五月の雑談

暑くなると喋るのが億劫になる。五月の終わりはまだ大丈夫。突然やって来る若い知り合いとの雑談も弾む。ちょっとした気づきも書き留めておこうという気になる。


ひょんなことからコマーシャルの話になった。「お墓のない人生は、はかない人生というのがありましたね」。うん、あったあった。たぶん関西限定。「はかない」と「墓ない」がダジャレになっただけだが、耳にこびりつく効果があった。

死後の話ではなく、生きている今、もしなかったらはかなく感じるのは何だと思う? 「一つだけ挙げるのはむずかしいなあ、クリープを入れないコーヒーははかないとか……」。うーん、それはない。クリープなんて元から使ってないし。それを言うなら、「コーヒーのない生活ははかない」ではないか。あ、コーヒーを淹れよう。あいにくクリープはないけれど。

「近々ヨーロッパ旅行に出掛けるんです」。羨ましいなあ。ぼくもそのつもりだったが、仕事や体調のこともあって春先に断念したばかり。旅のない人生ははかないと思う。人生そのものも旅だけど、人生以外の旅もいる。別に欧州まで行かなくても、近場を非日常的感覚で歩くだけでも、ちょっとした旅になる。見えなかったものが見えてくるし……。いや、見えているのに見なかったと言うべきか。

旅に出ると人や光景に出逢う。出逢いとは「邂逅」。ふつうは「かいこう」と読むけれど、裏ワザ的に「わくらば」と読ませることがある。「わくらばと言えば、病に葉と書く『病葉』もありますね」。そう、それもある。ちなみに、病を「わくら」、葉を「ば」と読むと思っている人が多いけれど、病葉は熟語訓なので分解できないんだ。知ってた?


最近小さなグリーンをちょくちょく買っている。前からあったのも生き長らえているが、病葉じゃないかと思うことがある。道端の雑草のほうがよほど元気だから。ベランダの鉢植えの名は知っているが、雑草の名は知らない。有名か無名かの差が天と地の居場所になってしまう。雑草にだって名はある。名がありながら無名扱いになるのは人も同じ。

「そろそろアジサイの季節ですね」。たしかに。でも、子どもの頃庭に咲かせていたアサガオのほうが印象深い。ところで、メジャーなアサガオがマイナーなヒルガオに組分けされているのを知ってちょっと複雑な気分になったことがある。有名なアサガオのほうをグループの屋号にすればいいのに……。

朝顔の科がヒルガオでサツマイモ属だと知って見方が変わる /  岡野勝志


「思い出や印象の濃淡、遠近感は人それぞれですね」。だからこそ、こうして雑談ができるわけだ。みんな一緒だったら話すことなどない。ちょっと前までは、思い出や印象は脳の記憶だけに依存していたけれど、最近はそれだけではないような気がしている。自分と長く時間を共にしてくれた物からいろんなことを思い出させてもらっている。

思い出は記憶庫にあるのみならず 物の中にも綴じられている  /  岡野勝志

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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