写真からの連想

目まぐるしく過ぎたこの一週間。しかし、隙間の時間はあるものだ。ちょっとした隙間にメモしたり写真を撮ったりしている。なぜこれを書いたのか。記憶を再生できないメモはあるが、写真には記憶がくっついていることが多い。記憶がよみがえり、それだけで終わらずあれこれと連想することがある。


衝動で買って手元にあるのだから、これが何かはわかっている。わかっているが、今こうして見てもすでに知ってしまったその名前となかなか一致しない。以前誰かにもらってまだ封を開けていないヒノキのチップにそっくり。風呂に入れたら大変なことになる。これはキャラメル味のココナツである。見た目以上に美味だ。小皿にいくつか置いて「お一つどうぞ」以外に何も言わずに差し出してみよう。いったい何割の人が一粒つまんで口に放り込むだろうか。キャラメルコーンを食べるのに勇気はいらない。キャラメルココナツには、いる。


パワーポイントのクリップアート素材を漁っていたらカジュアルな読書人の写真に出合った。いや、これは読書ではなくて朗読しているのではないかと思い直す。そうだ、書評会で朗読をしてもらおうとひらめいた。不定期で主宰している書評会では一冊の本を読んでまとめることになっている。読めなかったら発表はできない。しかし、朗読ならできるだろう。本の気に入った一節、1ページだけ選んで読めばいいのだから。見開き2ページなら3分もかからない。聴く方も飽きない。たとえば森鴎外の短編『牛鍋』の歯切れのいい冒頭だけなら30秒で朗読できる。但し、噛んでばかりで流暢さを欠いては台無しである。

鍋はぐつぐつ煮える。
牛肉のくれないは男のすばしこい箸でかえされる。白くなった方が上になる。 斜に薄く切られた、ざくと云う名の葱は、白い処が段々に黄いろくなって、褐色の汁の中へ沈む。 箸のすばしこい男は、三十前後であろう。晴着らしい印半纏しるしばんてんを着ている。そば折鞄おりかばんが置いてある。 酒を飲んでは肉を反す。肉を反しては酒を飲む。


ディベートの試合の審査では「バロットシート」なるものを使う。議論の内容の要点をメモし、争点の攻防をわかりやすくフローの形で再現する。何週間も準備をして試合に臨んでいる人たちのことを思うと、安易な聞き方はできない。全身を耳にして傾聴する。話すスピードは書くスピードよりも速いのが常であるから、書き味のよい筆記具を選ぶ。

ディベート大会では数種類の万年筆と水性ボールペンを用意する。その日の調子と気分に応じてこの一本を選ぶ。これと決めれば一筆入魂である。一昨日の大会では左から二本目のブルーブラックインクのボールペンで書き込んだ。


久々に行きつけの古書店を覗いた。全集のうちの一冊『文体』が新品かつ格安だったので、なまくらにページをめくっただけでさっさと買って帰った。文体というのはすでに比喩された術語である。なにしろ「文の身体」なのだから。自分の姿勢、身体つきを知らないわけではないが、後日講演している写真を見て、奇怪な立居に驚くことがある。文体になると紙に書かれたものと自覚との間にはかなりの落差があるに違いない。自分の文体を意識したことはほとんどなく、またテーマによってスタイルが変わるのを承知しているから、自分流の文体などあるはずがないと思っている。

しかし、ぼくの拙い文章をよく読んでくれている人は、テーマに関係なく、文体があると言う。喜ぶべきかどうか悩む。他人様の文章を読んでいて、退屈するのは文体にではない。明けても暮れても同じような話にうんざりするのである。文体が織り成す文章の中身がマンネリズムに陥らないように気をつけておきたいと思う。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です