語感―ことばと思いのはざま

「あの人はすぐれた語感の持ち主だ」などと言う。「すぐれた」とは良いことである。そして、語感が良いことを語感が鋭い、語感が悪いことを語感が鈍いとも言う。日々のことば遣い以外に語感が鋭くなるように鍛錬する方法はあるのだろうか。問うまでもなく、あるに違いない。語感を磨く指南書もいろいろある。

しかし、語感だからと言って、一語一語に習熟し、他の類義語との微妙な違いを覚えてどうにかなるものではなさそうだ。一つのことばは、辞書に載っているような意味を内包しているものの、別のことばと結び付いた瞬間、おおむね意味に変異をもたらす。とある理髪店は看板にうたい文句を入れている。「頭で刈る頭」。一つ目の頭は脳や工夫を意味し、二つ目の頭は頭自体ではなく頭髪のことだ。頭を刈ると言うけれど、刈るのは髪。さらに言うと、刈るはハサミ捌きのことである。

語感は単語単位で磨かれるのではなく、ことばとことばが連句になり文を構成してはじめて響くのである。だから、ことばを一つずつ覚えた、かつての英語学習はほとんど功を奏さなかった。日本語にしても同じである。仮に『広辞苑』に収録されている二十数万語の見出し語を小さなチップに詰めて脳内に埋め込めるとしよう。こうしてもなお、ことばの使い手になれる保証はないし、語感が研ぎ澄まされることもないだろう。ことばは一部の例外を除いて単独で用いることはない。孤立状態の一つ一つのことばをネットワーキングするからこそ思いが伝わるのである。


avoid

英語の本を読んでいる学生が“avoid”という単語を英和辞典で引いたとしよう。そこには「避ける、よける」という意味が載っている。しかし、つねに「avoid=避ける、よける」では決してない。だから、辞書には文例が示されている。単語の意味だけではニュアンスを摑めないので、用例によって細やかな語感を感得するわけだ。

英語の意味が分かって一安心というわけにはいかない。むしろ、ここから語感の程が問われるのである。その学生は“avoid“を含む原文に戻り、さて「避ける」と訳すか「よける」と訳すかに迷う。迷うのは、避けるとよけるの語感の違いがわからないからである。外国語の悩みはいつも日本語にはね返ってくる。

中村明著『語感トレーニング――日本語のセンスをみがく55題』を参照してみよう。同書の第33問。

①「水たまりをよける」 ②「水たまりをさける」という表現から、それぞれのどちらの場面を連想しますか。

 水たまりに近寄らないように最初から気をつける、あるいは水たまりの多い道を通らずあらかじめ舗装道路を選んで歩く。
 水たまりのある道を歩きながら、飛び越えたりそうっと縁を歩いたりして水たまりに入らないようにする。

①がイ、②がアである。計画性がなく、とっさの判断による行為が「よける」。対して、「避ける」には事前に危機意識が働いている。さらには、「よける」のは目の前の具体的なもの、「避ける」のは想像する事態であることが浮かび上がってくる。

言いたいことがある。その思いを伝えたいのに、使おうとしていることばとの落差があってもどかしい。どうも語感がしっくりこないというのがこれである。一生、ぼくたちはことばと思いのはざまで苦悶する。語彙の問題ではない。文例不足、経験不足なのだ。だから、少しでももどかしさをやわらげたければ、読んで書くしかないのである。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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