釣鐘屋敷跡1 鐘楼

釣鐘を包む鐘楼はマンションに紛れるように佇む。1660年、1708年、1724年、1847年と四度も焼失したが、鐘そのものは焼けずに無事だった。しかし、1870年以降は、これまた四度、保管場所を転々とした。近くの小学校、大阪商工会議所の前身の地、大阪城の前の府庁屋上などを経て、百有余年後の1985年に〈時の鐘〉として現釣鐘町二丁目についに里帰りを果たした。毎日朝八時、正午、日没の三回鐘が鳴る。人の手ではなく、コンピュータ制御による打鐘だ。大晦日にも除夜の鐘打ちがおこなわれている。


四度の火災にもかかわらず、音色はかつての美しさを失わず、名鐘の一つとして誉れ高い。釣鐘を守る鐘楼も五度目の建造になる。五度目の正直というわけでもないだろうが、屋根は五つの輪で意匠を凝らし、〈自主、自立、自由、活力、創造〉という、かつての大阪町人の精神を象徴しているという。現代の大阪人がどこかに置き忘れてきた気概である。

平屋やせいぜい二階建ての住居が当たり前だった時代、この鐘が街の四方八方に時報を告げたというから、音色の響き渡りのほどが想像できる。実は、この釣鐘の鐘の音、近松門左衛門の『曾根崎心中』のここぞという場面で「音響効果」を受け持っている。遊女お初と徳兵衛の情死を題材にしたこの浄瑠璃の道行みちゆきの場面の書き出しは、荻生徂徠もべた褒めした名調子の名文だ。

此世このよ名残なごり夜も名残 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ あれかぞふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生こんじょうの 鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽じゃくめついらくと響くなり

見事な七五調。お初と徳兵衛の耳に響いた七つの時の鐘の音、それが釣鐘の時報だったとは感慨深い。釣鐘町から心中の現場であるかつての曾根崎天神の森まで約2.5キロメートル。よくぞ鳴り響いたものだと感心する。その鐘とたぶん同じ音が今も生きている。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です