アクセルと学習の関係

先月『日本人はどこから来たのか?』(海部陽介著)を興味深く読んだ。題名になっているテーマに関心があったのは当然だが、6万年か7万年か前のホモサピエンスの出アフリカから世界への拡散の経緯に以前から好奇心をくすぐられていた。後期石器時代や縄文時代のことですら諸説多々あり、断定できるような確証は不十分である。つまり、素人にも自在な推理が許されるから、人類の起源と進化について自由に想像を膨らませることができる。

かれこれ一年くらいになるだろうか。NHKの『生命大躍進』という番組を観た。簡単なメモ書きを元に思い起こせば、おおよそ次のような話であった。

動物には二種の遺伝子――アクセル遺伝子とブレーキ遺伝子――があり、人類以外の動物では同時に生まれ「相殺」される。つまり、脳の進化も緩やかになる。ところが、人類の場合、ブレーキ遺伝子が故障することがある。故障中にアクセル遺伝子のほうが大量に生まれ、創造力につながる大脳新皮質を誕生させた。言語にはFOXP2という遺伝子が関わっている。40万字もあるDNAのうち、たった一文字だけが書き換えられ、それが言語の高度化を促した……「賢い人間」という意味のホモサピエンスである……。

アクセル遺伝子は新しいことへの好奇心と深く関わっているようだ。ホモサピエンスに先立つこと30数万年、ネアンデルタール人の手掛けた石器はほとんど進化しなかった。他方、ホモサピエンスは創意工夫して石器を進化させた。両者には言語能力とコミュニケーションにも格段の違いがあったというのが通説だ。ちなみに、まだ読みかけだが、ノーム・チョムスキーの近著『言語の科学――ことば・心・人間本性』では、言語獲得の突然変異説が唱えられている。出アフリカの頃、ホモサピエンスの脳の回路が配線し直されるような突然変異があり、それが言語能力をもたらしたというのである。人間だから言語を手にしたのではなく、言語を手にしたから人間が人間になったということだ。


以上のような話は今を生きることとは一見関係なさそうだが、アクセルとブレーキのせめぎ合いは、その後進化を遂げた人間の学習構造に色濃く残っていると思われる。ぼくの企画研修で「習熟の方程式」に関するひとコマがある。新しいことに向けての学習意欲と、それを阻む不利係数の関係について持論を説く。

インプットと不利係数

インプットをアクセル、不利係数をブレーキ、そして、アウトプットを創造性とする。インプットが10のとき、不利係数1という、ブレーキが強くかからない状態ならば、10/1だからインプットしたものがそのままアウトプットという成果を生む。ブレーキが利かない状態はリスクが高いとも言える。ぼくたちが生きていく上で、何でもかんでも新しいことに挑むわけにはいかないからだ。安全や保守への指向性も必要だ。同時に、安全や保守は成長にとって手かせ足かせになるのも事実。たとえば10のインプットに対して10の不利係数が働けば、アウトプットは1しか得られない。いくら学んでも成果が上がらないというのは、この不利係数のせいである。

では、いったい不利係数というブレーキの正体は何なのか。それは三つの要素からできているというのがぼくの見方だ。一つは、抗しがたい外的環境要因。もう一つは集団的な規範やルール。そして三つめに個人的な要因がある。つまり、学びながら自分で自分の可能性を閉ざしている。実は、これが一番大きなブレーキ要因で、一言で言えば固定観念である。アクセルを踏んでアウトプットを増大させたい、自己変革したいというのがタテマエで、ブレーキをかけて今の自分を肯定したいというのがホンネなのだろう。何万年も前に遺伝子が誤動作して獲得したせっかくのアクセルである。ホモサピエンスの末裔としては、勇気をもってアクセルを踏むことも忘れてはならない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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