科挙の受験生である賈島が課題の詩作に没頭していてあたりが見えず、韓退之の行列にぶつかってしまう。行列を乱したかどで捕えられた賈島は事情を説明する。「僧推月下門(僧は月夜に門を推す)にするか、僧敲月下門(僧は月夜に門を敲く)にするか……悩んでおりました」。二者択一の岐路で悶々としていたのである。幸いなことに韓退之は高官でありながら文章家でもあった。文章を綴る難しさ苦しさをよく知っているから、賈島の話を聞いて非礼を許した。そして、その句では「敲」のほうがいいと助言した。助言を受け入れて賈島は運よく登第した。
推すにするか敲くにするかと考えること、これが「推敲」ということばになった。表現を言い換え、文字の間違いを改め、文章を書いては手直しするプロセスである。この故事では二つの候補のいずれがいいかを突き詰めようとしたが、現実的にはもっと多くの選択肢にぶつかる。表現のみならず、構成、文体、表記、その他諸々の見直しを迫られる。とりわけ、日本語の表記――漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、フリガナ――は、他言語に比べて選択肢が多く、草稿から最終稿に到るまで苦悶は続く。
話せるから書けるとは限らない。書くことには話す以上の集中があり、思考することと緊密につながる。別冊宝島から出ている『中島敦』を古本屋で見つけ、およそ半世紀ぶりに作品を読み直してみた。高校生の頃には、いったい中島敦の文章のどこがいいのかうまく形容できなかったが、拙い読解力ながら語感の響きとリズムに感じ入ったものである。とは言え、同書の副題のように「端正にして格調高い文章」などと高校生の身で言えるはずもなかった。
中島敦の文章が美文であるか名文であるかは個々の読者の判断に委ねるが、草稿と浄書を対比させてみて、あらためて推敲の凄まじさをひしひしと感じる。元の原稿の半分は跡形もなくなってしまう。そして、推敲によって作意から乖離していた文章が作意に近づくのである。
冒頭で紹介したように、元来推敲は詩文をしたためる際のことばであった。字句や表現に完成というものはなく、時間さえあれば何度も手を入れたいのが作者の本意である。中島敦のような文才なら草稿がほぼ最終稿になりそうなものだが、そうはいかない。時間が許すかぎり、作意に近い字句や表現を求めるのが書き手の本能だ。書き直すことが考えを練り上げることにつながる。
何度も手で書き直しているうちに、読むことに力点が移っていく。つまり、書き手として書くことから読み手として書くことに徐々にスライドする。主観を脱して客観に入るのである。自作は自壊してこそ自浄する。だから出来上がった完成原稿を浄書と呼ぶ。推敲は手書きゆえに精度が上がる。いきなり草稿をキーボード入力して画面上で字句をいじり、ある文章をカットして別の場所にペーストするような作業では、推敲という域には達しない。ワープロのような上書き修正では書き直された草稿が消えてしまう。手書きなら取り消し線の背後に原文が見える。最初の文と書き直した文を比較対照することに推敲の意味があるのだ。
写真の草稿は『李陵』という小説である。浄書されて完成した作品は青空文庫で読める。但し、ルビだらけで煩雑ではあるが……。