芸術家の日常

ルネサンスが栄華を極めた花の都フィレンツェ。街の中心となる歴史地区を眺望できる小高い丘に上がるとミケランジェロ広場がある。そこにミケランジェロの手になるダヴィデ像のレプリカが建つ。この位置から歴史地区のヴェッキオ宮殿が見える。アルノ川を渡って宮殿のあるシニョリーア広場に降りて行くと、屋外に同じくダヴィデ像のレプリカが一体置かれている。

ミケランジェロが実際に彫刻したダヴィデ像はアカデミア美術館に収蔵されている。ダヴィデ像の高さは6メートル。この巨像が完成した折り、協議委員会が招集されたという記録がある。時は15041月。委員の一人がレオナルド・ダ・ヴィンチであった。レオナルドは出向いていたミラノから久々にフィレンツェに戻っていた。当時52歳。ちなみに、ミケランジェロは29歳。委員会ではダヴィデ像をどこに設置するかが協議された。

同じ年に、レオナルドは共和国の依頼を受けて、宮殿の大会議室に『アンギアーリの戦い』を描き始めた。発注契約書が残っていて、そこには『君主論』で有名なマキャヴェリがサインをしている。当時マキャヴェリは35歳、フィレンツェ共和国の外交官だった。年齢差はあるものの、レオナルド、ミケランジェロ、マキャヴェリはルネサンス最盛期の同時代人である。シニョリーア広場を歩けば出くわしただろうし会話も交わしただろう。実際、レオナルドとマキャヴェリはアルノ川の水路変更プロジェクトを共同で計画していたという。


歴史的名作を通じてレオナルドやミケランジェロを知っている。芸術作品を残した芸術家としての彼らをである。しかし、人間レオナルド、人間ミケランジェロについてはほとんど何も知らない。彼らがいて作品が生まれたのに、まるで作品に付けられた注釈のように人物を認識している。芸術以外の彼らの活動や生活にイメージを膨らませることはめったにない。言うまでもなく、彼らにも普通の人間と同じ日常があった。食事をし用も足し散歩をしていた。ショッピングを楽しみ自宅でくつろぎもしていたのである。

想像してみよう、レオナルドやミケランジェロが会議に出てメモを取り、受注するためにプレゼンテーションをおこない、契約書を結び、パトロンと打ち合わせをしている姿や様子を。絵を描き大理石を彫る以外の彼らの動きに、天才ではない人間味と日常を垣間見、自分と同じだと知って何だかほっとする。芸術作品は芸術活動のみから誕生するのではなく、芸術以外の業務や雑務との併せ技にほかならない。

ぼくたちの意識から生活者としての芸術家の日常が欠落している。天才を天才として見る視点に凝り固まっている。芸術家の息遣いを作品を通して感知するだけでは物足りない。いや、それだけでは理解不十分である。彼らもまた、現代人とさほど変わらない一生活者であったことが想像できる。想像だからノンフィクションではないが、この想像は真理とほとんど換位できるように思う。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です