フランス映画『アスファルト』を観た。オムニバス仕立てだが、知り慣れた構成とは少し違う。通常のオムニバスは、いくつかの独立した短編を順に並べて一つのテーマを貫く。『アスファルト』は三編をまとめながらも、その三編が関連付けられる。三編をA、B、Cと呼ぶなら、A→B→C→A→B→C→……という具合で、ミルフィーユのように繰り返し重ね合わされる。リーフレットに「愛は、突然降ってくる」と書いてある。たしかに宇宙飛行士が集合団地の屋上に降ってくる。彼は数日間居候させてもらう部屋の主、アルジェリア系フランス人の熟年女性に「(宇宙は)暗黒。暗黒の向こうに眩しい光がある」と語る。「愛」は「小さな喜び、小さな幸せ」に読み替えできそうだ。
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毎朝トーストを食べていて、バターと蜂蜜を塗る。ジャムはめったに使わない。ある日、トーストを齧りながらジャムのことを思い浮かべた。買ってきたばかりのイチゴのジャム。ジャムは壜入り、壜の蓋は強く閉まっているものと決まっている。蓋はなかなか開かない。壜を回しながら栓抜きで蓋のふちをトントンと叩いてやる。それでたいてい開く。それでも開かない時は、輪ゴムを二、三本蓋のふちに二重、三重に巻いてから試みる。これで開く。できなかったことが、一つか二つの工夫でできた時、小さな達成感が得られる。
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十数年前、水性マーカーを買い込んで数十種類の色を揃えたことがある。大きな絵を描くとあっという間にインクが減るので、もっぱらハガキ判の画用紙に描いた。自分でも驚くほど量産した。仕事が一番忙しい時期だったのに、よく描けたものだとつくづく思う。新しいマーカーを買ってきては色を試してみた。やがてマーカーの色試しだけでも愉快になった。そんな一枚が残っている。作意のない無造作な形と色の配置による模様。さっさと捨ててしまってもよかったはずなのに、残っているのが不思議である。
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昨日映画を観た帰りに古本屋で『それでも人生は美しい』という本を手にした。題名からはちょっと想像できない内容の本。著者太田浩一は物理学者。著者が十六人の物理学者とゆかりの街を実際に訪ねて綴ったエッセイ集だ。抑制のきいたモノクロの写真がふんだんに使われ、手抜きのない品格のある文章に好感が持てる。「それでも」という一語が、必ずしも満足ばかりでなかった人それぞれの昔日を彷彿とさせる。
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遅い朝食。トーストと卵焼きとハム以外に懐かしの蒸しパンも半分食べた。午後2時になっても空腹感がやって来ない。午後3時にようやく何かつまみたくなった。半分残しておいた蒸しパンがちょうどよい分量だった。
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久しぶりに水性マーカーを引っ張り出したが、半分以上は色がかすれる。と言うわけで、文章を書こうと思い、今書いている。絵を描くのと文を書くのはまったく別の行為のようだが、行為を下支えしている動機とテーマは案外似通っている。書くことには何らかの自壊作用が伴うが、自浄作用が上回るから書く気になれるのだ。
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やるせなさやせつなさは大きな悲しみの前段階なのか、それとも大きな悲しみが過ぎ去った後の余韻なのか……。やるせない、せつないと言う知人がいる。「それでも人生はまんざらでもない」と気付けばいいのに。小さな喜びに巡り合って人は救われる。仮に絶望的な陥穽に落ち込んだと思っても、何かをしているかぎり救われている。ごろごろだらだらの身に光は照り射さない。小さなことでもいいから没頭できる対象と、ほんのわずかでも没我できる時間があれば、アスファルトのような無機的な日々もそうではなくなってくる。