ヒューマンスキルの核

「ノリヒビ」ということばを聞いたり読んだりしたことがあるだろうか。「海苔ひび」。海中に立てる竹や粗朶そだという木の棒のことである。この棒に胞子を付着させて海苔を養殖する。最初は遅々として目立たないが、やがてしっかり定着すればみるみるうちに海苔が繁殖していく。

何かが大きく成長するためには、この棒のような核が必要で、学んだことがどんどんまつわりついていかなければならない。ノリヒビはそんなたとえにも使われることがある。では、ヒューマンスキルにとって、ひびや胞子に相当するのは一体何だろうか。


学び手と学習メニューの関係は、身体とサプリメントの関係に似ている。毎日の食事さえバランスよくきちんと摂り、ほどよく運動して筋肉を鍛えていればおおむね問題無しとは、良識ある専門家が異口同音に唱えている。しかし、栄養に過多や偏りがあると体力に不安を覚え体調異変を感じる。そうなると、中高年には手っ取り早くサプリメントに依存する傾向がある。

ぼくも例に漏れなかった。ウコンに卵黄ニンニク、納豆キナーゼにノコギリヤシ、マルチビタミンや各種ミネラルを試してみた。通販で買ったためにしつこくフォローの電話攻めにも遭った。やがて主客転倒していることに気がついたのである。栄養源は水で流し込むのではなく、よく噛まねばならないのではないか。きちんと食事をして年齢相応に身体を動かし、歩き、ストレッチをする。そういうふうに生活スタイルをシフトして現在に到っている。


ヒューマンスキルのサプリメントには何がいいのか。世の中には学習メニューが目白押し。摂取しても摂取しても効き目を実感していない人たちも多い。摂取後は何らかの効果を実感できたとしても、効き目は持続しない。何日かすれば元の木阿弥状態になってしまう。学習メニュー提供側のぼくとしても、大いに反省しなければならないと思っている。

食事同様、学習サプリメントはあくまでも副である。サプリメントとはもともと「補足」という意味だ。不足を補うものであって、主たる存在ではない。毎日の食事が主であるように、もっともよく使うスキルこそが主ではないか。そう、ヒューマンスキルの主食はことばというリテラシーなのだ。リテラシーこそがノリヒビであり、ぼくたちは幼少の頃から「ことばの胞子」をずっと養殖してきた。

日々振り返れば、生活も仕事も読み・聴き・話し・書くで成り立っている。言語の四技能というリテラシーを駆使して一日を過ごしている。いかなる専門スキルも言語の核にまつわりつく。肝心要の言語力が乏しければ、知識や情報を大量に取り込んでも定着しないのだ。そして、レベルアップするにつれて、とりわけ読むことと書くことの重要性が高まってくるのである。

イタリア紀行15 「城壁とプッチーニ」

ルッカⅠ

どの季節にその街を訪れるか。一人で行くか、誰かと行くか、団体で行くか。そこにどのくらい滞在するか。街のどこを見るか。他のどの街を訪問した後にそこに行くのか、その街の次に訪れる街はどこなのか。条件によって街の印象は大きく変わる。街との出会いは運命的である。

数え切れないほどの特徴の組み合わせがあるにもかかわらず、紀行文はごくわずかな一面しかとらえ切れない。街の印象をしたためるのは個々の旅人の自由だ。そして、旅人の印象はたぶん偏見に満ちている。これは批判ではない。国勢調査員のような旅人であってはいけない、という意味だ。ルッカ(Lucca)についてぼくがこれから綴る内容も、実体を写実的に描写するものではなく、印象のスケッチにすぎない。

前回、前々回のアレッツォと同様、ルッカが定番のイタリアツアーに入ることはまずない。オプショナルツアーとしても考えられない。フィレンツェから西へ準急で約2時間、これが、この街に出掛けてみようと思った「ホップ」。オペラ『蝶々夫人』のプッチーニの生まれ育った街、これが動機の「ステップ」。最後の決め手になった「ジャンプ」は、ルッカが戦争を知らない、イタリアでも稀有な街であることだった。思いを三段跳びさせないかぎり、ルッカに行く決断はしづらい。

ルッカはトスカーナ州の北部に位置する、ローマ時代から続く歴史ある街だ。12世紀初頭に自治都市になり、1617世紀に城壁が建設された。今も旧市街は高さ12メートルほどの城壁に囲まれている。完璧な城壁があったから戦火に巻き込まれなかったのではなく、まったく偶然の幸運だったようだ。地理的に恵まれたという説もある。

ルッカの駅に着くと、通りを挟んですぐに城壁が見える。遊歩道に沿ってドゥオーモから街へ入り、ナポレオン広場、サン・ミケーレ広場、中世の家、プッチーニの生家、円形競技場跡など主だったところを徒歩でくねくねと辿っても2キロメートルにも満たない。なにしろ街を取り囲んでいる城壁の長さが約4キロメートルだから、とても小さな街なのである。それでも縦横に伸びる細い通りで迷ったり、プッチーニの生家にはなかなか到達できなかった。いろんな人に尋ねながら歩いた。ルッカの人たちはみんな笑みをたたえた親切な人ばかりだったが、プッチーニの生家を示す指の方向はみんな違っていた。

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城壁の上の幅78メートルの遊歩道が街を取り囲んでいる。
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大聖堂はカテドラーレ・ディ・サン・マルティーノ。聖マルティーノはルッカの守護聖人。ファサード部分の3つのアーチがロマネスク様式の特徴。
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 ファサード前のサン・マルティーノ広場。この日のルッカは課外授業らしき中高生や小グループの観光客で賑わっていた。
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ナポレオン広場。戦争を知らないルッカは、19世紀初頭にナポレオンの妹エリーザが治める公国になった。広々としたこの広場が気に入り、ピザを買ってきてここでランチ。
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街と市民の生活の中心となるサン・ミケーレ広場。ローマ時代の遺跡を利用してつくられた。
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サン・ミケーレ広場から約100メートル歩くとプッチーニの像。
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最後に出会ったおじさんが教えてくれたプッチーニの部屋。
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プッチーニの生家であることを記す大理石の銘板。 

学び学でリテラシーアップ

手っ取り早く役に立つハウツーばかりに目を向けずに教養を身につけよ。いや、社会に出れば教養なんぞよりも実践的ハウツーだ。このテーマは議論伯仲すること間違いない。しかし、生意気なようだが、ちょっと一段高いところから見れば、どっちも正しいのだ。

精読か速読かという本の読み方にしても、いずれかが他方よりすぐれているわけではない。どちらにもそれなりの意義がある。読書という一種の学習行動は、青二才的に言うと、自己を高めるためである。精読だけが自己鍛錬の手段ではなく、即席ハウツーをスピーディに読みこなしていっても何がしかは身につくものだ。

良し悪しは別にして、ぼくは独学主義者である。ここで言う独学とは、本や人から学ばないということではない。本や人から初歩的な手ほどきを学んだら、あとは自力で学ぶという意味である。独学の必要性は英語学習を通じて身に染みた。高度なレベルに達するには、早晩鍛錬の方法を自己流にシフトしなければならない。それならば、初心者の頃からその志で進めるほうがいい、と考えたのだ。

先日このブログで紹介した拙著『英語は独習』もそんな動機から書き綴った。英語は独習できる、いや独習しかないという信念は今も健在である。強気なようだが、たいていのテーマは独習できると断言してもいい。

拙著の出版当時、友人の一人に献本した。「なかなか読み応えがあるし、勉強になったよ」とうれしいコメントをしてくれたが、続けて「でもなあ、独習と言いながら、独習の方法を教えているのは矛盾じゃないか」と批評された。う~ん、これは微妙な感想なのだが、決して矛盾ではない。学び方を知らない人に学び方を手ほどきしたとしても決して独習論とは対立しない。独学のスタートを切るには、動機づけと初動のための方法が欠かせない。


ここ数年、ぼくは「まながく」というテーマを強く意識している(ほんとうは「学学」と表したいのだが、「ガクガク」と読まれては困る)。これは「手ほどき学」でもある。根底にある考え方はリテラシー。しかも、どちらかと言えば、言語能力と活用スキルを重視する、読み書き算盤的な「古典的リテラシー」だ。大仰なものではない。ちょっとした一工夫でその後の学びの成果が天と地ほど違ってくる。成果が天の方向になるように、学びの出発点で背中を押して初動エネルギーを集中させてあげるのだ。昔の人たちは、これを「指南」と呼んでいた。あくまでも手ほどきであり、一生面倒を見てあげるというものではない。

どんな仕事をするにしてもリテラシー能力が問われる。そして、人間というのは頼もしいことに、リテラシーを高めようとする本能を備えている。知への好奇心、これをぼくは「知究心ちきゅうしん」と呼ぶ。一から十までそっくり誰かから学んでどうなるものか。最初の一つだけ学び方の手ほどきを受けたら、知究心を逞しくしてさっさと二からは独学に励む。機を見て、リテラシーアップにつながるヒントを本ブログで紹介していこうと思う。 

さりげなさと極論のはざま

大分むぎ焼酎二階堂。時々たしなむが、特に熱狂的な愛飲者というわけではない。昭和レトロの空気を醸し出し、ちょっぴりノスタルジーに嵌まってしまう例のテレビコマーシャルがいい。何がいいかと言うと、二番煎じやステレオタイプな構成ものや大声・雑音ばかりの広告が続いた後にほっとする瞬間があるからだ。

「イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか。」

このせりふを耳にするたびに、「いやいや、そんなことはない」と心中つぶやくぼくである。肯定側と否定側に分かれて激論を交わすディベート指導をしてきた立場からすれば、イエスとノーで二律背反的に割り切ったらどうかと言いそうなものだが、そこまでディベート馬鹿ではない。だいいち、イエスとノーという二つの選択肢だけでは窮屈で、世の中を生きていくことなどできない。

逆説的に言えば、イエスとノーの間に命題の落としどころを見つけるために、イエスとノーのいずれかを極論するのである。振り子は、一番左に振れたあとに一番右にもやってくる。その中間に真理というものがあるはずだ。つまり、一番左と一番右に振れた地点をよく見つめれば、そのはざまにある領域にも目配りができる。もっとも、その振り子が振れる範囲に真理があるという前提での話だが……。人間が想定した範囲以外に人知を超えた真理がある場合には、イエスもノーも、はたまたその中間もまったく意味を持たない。


くだんのコマーシャルは続く。

「筆を走らせたのは、宙ぶらりんの想いでした。 想いのかけらは朽ちることなく、ざわざわと心を揺らします」

なかなかいいではないか。悲しくはならないが、しみじみとした哀愁が漂ってくる。

イエスとノーの分別ができるから何でも断言したり結論づけたりできるのではない。イエスとノーを明言してからこそが、悩みの始まりなのだ。そう、まさに「宙ぶらりん」の状態が続く。ところが、イエスとノーをはっきりさせない者ほど、すでに腹が決まっているなんてこともある。口先で「五分五分です」とか「ケースバイケースです」とか「どちらとも言えません」とか「肯定も否定もしません」という輩にかぎって、心が醒めているものなのだ。

イエスとノーという二律背反と、その中間にあるグレーゾーンは決して矛盾しない。「白黒をつける」と言うとき、白と黒は相反しているが、グレーゾーンを少しずつ辿っていくと白はやがて黒になり、黒もやがて白になる。イエスとノーの間のグレーゾーン、あるいは宙ぶらりんが「さりげなさ」というものだろう。「曖昧さ」と言ってもよい。これに対して、イエスとノーは極論である。グレーゾーンを排除するという点においては「明快さ」と言ってもよい。

極論と明快さが必要な重要局面でずる賢くさりげない振る舞いを見せ、さりげなく済ませればいいことに対して白黒をつけたがる。そんな風潮が支配的になってきた昨今、一献を傾けながら、「イエスとノー。その二つの間には、何もないのだろうか」と時には自問自答してみるのも悪くない。

自分特有のことばの盲点

タイトルに「盲点」と書いて、一瞬ドキッとしてしまう。「まさかこれは差別用語ではないだろうな」と。講演業においては、この種の「基本的人権にかかわる諸問題の一つ」に神経をピリピリさせねばならない。とりわけ、ぼくのような「言いたいことをストレートに表現するタイプ」は気を遣う。

何かの本で「エスキモーは避けたほうがいい」と書いてあったので、「イヌイット」と言い換えて講義していた(いったい何の講義かと思われるかもしれないが、たわいもない文例である)。一人の受講生が手を挙げて「イヌイットって何ですか?」と聞くから、「あ、エスキモーですよ」と答えた。重罪ではないだろうが、簡単に口を割ってしまった。これではわざわざ避けた意味がまったくない。

論理的思考研修の中で「私の家内は……」という、これまたさりげない例文がある。講義の休憩時間中に運営担当者から一言あった。「家内ということばはお使いにならないほうがよろしいでしょう」と丁重に注意され、重罪ではないものの「諸問題の一つ」を逆撫ですることもあると説明を受けた。「私の妻は……」と言うところらしい。

しつこいが、「教授の奥さまは……」という引用文が出てくる箇所もある。これもダメらしい。「えっ? 奥さまがダメなら何と言えばいいんですか?」と聞いたら、「教授の妻です」とおっしゃるので、「う~ん、それは勇気がいるぅ~」と唸っておいた。差別用語か何か知らないが、用語に敏感になる前に、使い手に悪意ある差別心があるかどうかを見極める眼力を身につけていただきたい。


さすがに「片手落ち」とはぼくも言わない。しかし、「手短に」というのは相当性根を入れないと、ふと洩らしてしまう。「要約すると」とか「かいつまむと」ということばが使えないわけではないが、英語をよく勉強した時代に“briefly” “in brief”を「手短に」と覚えてしまっているのだ。完全に刷り込まれているので、ブレーキをかけるのが難しい。

個々人には「語彙の地図」があって、あるところはものすごく詳しく、別のところは漠然としているのだろう。あることばに神経質になったりへっちゃらになったり、丁寧になったり乱暴になったり、よく知っていたり知らなかったりと、様々な濃淡や陰影があるに違いない。

差別用語とは無関係だが、二十代までのぼくは午前と午後を使い分けて12時間で時間を認識していた。午後7時と言うのが常で、19:00を使うことはなかった。いきおい、「13時に」と告げられて、午後3時と錯覚することはよくあったものだ。

以来30年近く経ったので、さすがに大きな混乱はしない。13:0014:0015:00も、それぞれ午後1時、午後2時、午後3時と当然判読し、何の不自由もない。19:00から22:00までも何の問題もない。ところが、ぼくには一つ盲点がある。どういうわけか「17:00」に弱いのだ。たいてい午後5時と瞬時に理解するのだが、少し油断をしたり集中力が欠けているときは「午後7時」と思い込んでしまう。

研修タイムテーブルはおおむね「9:00始まりの17:00終了」であるが、この17:00を勘違いする。「おっと、あと1時間で17:00だ。これは午後5時であって、午後7時ではないぞ」と言い聞かせるときがある。何かのきっかけでトラウマになったのだろうか。

イタリア紀行14 「記憶に残る街景色」

アレッツォⅡ

「無印良景」ということばがあってもよい。観光ガイドにも載っていないし、地図のどこにも印すらない場所や建物。写真に撮ってみたものの、写っている光景や風景の固有名詞を後日調べるすべもない。そんなシーンが街外れの一角に忽然と現れると鼓動が高まる。

ここアレッツォは詩人ペトラルカの生誕の地でもある。地図を調べてみたら、生家の前を間違いなく通り過ぎているのだが、写真には収まっていない。その先の大聖堂(ドゥオーモ)や市庁舎を目当てにしていたから見落としてしまった。とりわけ、この日は骨董市のせいで視線と視野をいくらか不安定にしてしまっていた。目抜き通りでは、人混み越しに建物や通りをゆっくり眺める余裕はなく、人の流れに従うのが精一杯だった。

ところが、名前も位置も知らぬままに何気なく撮影した写真なのに、突き止めることができたのもある。サント・スピリトの稜堡がそれだ。「りょうほ」と読むこのことばは、かつての城壁の突出部分を指すらしい。もう一つ、イタリア通りから東の方向に150メートルほど歩いていくと、絵本によく描かれるような教会が姿を見せた。外観をじっくり眺めるだけで内部に入らなかったので名前がわからない。場所を地図で照合した結果、「サン・アゴスティーノ教会」ではないかと推測している。

初めて訪れる街について事前に知識があるほうがいいのか、それともまったく知らないほうがいいのか……微妙である。ただ、この日のように半日に限って散策するときは「不案内ゆえのときめき」に遭遇できるかもしれない。知ったかぶりをせずに「知らざるを知らずとせよ」という教えにしたがえば、自分なりの、あるいは、自分だけの発見があるに違いない。洒落たリストランテ、自治会の案内板、街外れの質素な教会、迷い込んだ通り、帰路に見つけたキメラの噴水……。アレッツォの知識は今も大したことはないが、不思議なほどこの街の道すがらの光景はよく覚えている。 《アレッツォ完》

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市庁舎。どの街に行っても市庁舎前で市民は憩っている。
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賑やかな通りから一本隣りへ入れば閑静な街並み。
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メディチ家の紋章が装飾された壁。トスカーナ大公国統治時代の建物。
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入店したリストランテは、暖色系なのに落ち着いた雰囲気だった。
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サン・アゴスティーノ教会。
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エトルリア時代の稜堡。
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円形闘技場跡。入場料は無料。但し、外から十分に見学できる。
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ギリシャ神話由来のキメラの像。

刺激を与え刺激を受ける

先週末の私塾で「閾値」の話をしたら、塾生の一人が早速自身のブログで取り上げていた。閾値を知らない塾生が大半なので話をしたのだが、彼にとってはこのことばは初耳ではない。これまでも何度か考察をしてきたはずである。

 初めて聞くとわかりにくい概念だが、何度か自力で考え経験に照らしてみると理解できるようになる。彼は自身の経験をいくつか振り返り、閾値突破の過程を描いている。「テーマ選び、深い悩み、継続」が重要な条件だとしたうえで、次のように続けている(以下引用)。

「閾値を超え、当該分野におけるプロフェッショナルと言われる職業人になるためには、これらの条件を満たさなければならない。(中略)閾値とは、一種のコツを習得する瞬間であり、プロフェッショナルの条件でもある『再現性』を保証する瞬間である。」

どうやら閾値に関する理解の閾値を超えたようである。「プロフェッショナルの条件でもある『再現性』」とは、身体で覚えたスキルが黙っていても何事かを正確に何度も何度もやり遂げてくれることだ。これは「暗黙知」に似通っている。「ことばではうまく理屈を言えないが、勘や身体や指先の技能などが創造的に働いてくれるような知」を暗黙知という(たとえば、折り紙の折り方をことばで説明することはできないが、勝手知った指先がものの見事に形を仕上げていくような技能的知識)。


ちなみに、閾値という漢字は「いきち」または「しきいち」と読む。「閾」単独でも「いき」や「しきい」だが、敷居にも通じる意味をもつ。敷居のこちら側と向こう側を隔てるのはわずか数センチだが、この差がきわめて大きい。

さて、15年前に拙著『英語は独習――自己実現に迫る英語カウンセリング塾』の中で、閾についてぼくは次のように書いた。

いき」という言葉があります。「刺激がだんだんと増えて、ある点に達すると、そこを境にして感じたり感じなくなったりすること」です。

これを英語学習に当てはめるとどうなるか。

まず、初心者の場合。苦労に苦労を重ねて勉強する。いくらやっても、なかなか上達感がわいてこないが、ある日突然、手応えを感じる。いったんこの手応えをつかむと、あとはトントン拍子で伸びていく。努力が達成の喜びとして「感じられるようになる」のです。

次に、少し力がついてきた人の場合。単語や構文を意識して覚えていく。しゃべるときにも、頭のなかであれこれと単語を組み合わせる。しかし、あるところから無意識に使えるようになってくる。基本的な事柄はある程度機械的に口をついて出てくる。こうなると、もはや英語を「感じなくなる」のです。(中略)

グラスに水を注ぐ。当然のことですが、なみなみと注がないと水はあふれません。ギリギリまで注いでも、表面張力の仕業でなかなかこぼれない。そろりと一滴を加える。それでも水は踏んばる。もう一滴。まだこぼれない。しかし、こうしているうちに、何滴目かの一しずくが一気に水をあふれ出させます。

ほとんどの英語ダメ人間は、あふれるほど水を注ぐ前にあきらめたり頓挫してしまっているのです。少し注ぐだけでは、次に注ぐまでに前の分が蒸発してしまう。グラスが一杯に満たされるまで、集中して、真剣に、しかもある程度一気に注がないとダメなのです。


長い引用になってしまった。まずまず説明できていると思う。英語学習を他のテーマに置き換えても通用する。一点補足すると、閾値とは「最低限(最小限)これだけのことをしないと一皮むけない」という変化反応点である。昨日までにっちもさっちもいかなかったことが、ある境界線を越した瞬間、みちがえるほどうまくいくようになる。数年間まったく変化がなかったのに、ある日の一時間で何段階も一気に昇り詰める。「読書百遍意自ずから通ず」や「只管朗読」にも通じる現象だ。

適性やセンスやそれまでの経験というものもあるから、最小限どれだけのエネルギーを注がねばならないかは人によって違う。時間量が重要なのではない。だらだら時間を費やしても閾値には達しない。時間とエネルギーの集中度こそが鍵をにぎる。

ぼくが与えた刺激をしっかりと増殖・増幅してくれた塾生。それがターンする波動のごとく新たな刺激となってぼくのところにやって来る。このような知的切磋琢磨が、閾値突破の一助となること、間違いない。 

顔――この神妙なる正面

「立てたと思えば潰したり、曇らせたり、赤くしたり、出したり、合わせたりつないだりするものなあ~に」となぞかけされると、意外に難しい。顔は面目であり、表情であり、怒りや恥じらいであり、自分自身であり、関係であったりもする。

解剖学的に言えば、顔は頭部の一部である。後頭部が背面で顔が正面ということになっている。後頭部ということばはよく使う。しかし、用語が存在するにもかかわらず、あまり「前頭部」とは言わない。「きみ、もう四十歳になったのだから、自分の前頭部に責任を持ちなさい」などと部下を説教することはない。わたしたちは、それを顔と呼んでいる。

顔。額と眉と目と鼻と口が存在している側である。顔は名刺代わりにもなり、それゆえに責任を持たねばならないのだろうが、後頭部は名刺代わりにはならないし責任も持ちにくい。顔には複数の部品とやや複雑な起伏もある。それらが千変万化のバリエーションを演出し、人物を認識する際に後頭部よりも多くの材料を提供してくれるのだ。

慣れ親しんだ人物ならば、後姿を見るだけで特定することも可能だろう。場合によっては、後頭部の形状と髪の刈り込み方やスタイルを見て、「よっ、〇〇さん!」と肩を叩くこともできる。もちろん時たま人違いなんていうこともあるが、相当に親しいからこそ「よっ」と声に出して肩に触ろうとするのだ。自信の裏打ちがあるはず。それでもなお、顔に比べれば後頭部の情報は圧倒的に少ない。

☆     ☆     ☆

したがって、後頭部ではなく、人物の正面、つまり顔を自動販売機に認証させようとしたのは正しい試みである。どんなに立派なセンサー機能をもつ自販機であっても、後頭部から年齢を認証せよと命じられても、いかんともしがたいだろう。後頭部なら、とりあえずカツラでしのげそうだし、人毛のカツラであれば自販機は見破れないだろう。

もしわずかのズレやムレ具合を感知させようとしたら、莫大な開発費がかかってしまう。いや、それがカツラであることがわかったとしても、年齢認証にはつながらない。二十歳以上のれっきとしたオトナのカツラを見破って「あ・な・た・は・カ・ツ・ラ・で・す」とか「バ・レ・バ・レ・で・す」などと音声合成で告げてもお客を怒らせるだけだ。それは、自販機に課せられた顔認証の仕事ではない。自販機の仕事は、二十歳のラインの上下を見極めることなのだ。

繰り返すが、人間も自販機も人物を顔によって認識するのが正しい。しかし、丸刈りの六十歳の男性は「二十歳未満」と認識されたためタバコを買えなかった。その自販機には「丸刈りイコール中高生」という偏見がプログラムされていたのだろうか。他方、高校生が顔をしかめるようにクシャクシャにしたら、オトナと認識されてタバコが買えた。自販機は皺だらけの高齢者と丸刈りの青少年だけしか認識できないのではないかと疑ってしまう。

オトナと子どもに年齢差があるのは当たり前だ。しかし、顔というものは年齢に必ずしも比例しない。老けた十代もいるし、童顔の二十代もいれば、若さを自慢する三十代もいる。しかしだ、二十歳以上と二十歳未満の認識は人間にも機械にも無理だろう。

街角で時々見かけるが、自販機の前ですまし顔をしているのは滑稽である。まるで自販機におべっかを使っているみたいではないか。顔というものは、自販機に正しく認証されるために首の上で正面を向いているのではない。この顔、決して威張れるほどではないにせよ、機械なんぞに認められてたまるか! そんな自尊心だけは持ち続けたい。自販機の失態事例を聞くにつけ、神妙にして不思議なる顔への関心が強まる。

イタリア紀行13 「美しい人生の舞台」

アレッツォⅠ

アレッツォ(Arezzo)という街について詳しかったわけではない。フィレンツェから南東へ普通列車で1時間ちょっとの立地なので、日本を発つ前から訪問地にリストアップしていた。前知識は、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の撮影舞台であること、毎月第一日曜日に骨董市が出ること、エトルリア時代の面影を残していることくらい。この街の名物は何と言っても「サラセン人の馬上槍大会」だが、開かれるのは6月と9月の年二回。訪問したのが3月なので、観光的にはシーズンオフだった。

純粋に街の散策に徹することにした。駅から旧市街までは徒歩10分。メインのイタリア通りをぶらぶら歩きする。骨董市の日だったので、大勢のアンティークマニアで石畳の狭い小道がごった返していた。一見してプロと思われる人々も品定めをしている。買い付けに来ている数人の日本人にも出会った。

くだんの映画の主演・監督を務めたロベルト・ベニーニの故郷がこのアレッツォで、その縁もあって舞台になったのだろう。映画に頻繁に出てきたグランデ広場に興味津々だったが、アンティークのにわか屋台が埋め尽くしていて臨場感には乏しかった。「グランデ」は「大きい」という意味なのだが、映画のシーンで感じたほどの広さではない。

歴史上の有名な芸術家がこのアレッツォで生まれ育った。グランデ広場は別名「ヴァザーリ広場」と呼ばれており、ルネサンス後期の芸術家兼建築家のジョルジオ・ヴァザーリにちなんだものだ。本人が広場の設計に携わっている。他にも絵画に初めて遠近法を採用したピエロ・デッラ・フランチェスカもこの街の出身である。

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アレッツォ駅。旧市街の北東のプラート公園へはモナコ通りかイタリア通りを経由する。 
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イタリア通りに立つ骨董屋台。
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ガラクタか掘出し物か判然としない品々。狭いスペースに雑然と放り出されている。
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使用済み絵はがきを売る店。何語かわからない時代物にもマニアが存在する。
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そこかしこの通りが人で溢れ返る。
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古い建物の外観をリフォームしたカフェレストラン。“Vita Bella”は「美しい人生」。おそらく映画の題名を拝借したに違いない。
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グランデ広場の一角に存在感を示すヴァザーリ設計のロッジェ館。1階は天井の高い柱廊。
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イタリア通りの街角。建物の壁色はベージュとグレーの色調が多い。 

背伸びと踏み台

過去10年分の研修レジュメを整理していると、「あれ、こんなこと書いたり喋ったりしていたかな?」という項目に出くわす。無責任だ! と咎められてもしかたがない。言い訳をするならば、底辺に流れる考え方が同じであっても、なるべく今という時代にシンクロする話題やエピソードを盛り込みたいという願望がある。それゆえ、たとえば『企画力』や『マーケティング』の研修はほぼ毎年バージョンアップすることにしている。

というような次第だから、数年以上経ってしまうと、自分が書いたにもかかわらず「あれ!?」というネタに遭遇することになる。もちろんたいていは覚えている。「これはリメークすることができるのではないか」というネタを再発見することもある。その一つが「背伸びと踏み台」というテーマ。学習と固定観念にまつわる話だが、気に入った別の切り口が見つかったので、この話はもうだいぶ前にお蔵入りになっていた。しかし、学び下手な人には役に立つ話である。


ところで、大学在学中、ぼくは英語研究部に所属していた。入部してきた新1年生を3年生が指導する仕組みになっていた。根っから英語を苦手とする学生は数少ない。ほとんどが、三度のメシよりも英語が好きか、高校時代に英語を得意科目にしていた連中である。ぼくの世代がいきなり与えられた教材は中級編であった(習得すれば英米人と対等に会話や対話ができるほどの高度な内容である)。

ところが、当時の2年生は1年生時に初級教材から学習を始めていて、まだ終えていなかった。つまり、一年上の2年生は初級の後半を学習していたが、ぼくたち新入生は中級からスタートを切ったのである。一年後、それぞれ3年生、2年生となったが、実力においてはすでに逆転していた。つまり一年後輩たちのほうが英語力をよく身につけていたのである。

その後、二十代の数年間、実社会の英語教育の現場で指導と研究に携わってきた。その経験から確実に一つ言えること。それは、たとえ〈入門→初級→中級→上級〉と段階を踏んで学んでも、成果はその順番で獲得できないということだ。さらに言えば、高いレベルを目指すのであれば、いつまでも入門や初級あたりをウロウロしていてもダメなのである。


ぼくの研修や私塾の内容に対して、受講生や塾生は「難しい」と感じる傾向が強い。「入門」と銘打っていても、「どこがいったい入門なんですか?」と問われることさえある。それもそのはず、レベルを高く設定しようと意識して「難解だが愉快」を講義の特徴にしているからである。なぜか? 学び手が社会人だからである。さらには、すでにわかっているレベルの事柄をわざわざ学んでもらうのは、エネルギーと時間と費用のムダになると考えるからである。

自分の今のレベルより一段でも二段でも高いところを目指す。これを「自力による背伸び」と呼ぶ。そのレベルに達するための支援を「他力による踏み台」と呼ぶ。題材や教材を工夫して踏み台よろしくジャンプしてもらい、現在の自分を精一杯背伸びさせてより上級の領域に指先をタッチさせる。

いくらでも上達できるチャンスがあるのに、今の自分が余裕で理解できるレベルに止まっている人たち。難しいとか役に立ちそうもないといつも不満をこぼしては、未知の領域への挑戦を拒んでいる人たち。こういう人たちに対して、ぼくは講義を通じて次のようなメッセージを送り続けている……。

「すでにクリアできている高さのバーではあるけれど、もう一度越えることができたら、それはそれでうれしいでしょう。しかし、実際は、学んだ気になっただけで、新たな学びにはなっていません。」

「今のあなたがもう一段階スキルを伸ばして一皮むけるためには、バー自体を跳んだことのない高さに設定したほうがいいのです。」

「つま先を立てて背伸びをすれば届くかもしれないのに、じっとしている。いや、すぐに届かなくてもいい。背伸びという自助努力をしていれば、成長を促してくれるぴったりした踏み台が見つかるものなのです。」

「あなたが現在到達している実力。その記録を塗り替えるのはあなた自身です。確実に越せるバーにいつまでもこだわらないように。越したことのないバーを越そうとすることが真の学びなのです。」