タイトルは悩ましい

二十代後半から三十代前半の数年間、コピーライティングの仕事に携わった。企業や商品のコンセプトを煮詰め、見出し(ヘッドライン)を数語か一行そこそこで表わす。ダラダラと文字を連ねる看板などない。同じく、見出しもことば少なく簡潔でなければならない。言いたいことはいっぱい、しかし、メッセージはかぎりなく凝縮しなければならない。

ストレスのたまる仕事である。英文ライターゆえ、ことばのハンデもあって表現もままならず、もどかしい時間と闘わねばならなかった。ブログのタイトルと記事本文との関係同様に、見出しを決めてから本文を書く場合と、本文を書いてから見出しを練る場合がある。見出し→本文の順だと主題を落とし込む演繹型(トップダウン)になり、本文→見出しの順では集約や切り取りの帰納型(ボトムアップ)になる。前者の場合でも、再度見出しを見直すことになるので、いずれにしても最後に仕上げるのはタイトルになる。

このタイトルをつける作業が悩ましい。コンセプトや方向性が決まってからも微妙な表現のニュアンスに四苦八苦する。今日のブログタイトルにしても、『悩ましいタイトル表現』『タイトルづくりの悩み』『タイトルの苦悩』などいくらでも候補案がありうる。どこかで踏ん切りをつけないと、文章など書くことはできない。


昨日の夕方にオフィスの本棚を見渡していたら、何年も前にぼくが自宅から持ってきてそのまま置いてある本を何冊か見つけた。そのうちの一冊が特に懐かしく、文庫本で22ページの短編を一気に再読した。フィリップ・K・ディックの「地図にない町」という小説だ。この小説が収録されている本の書名は『地図にない町 ディック幻想短編集』。全部で12の独立した短編が収められている。

この本は、12の短編のうちもっとも代表的な作品名をそのままタイトルにしている。ちなみに、原作のタイトルは“THE COMMUTER And Other Storiesとなっている。直訳すれば『通勤者 他短編』。想像するに、翻訳者は「通勤者」ではインパクトがないので、小説のエッセンスを切り取って「地図にない町」をタイトルにしたのだろう。“Commuter”は「定期券または回数券の電車通勤者」を意味する。実際、この小説の冒頭のシーンは駅の構内の窓口であり、「次の方」という出札係に対して、小男が5ドル紙幣を差し出して「回数券を一冊下さい」という会話から始まる。

この本のタイトルのつけ方は、「シアトルマリナーズの選手たち」ではなく、「イチロー 他マリナーズの選手たち」と言っているようなものだ。この本と同じタイプなのが、プラトンの『ソクラテスの弁明』。「エウチュプロン――敬虔について」「ソクラテスの弁明」「クリトン――なすべきことについて」の三つの作品が収められているが、著名な「ソクラテスの弁明」を切り取ってタイトルにしている。

これら二冊と異なるタイプのタイトルをつけているのが、エドガー・アラン・ポオの『ポオ小説全集3』だ。17の短編をまとめてこう名づけている。これら短編には名作「モルグ街の殺人」が含まれている。にもかかわらず、「ポオ小説全集」としたのは、おそらく個々の作品名を表に出すよりも、全4巻のうちの3巻目であることを示す点に意味があると判断したからに違いない。


一つの記事や作品の見出しをつけるとき、伝えたい意図をタイトルにするのか、それとも代表的なキーワードをタイトルにするのか、悩ましい。複数の作品や記事を束ねて名づけるとき、すべてを括って上位のタイトルを付すのか、それとも一つの目玉を選んでそれをタイトルにするのか、これもまた悩ましい。

ぼくの場合、タイトルのつけ方や表現の巧拙はさておき、まったく同じ主題・内容の記事などないのであるから、どこかで自分が一度使ったタイトルをなるべく繰り返さないようにしている。これは講座や講演のネーミングにあたっても意識するようにしている。同じタイトルを使わない――これがタイトルづくりの悩ましさを増幅させる。  

アイデアが浮かぶ時

「アイデアはいつどこからやって来るかわからない」と教えられたジャックは、その夜アパートのドアも窓も全開にして眠った。アイデアはやって来なかったが、泥棒に侵入されて家財道具一式を持ち出された。ジャックは悟った。「いつどこからやって来るかわからないのはアイデアではなく泥棒だ。アイデアはどこからもやって来ない。アイデアは自分のアタマの中で生まれるんだ。」

アイデアは誰かに授けられたり教えられたりするものではない。アイデアの種になるヒントや情報は外部にあるかもしれないが、実を結ぶのはアタマの中である。アイデアと相性のよい動詞に「ひらめく、浮かぶ、生まれる、湧く」などがある。いずれも、自分のアタマの中で起こることを想定している。アイデアを「天啓」と見る人もいるが、そんな他力本願ではジャックの二の舞を踏んでしまう。


デスクに向かい深呼吸をして「さあ、今日は考えるぞ!」 あるいは、ノートと筆記具を携えてカフェに入り「ようし、ゆっくり構想を練るぞ!」 時と場所を変え、ノートや紙の種類を変え、筆記具をいくつか揃え、ポストイットまで備えても、アイデアは出ないときには出ない。準備万端、「さあ」とか「ようし」と気合いを入れれば入れるほど、ひらめかない。出てくるのはすでに承知している凡庸な事柄ばかりで、何度も何度も同じことを反芻して数時間が経ってしまう。

ところが、本をニ、三冊買ったあとぶらぶら歩いていると、どんどんアイデアが浮かんできたりする。まったく構えずにコーヒーを飲んでいるときにも同じような体験をする。だが、そんなときにかぎって手元にはペンもメモ帳もない。必死になってアイデアを記憶にとどめるが、記録までに時間差があると大半のアイデアはすでに揮発している。

意識を強くすると浮かばず、意識をしないと浮かぶ。なるほどアイデアは「気まぐれ」だ。しかし、気まぐれなのはアイデアではなく自分のアタマのほうなのである。

ノートと筆記具を用意して身構えた時点で、既存の発想回路と情報群がスタンバイする。アタマは情報どうしを組み合わせようと働き始めるが、意識できる範囲内の「必然や収束」に向かってしまう。これとは逆に、特にねらいもなくぼんやりしているときには、ふだん気にとめない情報が入ってきたりアタマの検索も知らず知らずのうちに広範囲に及んだりする。つまり、「偶然と拡散」の機会が増える。

アイデアは情報の組み合わせだ。その組み合わせが目新しくて従来の着眼・着想と異なっていれば、「いいアイデア」ということになる。考えても考えてもアイデアが出ないのは、同種情報群の中をまさぐっているからである。新しさのためには異種情報との出会いが不可欠。だから場を変えたり、自分のテーマのジャンル外に目配りすることが意味をもつ。

ぼくはノートにいろんなことを書くが、アイデアの原始メモはカフェのナプキンであったり箸袋であったり本のカバーであったりすることが多い。つまり、身構えていないときほどアイデアが湧く。というわけで、最近はノートを持たずに外出する。ボールペン一本さえあれば、紙は行く先々で何とかなるものだ。

イタリア紀行18 「オンリーワン体感」

サン・ジミニャーノⅡ

トスカーナ州の都市を一ヵ月ほどかけて丹念に周遊すれば、それぞれの個性を繊細に感知できるだろう。同じ中世の佇まいであっても面影の残り方は異なっている。西洋中世の時代の建築や都市の専門家なら現場で即座に街の差異を認知できるに違いない。

ぼくなんかはそうはいかない。万が一細い通りが交差する街角に突然投げ出されたら、そこがフィレンツェかシエナかピサか即座に判断できる自信はない。もっと知識を深めたいと思っているものの、残念ながら、トスカーナ地方全般、とりわけ都市の歴史や建造物に関してぼくはまだまだ疎(うと)い。しかし、投げ出された場所がここサン・ジミニャーノなら、おそらく言い当てることができる。それほど、この街はトスカーナにあってオンリーワンの様相を呈している。

地上にいるかぎり、煉瓦の建物や壁の色や石畳をじっくり眺めても街の特徴はよくわからない。わからないから、高いところに上って街の形状を見たくなる。だから、塔があれば迷わず上る。高いところに上るのは何とやらと言うが、塔は無知な旅人の視界を広くして街の全貌を知らしめてくれる。

だが、現存する塔のほとんどは700年以上の歳月を経て老朽化している。市庁舎の博物館と並立するトーレ・グロッサは安全を保証された数少ない塔の一つだ。高さはわずか54メートルなのでトーレ・グロッサ(巨塔)とは誇張表現だが、小さなサン・ジミニャーノの街全体はもちろん、周辺の田園や丘陵地帯を一望するには十分な高さである。そこの切符売場でもらった『サン・ジミニャーノの宝物』と題されたB5判一枚ものの案内。何となく気に入っているので額縁に入れて飾っている。

見所を一ヵ所見逃した。と言うか、見送った。中世の魔女裁判をテーマにした『拷問・魔術博物館』である。当時使った拷問装置がそっくりそのまま展示されていると聞いた。残酷・残虐のイメージを前に好奇心は萎えてしまった。「生爪剥がし」や「鉄釘寝台」を見ては、その日の夕食に影響を及ぼしかねない。ここはパスして城壁周辺を散策することにした。

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トーレ・グロッサの塔から眺める三本の重なる塔。
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現存する塔の数は15本、14本、13本と資料によって異なる。教会の鐘楼も数えるのか。
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いびつに形を変えた鐘が無造作に置かれていた。
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 光景におさまっているのはわずか3本の塔だが、13世紀の頃には72本あったとされる。現在の高層ビル群になぞらえて、天へと聳立を競った塔の街を「中世のマンハッタン」と呼ぶ人もいる。
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トスカーナの田園地帯という言い方をするが、平野部は少なく、牧草地も起伏の波を打っている。この写真のような風景が街の周辺の丘陵地帯でよく見られる。
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塔のほぼ真下に見える広場と住宅。
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中央やや下に井戸の見えるチステルナ広場。街のすぐ背後に緑が迫っている。古色蒼然と言うしかない。

お手本の御手並

研修のレジュメを書く。基本的には象徴的なエピソードを踏まえたり引用したりして自論を展開するようにしている。他にも踏み込んで事例を紹介する場合もある。学び手にとってそこに「サプライズ」があるかどうかが、ぼくの事例を選ぶ基準になっている。

来週の私塾のテーマは『ブランド』。小さな会社にとっては、羨ましくもなかなか手にすることができない「品質と信用の記号」である。商品やサービスは大きく分けて「機能的価値」と「記号的価値」から成り立つ。たとえば、喉を潤すだけなら水は機能的価値を有していればいい。無性に渇いているならペットボトルの天然水であるか水道水であるかは問題にはならない。このとき、天然水と水道水の間には飲料水としての機能的価値に大差はない。

ところが、健康や安全や生活スタイル、あるいはボトルのデザイン要素やネーミングやメーカー名などの記号的要素が加味されると、そこに大差が出てくる。ペットボトルに入った天然水なら150円になるが、水道水にそんな値段はつかない。機能的価値に加えて記号的価値が大きくなればなるほど「ブランド力がある」ということになる。

このブランドの話をわかりやすい事例で紹介したい。小さな会社に属する塾生が多いので、小さな会社のブランド事例が身近で参考になる。しかし、そこに意表をつかれる発見や驚きがなければ、ぼくは取り上げない。手を伸ばせば届く範囲のお手本や同規模・同業種の先行事例を学べば確かに「よくわかる」だろうが、学習効果には見るべきものがないのだ。とても参考になりそうもない一流ブランドの事例であっても、そこに想定外の題材があるならば、ぼくは積極的に取り上げるようにしている。


ウィリアム・A・オールコットは『知的人生案内』の中で次のように言っている。

「自分の行動の基準を高すぎるところに置くのは危険だという考え方がある。子供には完璧な手本を習わせるよりも、やや下手な手本を与える方が、ずっと速く字を覚えるという教師もいる。完璧な手本を与えられると生徒はやる気をなくしがちだが、生徒よりちょっとうまいという程度の手本なら、自分もすぐにこのくらい書けるようになると思って、やる気を出すというのである。しかし、その考え方は絶対まちがっている。手書きのものなら、子供にはできるだけ上手な手本を与えた方がよい。子供は必ずそのお手本をまねるはずである。どんな子供でも、少しでもやれる可能性のあることなら、自分でやってみようという向上心をもつはずである。」 

ぼくの意見とはだいぶニュアンスは違うが、できるだけよい手本を目標にすべきという主張には賛同する。ぼくの考えはもっと過激だ。選択肢が二つあるとき、まねできる可能性がまったくなかろうが、手本と自分の実力の差に愕然としてショックを受けようとも、レベルの高いほうを手本にすべきである。自分に少し毛の生えた程度の手本に満足してはならない。なお、二つの手本が同じレベルなら、ぼくは愉快なほうを選ぶ。

初心者だから先輩の素人が描いた絵をお手本にするのがいいのか、初心者といえども古今東西の一流の作品を見せるべきか……。「わかりやすくマネしやすい」をお手本選びの判断基準にしてはいけない。構図であれ色調であれタッチであれ、ある種「太刀打ちできない印象」を与えるものをお手本にするべきだろう。二流を参考にして上達しても一流にはなれない。結果的に一流になれずとも、目指すべきは一流でなければならない。そうでなければ二流にもなれない。

手本に学ぶ。手本通りにいかないし、手本のレベルにも到達できないことが多いだろう。それでもなお、手本を一流のものにしておけば「御手並拝見力」はつく。絵は上手に描けなくとも一流の鑑賞眼を身につけることができる。  

あんなこと、こんなこと

とてつもなく何でもない話、三題。


本の話。と言っても、読み方ではない。買い方である。週に一回ペースで散歩がてら書店に立ち寄って、書評でチェックした本を見たり、抱えているテーマに関係ありそうな本を探したり。しかし、たいてい書物との出会いは偶然に任せている。

何冊かまとめ買いをするとき、日によってぼくは相反する消費行動をとる。ある日、「この一冊で終わり」と踏ん切りをつけカウンターに向かう途中に発作的にもう一冊買い足す。別の日は、勘定直前に引き返して本棚に一冊を戻す。一冊の加減で読み方が変わったりはしない。

言うまでもなく、買わなかった一冊に後悔することはない。必要だったら次に買えばいいからである。では、余計な一冊を嘆くかと言うと、そうでもないのだ。衝動の一冊が愛読書になったり、とても役に立ったりすることがよくある。ちなみに、この前の土曜日は一冊買い足した日。その買い足した一冊を鞄に入れて出張に出ている。


その土曜日。本屋の帰りにコーヒーを飲みたくなって、チェーンのカフェに入った。そこで買った本のすべてにざっと目を通した。わずか30分ほどだったがけっこう読めるものである。ちょっぴり満足げにぶらぶらと帰路についた。若い男性が前から歩いてくる。ふいにぼくの方へ近づいてきた。人通りが少ない夕暮れ時、ほんの少し身構えるか、もしくは心構えをしておくのが正しい。

「すみません、このあたりにケンタッキーかマクドナルドありませんか?」

よりによってなぜこの齢のぼくを指名する? 若い人に聞けばいいし、若い人が歩いていないなら、若い人に出会うまで歩き続ければいい。そのうちチキン屋さんかハンバーガー屋さんに行き着くだろう。だが、彼はラッキーだった。なぜなら、さっきまでいたカフェのすぐ近くにマクドナルドを発見していたからだ。指を示し、ことばを添えて教えてあげた。とはいえ、子どもに「この近くにショットバーある?」と尋ねないほうがいいのと同様、中高年にバーガー店への道案内は期待しないほうがいい。


出張3泊目の今夜、さっきホテルにチェックインした。住んでいる人に悪いので固有名詞は伏せるが、こんな殺風景な駅前も珍しい。ほとんど何もない。無機的な空気が張りつめている。駅に着いたら何か腹ごしらえしようと思っていたのに、店がない。駅売店は店じまいの最中。まったく食欲をそそらない売れ残った弁当が一つ。これは買えない。

やむなくホテルの方向に歩く。背広姿の若い男性が前から歩いてきた。ぼくの「すみません」に彼は身構えた(ように見えた)。

「この辺りの方ですか?」
「いいえ。何か?」
「あのう、近くにコンビニないですかね?」
「コンビニなら、そこにありますよ。」 彼が指をさした道路向うにコンビニが見えた。

コンビニで、駅売店の遠慮のかたまりよりはましな弁当を買った。土曜日の道案内の一件と重なった。彼の目にはコンビニ頼りの気の毒なオジサンに見えたに違いない。 

イタリア紀行17 「世界遺産の塔の街」

サン・ジミニャーノⅠ

以前、NHK衛星放送がイタリア各地の世界遺産をシリーズで生中継していた。季節がいつだったのか覚えていないが、その番組を見たかぎりサン・ジミニャーノは賑わっていた。街の入口になっているサン・ジョヴァンニ門をくぐると同名の通りが街の中心チステルナ広場へ延びるが、大勢の観光客がテレビの画面に映し出されていた。

サン・ジミニャーノはトスカーナ州に位置する、辺鄙な街である。すでに紹介したシエナ県に属している。フィレンツェからバスで行くが、直行便がない。途中ポッジボンシという場所でで別のバスに乗り換える。バスの連絡が悪いと30分ほど待たされるので、フィレンツェからだと都合2時間近くかかることもあるようだ。

それにしても、この閑散とした世界遺産、いったいどうなっているのだろう? NHKで見たのと、いま目の当たりにしている光景には天地ほどの差がある。土産店で尋ねたところ、2月の下旬はほとんど観光客は来ないらしい。ツアーコースでシエナのついでに立ち寄るくらいなので、滞在時間は1時間かそこらとのことだ。あまりにも暇そうだし親切なオーナーだったので、置き物を一つ買った。街の模型である。そこには、お粗末なしつらえながら塔も立っている。

この街は小さい。南北が1キロメートルで東西500メートル、住民は8000人にも満たない。日本なら過疎の村である。だが、今も品質のよいサフランで有名なサン・ジミニャーノは、サフラン取引で富を得て、金持ちたちは競って塔を建てた。まさしくステータスシンボルだったのだ。かつて72本も建っていた塔は、今では15本。その15本のお陰で世界から注目される遺産になっている。

これまでの紀行文で「中世の面影を残す」という表現を何度か使ったが、サン・ジミニャーノには使えない。「面影」ではなく「そのまま」だからだ。123世紀の中世の騎士映画を撮影するためにこしらえられたセットではないかと錯覚してしまう。ここは「今に生きる中世そのもの」である。人気のない季節が中世の重厚で硬質な印象を際立たせた。

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サン・ジョヴァンニ門から街に入る。
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門をくぐり振り返るとこんな光景。
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サン・ジョヴァンニ門から広場までの道すがら。曲がりくねる通り、建物の間から一つ目の塔が見えてきた。
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さらに通りをくねっていくと、別の形状をした塔が現れる。
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通りが交差する街角に出る。
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チステルナ広場。“Cisterna”とは「井戸」 のこと。
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チステルナ広場の井戸。取り囲む建物や広場に敷き詰められた煉瓦は中世の色そのままだ。この井戸が水汲み以外の用途で使われたことは想像に難くない。
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博物館の塔から見る対面の塔。
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サン・ジミニャーノのほぼ全貌。この規模の街にかつて72本の塔が建っていたとは驚きだ。さぞかし圧巻だったに違いない。現在では15本の塔すべてを見渡せる場所は空以外にはない。

(遺伝子組換えでない)

専門的なことまで立ち入ってよく調べたわけではない。経緯も知らなければ、なぜこういう表現が使われるのかもわからない。だが、ここ数年間、ぼくの中でことばの違和感ナンバーワンに輝いているのが、括弧付きの「(遺伝子組換えでない)」という用語であり用法である。

今朝も食べたコーンフレーク。その箱に「とうもろこし(遺伝子組換えでない)」と書かれている。他にも「大豆(遺伝子組換えでない)」という食品表示も目につく。そもそも、日本語においては修飾語が主体となることばの前に置かれることがほとんどだ。にもかかわらず、後ろから前を修飾する用法にぎこちなさを感じてしまう。ぼくたちは赤ワインと言う。「赤いワイン」と修飾語が前に来る。フランス語では“vin rouge”で、「ワイン赤」と言っている。イタリアでも“vino rosso”と「赤い」が後に置かれる。

「遺伝子組換えでない」などのしっくりこない表現に出くわすと、英語の直訳だろうとおおよその見当がつく。これは“not genetically modified”に対応しているのか(直訳すると「遺伝子的に変異されていない」という意味)。毎朝、コーンフレークの表示を目にしているのでだいぶ慣れてきたはずなのに、未だに「とうもろこし(遺伝子組換えでない)」が日本語のように思えてこない。

かと言って、「遺伝子組換えでないとうもろこし」というのはいかにも冗長だ。括弧の中に入れているのは「但し書き」のつもりだろうから、但し書きを修飾語としてアタマに置くとニュアンスが変わってしまう。「中国から輸入したのではないウナギ」はいかにも変だし、この表示が「国内産」を意味するものでもない。「ウナギ(中国産でない)」と強調するのなら、いっそ「ウナギ(国内産である)」と肯定的に表現するほうがいいだろう。


とうもろこしや大豆の表示に関して言えば、最大関心事が「遺伝子組換えの有無」であるのに違いない。その義務づけは、ぼくにはよくわからない安全性基準などによるものなのだろう。「とうもろこし(国内産でない、大粒でない、家畜用でない)」などという説明のほうがずっと親近感が持てるのではないか。毎朝毎朝「遺伝子組換えでない」を目にするたびに、生物の実験教室で朝食しているような気分になる。

なんだか括弧付きの但し書きがパロディのように思えてきた。たとえばプロジェクトに関わったスタッフを企画書の表紙に列挙するとき、「凹川凸男(見習いではない)」とか「AB子(外注先スタッフでない)」などと但し書きしておけば、安心してもらえるだろうか。あるいは、コワモテの社員を得意先に紹介するとき、「弊社の新入社員です。ヤクザではありません」としておけば、末永く可愛がってもらえるだろうか。

コーンフレークの話に戻る。「とうもろこし*」と表示しておいて、欄外注釈で「*遺伝子を組換えた原料を使用していません」とすればいいような気がする。「遺伝子組換えでない」という、文章でも形容詞でもない中途半端な但し書きをやめて、しっかりとした文章で説明するのがいい。

以上が「ぼくの意見(専門的観点からではない)」。おっと、この用法、なかなか使い勝手がいいぞ。   

揺れる価値、ぶれない価値

人間世界に比べて動物世界の価値は一定しているように思われる。もちろん、考古学的尺度からすれば、価値は大きくシフトしていくのだろうが、何十年や何百年で一変することは決してありえない。ましてや、ぼくたちが昨日と今日の価値の上下に一喜一憂するように犬や猫が日々を送っているとは想像できない。

難しい話や複雑極まる仕組みはさておき、昨日のルールや常識がここまでも今日通用しないとなると、学習することが意味を成さなくなってしまう。今年の3月、ぼくは160円ほど払ってユーロを手にした。定食18ユーロというメニューを見て、アタマで翻訳して「2,880円か。ランチにしてはいい値段だな」などとつぶやいていた。先週そのユーロが120円を切った。これは2160円に相当する。

為替変動と無縁でいることはできない。できないが、日本にいる大半の日本人にとっては、欧州のランチの値段に関心などないだろう。同時に、ユーロ圏の人たちが自国でランチを食べるときに誰も円との相場比較などしない。彼らにとって、行きつけのレストランのランチは18ユーロであって、ここ数年は変動していないかもしれない。年に一、二度ちょくちょくユーロ圏に出掛けるぼくは少し気にする。正直に言うと、円とユーロを換算している自分をせこく感じることも多々ある。

景気がよくない。出費は控えたほうがよろしい。こういう風潮にどっぷり浸りながらも、「円高だから海外旅行のチャンス!」となるわけだが、それは昨年に比べて円の出費額が少なくなるということであって、円高であろうが円安であろうが、出掛ければ確実に出費は増える。金融というマーケットが実質価値に目を向けず、価値の差額にばかり注視してきた結果、一般消費者すらもその揺れ動く差額分ばかりに気を取られてしまう。


貨幣価値というものは不思議なものだとつくづく思う昨今である。午前11時頃になると、オフィス近くの沿道にテーブル一つ置いた弁当屋が七つ八つ並ぶ。おかず数品とライスがセットになって280円。これが最近の最安値である。この弁当のあとに350円以上のコーヒーは飲みづらい。カフェチェーンの180円のコーヒーですら割高に見えてくる。

とある飲食店でスーツの内ポケットからボールペンを取り出そうとしたら、そこに入っていたリップクリームのキャップがたまたまいっしょに出てきて床に落ちた。うつむいて探してみたが見つからない。長椅子の下に入ってしまったのか、弾んで数メートル先のどこかに転がってしまったのか……。とりあえずリップクリームの「本体」のほうを出した(放っておくと内ポケットの布地にクリームがべったり)。その後もしきりにキャップの行方を追うぼくを見て、同席していた某企業の代表取締役氏が「リップクリームくらい、また買えばよろしいじゃないですか」と言った。

キャップを探す手間をかけるくらいなら200円くらいの商品を買い直しなさい、何よりもキャップを探している姿はみっともない、という忠告である。相性がよくて親しい男なのだが、ぼくの金銭価値観とはまったく違う。彼は10万円以上のスーツしか買わないが、ぼくは消耗品のスーツに10万円以上出すつもりなどさらさらない。

リップクリームのキャップが惜しいのでもなく、200円で買い換えるのを拒否するわけでもない。それがたとえ安価なものであれ、落としたものを探す努力もせずに即座に諦めて買い直すという発想がぼくの回路にはないのだ。本体とキャップはセットになるのが望ましい。そのキャップが池にポチャリと落ちたら諦める。しかし、探せば見つかる圏内にあるではないか。

探索行為は、落としたキャップの値段とは無関係なのである。うどんを食べるときに一味唐辛子を必死に探すようなものなのだ。で一体ゆえに価値があるとき、をなくしたからという理由でを捨てて買い換えるということを、ぼくは安易にできない性分なのである。数万円もする万年筆のキャップにも、百円のボールペンのキャップにも、同じエネルギーと時間をかけて探す。

たぶん変な奴なんだろう、ぼくは。の研修レジュメ20を一日で書き上げて編集しておきながら、気になる一行一情報のためにさらなる一日を費やすことがある。こんな性向がぼくにとっての「ぶれない価値」なのだが、変動価値の時代にはそぐわないのだろうか。  

イタリア紀行16 「中世のたたずまい」

ルッカⅡ

ルッカの駅で少し慌てる体験をした。駅に着くと何はさておき、帰りの時刻表を確認して復路の切符を買い求めることにしている。ルッカからフィレンツェまでの準急料金は4.8ユーロ。10ユーロ札を自販機にすべらせてボタンを押すと、切符は出てきたがお釣りが出ない。釣銭ボタンめいたものを押してもダメ。あ~あ、イタリア特有の故障。これは面倒なことになるぞと覚悟する。

よく見ると切符の下にもう一枚切符が……。実は、切符ではなく、釣銭の額が印字された金券だった。これを窓口に持っていき、サインをして現金に換えてもらうのである。面倒臭いが、お釣りの硬貨が出ますようにと祈らねばならないイタリアのローテク券売機ならではの工夫と言える。外国人旅行者にとって鉄道駅は想定外の出来事に満ちている。降り立つ駅ごとに特徴があり、軽い緊張感を覚える。とは言え、ハプニングは異文化に遭遇する貴重な機会であり体験である。

さて、プッチーニの銅像を目当てに、二つの通りを往来してみた。フィッルンゴ通りとグイニージ通りだが、行ったり来たりしたので、手元の写真の光景がどちらのものかよくわからない。どれも中世の印象を色濃く残しており、煉瓦仕上げの建物の外壁は古色蒼然としている。この街は戦争を経験していないから14世紀がそのまま今に生きているようだ。試行錯誤したあげく、どっちを通ってもローマ時代の円形劇場に辿り着くことがわかった。

メルカート広場の一画にローマ時代の古代円形劇場跡を利用した集合住宅がある。円形空間の周囲に建物が「丸く」びっしりと建っているのは奇観と形容すべきか。ルッカ独特の景観である。円形劇場から東西へ少し行けば、有名な旧邸宅があるのだが、敢えてそちらへは向かわず、ぼくにふさわしい裏道を選んで帰路についた。

メジャーではないだろうが、ルッカも知る人ぞ知る観光地の一つ。ツアーの団体も見られたが、観光客を特に意識した街並みや店づくりはしていない。通りが狭く建物が古いせいだろうが、中世の風情を保ちながらも生活感を漂わせる街並みであった。駅に戻る途中、城壁跡である遊歩道に上がってしばし散策。緑地帯に囲まれた中世の街がとてつもなく希少な存在に見えた。 《ルッカ完》

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狭い通りが中世の面影を濃くする。店構えもこじんまりしている。  
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円形劇場跡の外壁。
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中庭風の広場の一角。
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劇場跡のメルカート広場の中央に立ち、円形状に建ち並ぶ建物をぐるぐる回りながら撮影。ここには1830年までローマ時代の観客席がそのまま残っていた。その観客席部分に建物が建っている。地下は古代のままなので、まさにローマ時代の上に現在が暮らしているという構図。
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広場を裏手から出ると、ひっそりと遺跡の名残。“Antico Anfiteatro”とは「古代円形劇場」。 

縮みゆくマーケット

昔々の話。「隣の村まではどのくらいかのう?」と旅人が尋ねれば、「そうさな、三里ばかりってとこかな」と村人が答えた。時間ではなく、距離で表現した。こんな時代が長く続いたが、今から40年前、突然「距離の破壊」もしくは「距離の短縮」という概念が登場した。

世界的規模の交通網の発達により、距離はキロメートルという単位から時・分・秒という単位で計測されるようになる。国内においても新幹線や特急の高速化に加えて高速道路の整備で都市間の距離が縮まる。「時間地図」なるものも作られた。その地図によれば、大阪のすぐ東側に東京がくっついていて、物理的距離が近いはずの和歌山の新宮が大阪のはるか南方に位置していた。

大阪の市街地から新宮までは距離にして約240キロメートル。他方、東京までは約550キロメートルだ(距離だけを見ても、同じ近畿内の新宮までが東京までの半分近くに達しているのにはあらためて驚かされる)。現在、大阪-新宮間は特急で3時間42分。これに対し、大阪-東京間は新幹線で2時間33分。飛行機を使えば、リムジンバスや待ち時間を加えても2時間程度だ。

近畿一円をマーケットとしてとらえるよりも、大阪と東京を一つのマーケットとして見るほうが理に適っているだろう。だが、こんな解析はほとんど意味を持たない。なぜなら、以上のことは人の移動や物流に限られた話であって、ウェブではいつでもどこでも無形ソフト財をバーチャル移動させることが可能だからである。ウェブ上では、距離は完全に破壊され、時間もゼロに向かって縮む。そこには底無し沼のようなたった一つのマーケットが存在するだけである。


このような現象はマーケットの広がりと呼べるのだろうか。実は、マーケットは広大になったのではなく、凝縮されたのである。これまで広範囲にあちこちに点在していた店や商店街が一ヵ所に集められ、空恐ろしいほどの密度で商売をしているような状況だ。高密度集積回路のようなマーケットにあって、売り手と買い手の遭遇はほとんど偶然のごとき様相を呈する。

効率よくマーケットにアクセスできる売り手側ではあるが、買い手もオプションを増やした。従来なら購買の検討の余地すらなかった遠隔地の売り手と縁組ができるのである。売り手にとっては、かつて競合しえなかった同業者もライバルになった。少々派手な露出をしても目立たなくなった。

この縮みゆくマーケットは、ウェブ世界が初めてではない。その昔、都心部にはおびただしい数の店舗が集積した。商店街や公設市場は賑わっていた。そのマーケットのど真ん中あるいは周辺に大型店が参入し、過密化に拍車をかけた。顛末はご承知の通り。商店街はシャッター通りと化し、市街地の空洞化が始まったのである。焦った商店主たちはマーケティングの基本原則を置き去りにしてしまった。

縮みゆくマーケットの渦中でビジネスを展開するとき、負け組へと墜ちた商店主たちを教訓にするべきだろう。彼らは、真の顧客を忘れて不特定多数を相手にし、品質よりも便利を売り物にした。これではコンビニに勝てるはずもない。奉仕よりも儲けを優先し、店の個性をかなぐり捨てた。まるでセルフサービスのカフェや立ち食いうどん店と同じだ。品質と個性に支えられたプロフェッショナルの誇りこそが過密マーケットを生き残る差異化ではないか、とぼくは考えている。