小題軽話(その3)

懲りずにノートの話  何かが気になるのは、その何かを覚えているから。脳やノートに手掛かりのある状態だ。しかし、たいていの事柄は「時限記録」。安物の感熱紙かホワイトボードに書かれた文字のように、いずれは消えるか消されてしまう。消えるのは思い起こしをしないから。消されるのは外部から刺激的な情報が入り込んできて取って代わるからである。インプットした情報は脳に永久記憶されるのではない。ノートに書いても、書いたことを即座に思い出すには別の能力がいる。「参照力」とか「引き出し力」のことだが、書いたものを何度も読み返し、書いた当時の思いを再生する以外にこの能力を維持する方法はない。

思い出し笑い  たとえば喫茶店で一人でいる時、自分が思い出し笑いをしていても気づきにくい。しかし、斜め向かいのテーブルの他人が思い出し笑いをしているのには気づく。思い出し笑いを観察する趣味はないが、一度見てしまったら、何度か視線を向けることになる。どうでもいいのに、なぜ笑っているのだろうか……と想像したりする。やがて気味悪くなる。しかし、もっと気味悪いのは「思い出し作り笑い」である。

強い意志!  すごい決意表明をした男がいた。「何が何でも決めたことをやり遂げる。これまでの悪習を排除して、日々小さな善行に努める。これは自分との絶対に破らない約束だ。これからは他人の模範となる存在として生きていく」。彼のことをよく知っている。三日坊主を絵に画いたような人物である。寒気がした。そして、ふと思った。「理念やビジョンを語るのに能力はいらない、ただ厚かましく意志もどきを表明すればいい」。

ブランドとブランディング  そもそもブランドとはすでに顧客が認めている価値ではないのか。長年にわたって共感や信頼を得てきたイメージではないのか。しかも、ほとんどのブランドは「ブランドとして認知されるように育て上げよう」などという戦略を立てたとは思えない。企んでブランディングした俄かブランドははたしてブランドなのか。うわべはそうかもしれないが、ブランドの体幹が違っている。正真正銘のブランドに注釈はいらない。余計なことを言ったり示したりしなくてもいいのである。

銅板と銅製品  「平たい銅版から銅製品が作られる」(A)と言えばわかりやすい。誤解の余地はない。しかし、この一文は銅にしか通用しない。銅以外の素材や製品にも使える表現はないものか。ある。「二次元の材料から三次元の造形をおこなう」(B)と言えばいい。Bの表現にはAに比べて抽象的で小難しいというケチがつく。このような概念的言い回しはとっつきにくいが、高次の知には欠かせない。Bは、Aにはもちろん、それ以外の諸々にも還元できるのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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