肯定と否定をめぐって

毎年2月に神戸で開催される全国ディベート大会に関わってから今年で8年目になる。この大会は「防災・社会貢献」に関する論題に特化していて、高校生、大学生、社会人がオープンで議論を競う。ぼくのディベートキャリアはまもなく47年。ディベートの研究者でもないしディベートで生計を立てているわけでもないが、現場での指導と審査にはかなりエネルギーを注いできた。〈関西ディベート交流協会〉という非営利組織を立ち上げて活動してからもまもなく28年になる。にもかかわらず、論題の証明・反証の方法について、議論の優劣判断について、まだよくわからない。深いからではなく、議論が生き物であるため理想の定型が見えないからである。

論題というのはテーマだ。テーマだが、「~について」という形式で記述しない。変革の方向性――または価値の大小――をあらかじめ示す。たとえば「わが社は毎朝掃除をすべきである」という具合に。すでに毎朝掃除をしているなら、わざわざこの論題を議論するには及ばない。掃除をしていない、あるいは、掃除をしていても毎朝ではないという現状があるから、それを変えようと提案するわけである。論題にはすでに「一つの答え」が書かれる。その答えの是非を問う。

論題を肯定する、だからその妥当性を立証しなければならない。この立証に対して否定が生じる。この肯定と否定の立場がディベートの論題をめぐる関係図式になる。しかし、先の論題「わが社は毎朝掃除をすべきである」の例で言えば、毎朝掃除をしていない現状があり、それが望ましくないからこそ論題が生まれたのである。「今のままでよい、何も変えなくてもいい」という立場を「推定」という。疑わしきは罰せずを意味する〈推定無罪〉という術語が示す通り、誰も異論を出さなければ、あるいは単に疑わしいと言うだけで問題を立証できなければ、変革などいらないという立場である。実は、この立場が本来テーゼなのだ。これに対するアンチテーゼが論題であり、論題の肯定ということになる。


現状の政策は、かつて別の旧政策だった〈テーゼ〉に対する新しい政策としての〈アンチテーゼ〉であった。しかし、月日が経てばどんな政策も陳腐化し問題を孕むようになる。安住のせいか怠慢のせいか知らないが、惰性のように維持されて今に到る。ここにおいて、かつてのアンチテーゼが検証のまな板に載せられてテーゼと見なされる。そして、このテーゼに対する変革案が論題で謳われ、それを肯定する立場が新たなアンチテーゼとなる。このアンチテーゼが立証されると、テーゼは覆される。覆されてはなるものかとアンチテーゼを検証し反論する。これがテーゼによるアンチテーゼの否定である。ややこしい話のように見えるが、これが弁証法の出発点になっている。

二律背反の論題を一方が肯定し、他方が否定する。いずれの言い分にも理があると思っても、両方は同時に成り立たない。だから、教育ディベートの審査では議論の優勢な者に軍配を上げる。客観的な証拠と説得力のある論拠が優劣を分ける。教育ディベートでは、論題を肯定する側に立つか否定する側に立つかは自分で決められない。コイントスで決まる。個人的に論題を支持していても、50パーセントの確率で否定する側に回る。したがって、主観的な思いを棚上げして、客観的かつ虚心坦懐に論題に向き合い、「相反する命題のいずれをも証明できなければならない」というアリストテレスの教えを実践することになる。

「肯定は立証責任を負うから大変だが、否定はただ反論していればいいから楽だ」などと言われた議論未熟な時代があったのは確かである。しかし、教育ディベートと異なる実社会の議論は必ずしもそうではない。論者は自分の価値観を引きずる。虚心坦懐の心得が難しいのだ。裏付ける証拠が客観的であっても、論拠や理由づけに主観が入り込む。この傾向は、否定言論よりも肯定言論において顕著になる。たとえばお気に入りのスポーツチームが勝つだろうという推論は我田引水になりがちだ。人間には「ひいき」に対して先入観を優先し、疑いを挟まない傾向があるのだ。

論理的かつ分析的な技術を身に付けるには否定することを覚えなければならない。少々自論が甘くても精度の高い否定検証ができれば、テーゼの質を高める作用が働く。別に二者間でなければできないことではない。いや、むしろ一人の人間においてこのような弁証法的思考を身に付けることに議論の意義がある。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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