ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ②

「ゴールデンステート(Golden State)」はカリフォルニア州の愛称。アメリカの全州にはこのような愛称がついている。学生時代にいくつか覚えた。たとえば、ニューヨーク州が「エンパイアステート(Empire State=帝国の州)」、フロリダ州が「サンシャインステート(Sunshine State=日光の州)」。一番おもしろいと思ったのがミズーリ州。この土地の人たちは疑い深いということになっていて、誰かが何々を持っていると自慢でもしようものなら、「じゃ、見せてくれよ」と言うので、「ショーミーステート(Show Me State)」と呼ばれる。「アロハステート(Aloha State)」ならハワイ州というわけ。さしずめ「県民性コンセプト」といったところだ。

初日の夕方はケーブルカーで近くのスーパーへと買い出しに行った。行きが急坂なのでケーブルカーに乗る。チキンのローストとサラダとパン。食後にカリフォルニア通りの坂を下って東側の海岸へ。下りだからぶらぶらと30分くらいは歩ける。途中、中華街も見たが横浜のほうが大規模で活気があるように思った。さらに下ると、オフィス街。そこを抜けて周回バスの乗り場を探したが、あいにく地図を持って出なかったので見つからず。誰かに聞けばそれまでだが、なるべく自力で探し当てるのがいい。気ままにフェリーターミナルまで歩いた。


二日目の朝。時差ボケはない。近くのカフェでモーニングスペシャルを注文する。コーヒーは自由。トーストと卵2個のスクランブル。「るるぶ」的なものへの憧れがほとんどないので、歴史探訪することにした。まずはドロレス伝道院(Mission Dolores)へ。ホテルからはケーブルでパウエル駅を経由して地下鉄で4駅目。後でわかったことだが、地図に間違いがあったため、方向を誤って歩き始めていた。通行人に道を尋ねたが、スペイン語の単語のアクセント位置がよくわからない。「ミッション・ドロレス」と発音したら首を傾げられ、言い直して「ミッション・ドローレス」で通じた。場所は探すまでもなく、目と鼻の先だった。

カリフォルニアにはこのようなミッションが21もあるという。ここが州内最古の建物で、もらったリーフレットには年代的には1791年完成と記されている。但し、この地に入植しミッションが始まったのは建国年の1776年に遡る。あまり細かなことはわからない。白壁の装いからスペインの影響を見て取れる。伝道院から徒歩、ケーブル、バスを乗り継ぎ、再度フィッシャーマンズ・ワーフを目指す。ピア3939番埠頭)からの話は次回。

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幻想的な夕暮れ時のフェリーターミナルの海岸通り。
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夜は10℃を切り、冷たい風が吹く。6月に冬装束でも不思議でない。
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駐車状態から坂の勾配が半端ではないことがわかる。
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朝のカフェ。”モーニング”は日本同様だが、卵料理が選べる。
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ドロレス伝道院の聖堂を覗いたらミッションスクールの卒業式だった。
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18世紀を偲ぶ小ぢんまりした博物館。
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ドロレス伝道院の中庭。
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ドロレス伝道院と聖堂の全景。
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聖堂と鐘楼。欧米では常にセットである。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ①

サンフランシスコに到着したのは、現地時間6月2日の午前11時半。名物の坂は予想以上に勾配がきつく、タクシーは勢いよく駆け上る。市街のもっとも高い丘の一つであるノブ・ヒル(Nob Hill)の一角にあるホテルにチェックインし、荷を解いてすぐに近場を散策してみた。続いてケーブルカー乗り場へ。とりあえずフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)を目指そうとしたが、待つこと10分、15分、20分……待てどもやって来ない。待つ人が増えてくるが、ケーブルカーが上ってくる気配はいっこうにない。

痺れを切らして、10分ほど坂を歩いて下り発着駅へ行ってみた。何か事故があったようで、乗客が長蛇の列をつくっている。ケーブルカーも何台も連なって発車待ちの状態。ランチを食べていないのに気づき、近くのショッピングモールへ向かった。ホットドッグとプレッツェルのシナモンスティックで腹ごしらえして戻ってきたら、ケーブルは動き始めていた。

乗車料金は15ドル。やや割高感があるので、18ドルの3日間チケットを購入した。これを使えば、ケーブルカーも市内の地下鉄もバスも乗り放題だ。パウエル駅からノブ・ヒルへ上がり、坂を下りながら海岸へ。思ったほどの賑わいではない。日本人らしき観光客は何組かいるが、団体客のツアーが皆無。そう言えば、残席わずかと急かされたユナイテッド航空の関空発の便はガラガラだった。インフルエンザの影響だったのかもしれない。

フィッシャーマンズ・ワーフは翌日にじっくり見るつもりだったから、中途半端に見学せずホテルに戻ってきた。ホットドッグのせいもあってカニやエビの海鮮屋台にも食指は伸びなかった。気がつけば、日本時間なら午前9時。もう24時間以上寝ていないことになる。

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ホテルから見るノブ・ヒルの光景はよく澄み切っていた。
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中央の星条旗のある建物がホテル。到着日の午後は好天だったが、風が強く寒かった。
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ようやく発着駅に入ってきたケーブルカー。
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木製の円盤の上に車両を載せたら、その後は手動で回転させて向きを変える。
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フィッシャーマンズ・ワーフの「玄関口」。
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フィッシャーマンズワーフでは海特有の潮の匂いがほとんどしない。
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鐘を勇ましく鳴らして走るケーブルカー。
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「鐘鳴らしコンテスト」の開催案内。運転士がテクニックを競う。

それでも差異はつくられる

「メニュー全品280円」を売りにする居酒屋がテレビで紹介されていた。ビールも一品料理もすべて280円という。この値段をどう見るか。誰も高いとは言うまい。ならば、安いかリーズナブルか? コストは、味という”パフォーマンス”によって人それぞれが感じるものだろう。

変えてはいけない(あるいは、変える必要がない)価値と、積極的に変えねばならない価値を見極めるのが商売の心得。料理店にとってはここが腕の見せ所だ。その店は今のところ繁盛している。その店では廃業したテナントが残していった什器や備品で使えるものはそのまま流用している。これが不変の価値。と同時に、何でも280円というのは、かつての百均革命に相当する、異端領域への踏み込みである。これが変化の価値。

「居酒屋は安くて旨ければそれでよし」と、満足げな常連たちが異口同音に評価しているらしい。家族で来ていたある主婦は「食べるために来ているのだから、雰囲気は関係ない」と、暗に雰囲気がイマイチであると匂わせながらも、この店のやり方に賛辞を送っていた。賑わっている、客の評価も良好、わかりやすくて安い価格……これら三拍子が揃えば、居酒屋は「形より中身」と結論づけてよいか。「旨ければ付加価値はいらない」を普遍的な公式にしてもよいのか。あいにくなことに、話はそんなに簡単ではない。


ノーと力強く叫ぶ自信はないが、さりとて手放しでイエスとも言い切れない。優柔不断だが、半分イエス、半分ノーである。半分イエスの根拠は「オール280円の低価格」と「過剰投資をしないインテリア」。この二つは一つのビジネスモデルになりうる。安くて旨いものに憧れる人間心理は、おそらく十中八九不変だろう。

しかしながら、半分ノーにも有力な根拠がある。この280円路線と低コスト内装を他の居酒屋がマネて「売りの目玉」にしはじめたとき、店選びは偶然に委ねられるのだろうか。いや、そうではない。先発・後発とは無関係に、店と店の間にまったく別の差異化ポイントが生まれることになる。安いだけではない何か、旨いだけではない何か、雰囲気以外の何かを求めて人々は店の選択を検討するようになるのだ。

人は飽きる。新しいもの、よりよいものを求めるのが人間の本性である。それゆえに市場価値は巡り巡る。売る人と買う人はいずれもよりすぐれた価値へと向かう。差異化の成功は「次なる淘汰試験」の始まりであり、片時も成功に安住することはできない。昨日の席次一番が、翌日落第の憂き目に遭うかもしれない。異質から同質へ、同質から異質へ……この繰り返しは終わりのない差異化競争を生む。そして、競争はますます熾烈になっている。

イタリア紀行43 「サンタンジェロ地区」

ローマⅠ

20083月、パリに8日間滞在した後、ローマへと向かった。四度目のローマだ。それまでの訪問で名立たる観光地のほとんどに足を運んでいたが、何となく消化不良に終わっていた。自分が決めた予定にいつも急かされていたのである。それで、ゆっくり7泊することにした。ヴァチカンに近いサンタンジェロにいいアパートが見つかったので、そこに3泊。その後の4泊を市街地のほぼ中心にあたるヴェネツィア広場近くのホテルで過ごすつもりだった。予約は出発前にインターネットで済ませていた。

フィウミチーノ空港からレオナルド急行でテルミニ駅へ。スリの出没で悪名高いバス路線を遠慮して、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの路線を走るバスで終点ピア広場まで。そこから徒歩約10分のクレシェンツィオ通りに面してアパートがある。サンタンジェロ城と最高裁判所のすぐ北側という好立地だ。出迎えてくれたのはフランチェスコという四十歳前のオーナー代理人兼管理人。実はこのアパートの他の全室はすべて住居。一階のこの一部屋のみが連泊希望の観光客に民泊としてレンタルされている。オーナーはフランチェスコのお兄さん。

リビングに広い寝室、キッチン、シャワールーム。日本式なら1LDKなのだが、廊下もあり天井も高く、何よりも70平方㍍もあるのでゆったり広々としている。ここで3泊だけとはもったいないと内心思いながら、フランチェスコの説明を聞き滞在費用をキャッシュで用意しかけた。すると、彼のほうからこう尋ねてきた。「ローマの後はどういう予定なんだ? 日本へ帰るのか?」

少しばつが悪かったが、このアパートを出た後にさらに4日間ローマに滞在すると正直に答えた。「どこのホテル? 料金はいくらか?」とさらに聞いてくる。「アパートで3泊、ホテルで4泊」にさしたる理由がなかったから、淡々とぼくは説明した。彼は「気に入ってくれたのなら、残りの4泊もここにすればいいじゃないか。キャンセルは簡単だ。『シニョーレ・オカノのローマの友人だが、オカノは都合でローマに来れなくなった』とホテルにぼくが電話してあげよう」。そう言うなり、半ば強制的にぼくに「オーケー」を求め、すぐに携帯を取り出すとキャンセルしてしまった。ちょっと危ない人ではないか……。

宿泊約款により、一週間以内のキャンセルのためキャンセル料は1泊分。当時はユーロ高だったので、2万円近くになる勘定だ。少し落胆していると、「その損失分を値引きするから心配なく。狭いホテルよりこのアパートのほうが絶対にいい」とフランチェスコが言う。勝手なもので、なかなかいい人に思えてきた。オーブンや洗濯機、シャワーの使い方を説明し、彼は「今夜食事に出るなら……」と言って、パルラメント広場近くのトラットリアを紹介してくれた。

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ローマでのアパート生活。ホテルならスイート並みの広々とした居間。
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ダイニングキッチンには食器や什器のすべてが揃っている。
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アパート裏のサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋。
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テヴェレ川対岸からの夕景。 
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サンタンジェロ城から。白亜の建物は最高裁判所。
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城からはヴァチカンのサンピエトロ寺院全景が見渡せる。 
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アパート管理人フランチェスコ一押しの”ジーノ”は庶民的で親しみやすい。
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お任せの前菜。これだけですでに腹八分目に達する。
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特製の手打パスタ。この黄み加減は見たことがない。ソース焼きそばの麺のよう。アルデンテとはまた違う独特の歯応えがあった。

読書の方法と揺れ動く心

過去に大した読書習慣を持たなかった人が一念発起して本を読もうと決意した。しかし、その気になったものの、どんな本をどのように読めばいいのかさっぱりわからない。そこで手始めに読書術や読書論に目を通すことにした。読んでみると、何だかわくわくしてくる。本をこんなふうに読めばさぞかし楽しいだろうと、いよいよ「その気」になってきた。ところが、読書の方法と推薦図書の書名に精通してきたものの、いつまでたっても読みたい本に手をつけられない。気がつけば、読書術と読書論の本ばかり読んでいた……。


よく似た話に、「○○入門」ならあれこれと手広く読むくせに、本家本元の「〇〇」の著作を一度も読んだことがないというのがある。たとえば「カント入門」や「よくわかるカント」の類いに目を通し、『純粋理性批判』や『啓蒙とは何か』は読んだことがない。と言うよりも、これらのカントの哲学書に挑戦するために入門書や指南書を読んでいるわけでもなさそうなのだ。いずれにしても、誰かがカントについて書いたものとカント自身が書いたものは同じではないことだけは確かである。

読書の方法を説く書物はおびただしく、ぼくの書棚にも、古くは『読書について』(ショウペンハウエル)から最近の『多読術』(松岡正剛)まで十数冊が並ぶ。ただこれらの本の数ほどぼくは熱心な読書術の読者ではなく、誰かの意見を参考にすることはあまりない。二十代まではいろいろと漁って読みはしたが、記憶に残っているのは、若かりし加藤周一が昭和三十年代にカジュアルに書いた『読書術』のみ。そして、なるべく文庫本を買うことと、本を読まずに済ませる方法の二つを学んだ。ぼくにとって偉い人たちが書く読書術の大半は、ぼくの方法を客観的に検証するチェックシートにすぎない。


読書の本ではないが、「読んだ本から山のような抜き書きをして、それに『注釈』めいたものを書き連ねることをやめて伸びやかになった」(鷲田小彌太)などの、読んだものは忘れていいという潔い考え方もある。膨大な知識や情報をアタマ以外のところに蓄積できるようになったから、こういう思い切りのいいことが言えるようになった。アタマは記憶のためにではなく思考のために使え、というわけである。

この考えに与しないわけではないが、メモや抜き書きには効能もある。熱心な読書家でもないぼくには成果の確認という意味もある。それに、思考中心にアタマを使うといったところで、思考には知識が欠かせないわけだから、アタマの中に何らかの読書した情報を蓄えておいて悪いはずがない。


かつて速読術がはやり、昨今では併読術に多読術だ。これらすべてを今も実践しているが、誰かに教えてもらわなくても、読書していれば誰だって速読、併読、多読に辿り着く。同時に、これらと相反する読み方、すなわち精読や熟読や寡読の良さにも気づいてくる。こちらの読み方の延長線上には、必然的に「本を読まずに済ませる方法」も浮かんでくる。

先のショウペンハウエルの本には次の一節がある。

本を読むというのは、私たちの代わりに他の誰かが考えてくれるということだ。一日中おびただしい分量を猛スピードで読んでいる人は、自分で考える力がだんだんに失われてしまう。

さもありなん。一般の読書家はゆめゆめ書物の批評家や職業的読書家や書誌学者のような読み方に影響されてはいけない。一日に一冊読んだとしても、そのこと自体何の自慢にもならない。知を蓄えるためという、ごく当たり前のような読書の位置づけすらたまには疑ってみるのもいいだろう。読んだ本の中身を若干アレンジして披瀝するのか、あるいは書物を固有の思考のための触媒にするのか――この分岐点においておそらく読書のあり方は決定的に違ってくる。   

「10分進めています」

出張中は歩くことも少なく過食気味になる。今回は月曜日から金曜日までの45日。いつものように食べているとメタボを加速させる。と言うわけで、ホテルでの朝食ビュッフェはパスして、朝は野菜ジュース2杯だけでしのいでいる。今朝はコーヒーを求めて会場近くの喫茶店に寄った。ほとんどのお客さんがモーニングを食べている。モーニング付きもコーヒー単品も値段は同じ400円。トーストとゆで卵に触手が伸びかけたが耐えた。

喫茶店に入ると壁に掛かっている時計を何気なく見てしまう。万が一遅刻すると大変なので、普段以上に時刻に神経質になっている。今朝の店の時計は正確だった。腕時計と携帯の時刻表示も完全に一致していた。ふと同じような雰囲気の大阪のとある喫茶店のことを思い出す。その喫茶店もモーニング目当てのサラリーマンで朝が賑わう。

その喫茶店では時計の針を10分進めている。サラリーマンが遅刻してはいけないという配慮からである。だが、一見いちげんさんは、その時計を見て「あれっ?」と一瞬ドキリとし、慌てて自分の腕時計の「正確な(?)時刻」を確認することになる。そして、念のため「あの時計、時刻は合ってます?」と尋ね、「いえ、10分進んでいますよ」と聞いてホッとする。こうなると、わざわざ10分進めている理由がよくわからない。


別の喫茶店。時刻が正確かどうかを聞くお客さんが増えたのだろうか、その店では時計の下に貼紙がしてあった。なんと「10分進めてあります」と書いてあるのだ。これにはたまげた。とても不思議である。時計を進めた本来の目的が意味を成さなくなっているではないか。時刻を10分進めたのは、会社にせよ電車にせよ、お客さんが遅れないようにという意図だったはず。そこに注意書きがあって「10分進めています」と種明かしをしてしまったら、もはや「正確な時刻」を告げているのと同じである。

常連さんは時計が10分進んでいることをみんな知っている。だから誰も店の時計に目もくれない。つまり、常連さんにとっては時刻の狂いは想定内。ということは、一見さん向け? いや、一見さんに関しては先に書いたような反応を示すから、「お急ぎを」と促してもしかたがない。ぼくとしては、逆に時計を遅らせておき、「この時計は10分遅れています」と小さな貼紙に書いておくほうが、お客さんを慌てさせる効果があると思う。もちろん、正確な時刻の時計が一番であるが……。 

救いがたいほどの”センス”

先週の土曜日である。出張のため朝8時半頃最寄駅から地下鉄に乗った。マスク着用の乗客がちらほら見えるが、土曜日のせいか車内は空いている。ここ三年間職住接近生活をしているので、出張以外はあまり地下鉄に乗る機会はない。たまに乗れば混んでいるので車内の広告にまで目が届かない。その日はゆったり座って車内吊りポスターをじっくり品定めすることができた。

いったいどうしたんだ、大阪市交通局! 思わず内心そう叫び呆れ返った。シイタケとリンゴを擬人化したイラストが描かれた「座席の譲り合いマナー」を促すポスター。そこにはこんな見出しが書かれてあった。

互いに譲って うれシイタケ!
「どうぞ」の笑顔で すっきリンゴ!

これではまるで「おぼっちゃまくん」ではないか。「そんなバナナ」や「おはヨーグルト」を思い出した。いや、こんな言い方はおぼっちゃまくんには失礼だ。おぼっちゃまくんにはダジャレという売りのコンセプトがあった。譲り合いマナーになぜシイタケとリンゴなのか。必然性が見えないから、単なる思いつきのダジャレなのに違いない。一方がキノコで他方が果物というミスマッチも相当にひどい。

正確に言えば、こういう類いのことば遊びはダジャレとは少し違う。技としてはダジャレよりもうんと簡単で、一文字だけ合わせたら一丁上がりだ。これがオーケーなら、「うれシーラカンス」でもいいし「すっきリスザル」でもいい。要するに、「シ」と「リ」で始まる単語なら何だって成立してしまう。


シイタケとリンゴが大阪市の名産品なら理由もわかる。地下鉄のどこかの駅でシイタケとリンゴの物産展があるのなら、短期の季節キャンペーンだろうとうなずける。だが、そんな深慮遠謀はまったく感じられない。誰がどのような経緯でシイタケとリンゴという案に辿り着いたのか。ぼくの思いもよらぬ狙いがあったのならぜひ聞かせてもらいたいものである。

ポスターでここまで救いがたいほどのセンスを暴露しながら、車掌は「インフルエンザ予防のためにマナーとしてマスクを」と生真面目に車内放送していた。トーンが合っていない。そのポスターを見ながらマイク放送を聞いて、同一の発信源とはとても思えなかった。まあ、こんなことはどうでもいい。何よりも、財政難の折、一人前の大人にマナーを促すようなPR活動にお金を投じるのは即刻やめるべきだろう。

ブログ記事とカテゴリ選択

このタイトルの記事をどのカテゴリに収めるか、少し迷った。迷った挙句、とりあえず「ことばカフェ」というカテゴリに入れた。書こうと思っている記事の概略はすでにアタマにある。このテーマは結局「ことば」の問題になるだろうと見立ててのことだ。しかし、最終的には変更することになるかもしれない。今はまだわからない。


みんなどうしているんだろうか。迷ったら「その他」という万能カテゴリに放り込むのだろうか。あるいは、ブログの記事を書き終えてから、そのテーマにふさわしいカテゴリを選ぶのか。それとも、ひとまずカテゴリを決めてから、今日はこんな内容のことを書こうと決めるのか。ぼくの場合は、ある程度書いてカテゴリを選び、また書き続けてからもっともふさわしそうなカテゴリに落ち着く。ただ、ぼくのブログのカテゴリには「その他」はない。便利な「その他」がないのは、正直なところ、悩ましい。

悩ましくないのは「週刊イタリア紀行」のみ。このタイトルで書く記事は自動的に「五感な街・アート・スローライフ」に分類する。思案の余地なしだ。現地からではなく、ふだんの仕事と生活をしながら過去の旅を振り返りつつ綴るので、必然アートや街の話になる。このカテゴリ以外だと「看板に偽りあり」ということになってしまう。


今日から企画研修で出張中。企画研修では便宜上ざくっとしたテーマとタイトルを決めてもらう。それから素材を集め分析しアイデアをふくらませ構成していく。最終的な企画の構成案をもう一度検証し、タイトルを見直す。広告ならどうだろう。見出しづくりにさんざんアタマを捻ってから本文を書くのか。しかるべき本文を書いてから、それに見合ったヘッドラインを仕上げるのか。ぼくの場合は、いつも見出しの試案が最初にあった。

文章を書いて題をつけるのか、題を考えてから文章を書くのか。どっちでもよさそうなものだが、いずれにしても、ふらりと気ままな旅に出るのとはわけが違う。題や文章、タイトルや記事に先立って、必ずテーマというものがあるはず。テーマを「指向性あるコンセプト」とするならば、それを凝縮したメッセージを題名なりタイトルとして仮に定めておくのが筋だと思う。その筋に沿ってのみ文章や記事が書ける。適当に考えて適当に後付けされたタイトルでは無責任というものだ。

アイデアというのも同様で、テーマへの指向性が弱ければ浮かぶ頻度が低く、量もわずかで質も落ちる。見当をつけておかないとなかなか湧いてくれないし、湧いたところで意識が薄ければ通り過ぎてしまう。ゆえに、〈タイトル試案→記事作成→カテゴリの仮選択→文章推敲→タイトル見直し→カテゴリ決定〉という流れが妥当なのではないか。これが結論。そして、この記事は「ことば論」ではなく、「構成手順にかかわる発想ないしアイデア」なので、カテゴリは〈ことばカフェ〉ではなく、〈アイディエーターの発想〉がふさわしいということになった。ともあれ、テーマはカテゴリに先立つことは間違いなさそうだ。

イタリア紀行42 「丘陵の聖都」

アッシジ

一般にローマと言うとき、それは人口270万人の「コムーネ(comune)」としてのローマを指す。いわゆる「ローマ市」の感覚に近い。そのローマ市を包括する「ローマ県」もある。コムーネというのは地方自治体を指すことばだが、日本の市政概念とはだいぶ違っていて市町村すべてに使う。だから単純に行政規模の大小を類推できない。

このイタリア紀行における「街」や「都市」の視線は、県にではなく、終始一貫コムーネに向けている(しかもほとんど徒歩圏内の地区)。アッシジはすでに取り上げたウンブリア州ペルージャ県のコムーネの一つ。大都市ローマもコムーネなら、人口は約25千人の小村アッシジもコムーネである。アッシジの「サンフランチェスコ聖堂と関連遺跡群」は2000年に世界遺産に登録された。その翌年、ぼくはアッシジを訪れた。

バスは緑に溢れる平野を抜けて丘陵地帯へと向かう。修復作業以外に目立った工事が一切ありえない土地ゆえ、自然の一部を建物が拝借しているという風情である。だからこそ、聖地たりえるのだろう。コムーネ広場からほどよい距離を歩くとアッシジ生まれの聖人フランチェスコゆかりのサンフランチェスコ聖堂に着く。

フランチェスコはイタリア男性に多い名前だ。アッシジの守護聖人でありイタリアの国の守護聖人でもあるフランチェスコ(1182?1226年)は裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。生地だから当然なのだが、こんな絶好の立地はない。世界遺産や聖人フランチェスコだけではなく、ロケーションもアッシジ人気の理由の一つだと思う。

聖堂で希少なフレスコ画を見て聖人の墓のある地下室へ。過酷な修道生活の日々が彷彿とする。キリスト教や聖書についてまったく無知ではないが、信仰者でないぼくでも敬虔にならざるをえない。修道院の中庭や回廊である「キオストロ(chiostro)」はたまげるほどのスケールだが、何かにつけて瀟洒で質素にこしらえてある。それがいっそう「聖なる空気」を充満させているのだろう。 《アッシジ完》

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中世を再現したかのような通り。
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小ぢんまりした市街のどこにも現代は見当たらない。
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遠近法に忠実なキオストロと呼ばれる歩廊はどこまでも続くかのよう。
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サンフランチェスコ聖堂のファサード。
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聖堂の中庭と修道院。
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聖堂のある高台から見晴らす風景。

タブー命題を封印してはいけない

誰から教わったのか覚えていないが、青年期から「政治と宗教」の話はタブーだと心得てきた。けれども、親しい友人となら平気でテーマにするので、いつでもどこでも絶対禁忌きんきと見なされているわけではない。政治や宗教とは無関係な、いろんな人々が集まる場や会合では、話題にしたり言及したりしないほうがいい、暗黙のうちにそうなっているのだから……というわけだ。議論やお喋り好きにとっては、舌に軽はずみをさせぬよう言い聞かせておくべき「禁じられたテーマ」ではある。

つまり、政治と宗教の両方に関わらない人たちにとって、「何かの席上」で論じることがタブーとされている。ところが、議員が政治と無関係の人たちに「政治」を語ることはタブーではなく、また僧侶が宗教と無関係の人たちに「宗教」を語ることもタブーではない。政治家にとっては「宗教問題」だけがタブー、また宗教家にとっては「政治問題」だけがタブーになっている。なぜぼくたちは、いずれのテーマもタブーとして封印しなければならないのか。


十数年前、ディベートの論題を決める際に上記のことが問題になった。政治や宗教の論題はやめるほうがいいというのが多数であった。多数意見を前にすると俄然ノーを突きつけたくなるぼくだ。強く主張した。

「ディベートは『論争のシミュレーション』、誤解を恐れずに言えば、ある意味で『議論ごっこ』なのだから、目の色変えて本気になってもらっては困る。アメリカでは『堕胎の是非』や『黒人生徒への学校の開放』のようなテーマも取り上げていた。極論すれば、どんなテーマでもよいはずだ。」

誰に睨まれようと、今もこの考えに変わりはない。タブー性の高い命題を互いに了解したうえで、議論好きの親しい人間どうしが集まり、たとえ口論寸前の過激なムードになっても咎められることはないはず。それがオープンなディベート勉強会という形になって、何かの拍子で第三者や報道関係者に公開されることになったとしても、ぼくは「見えざる世論」に遠慮することはないと思っている。

政治と宗教のみならず、タブーとしていったん「禁」のラベルで封印されると、どんな話題も公然と論議のマナイタに載せにくい。腫れ物に触らぬよう扱われているうちに、やがて社会的良識から乖離して「治外法権」へと逃げていく。もとより論議という関与しかできないぼくたちにとって、治外法権という温床に鎮座する禁忌命題はまったく手に負えなくなってしまう。そしてよりも深刻なのは、健康、病気、身体的特徴などタブー命題コレクションがますます増えつつあるという事実なのだ。クールに凝視して取り上げ、時には怒りながら、時にはわらいながら、論うことを忘れてはいけない。


油断していると、タブーは日常茶飯事の領域にまで忍び寄ってくる。タブーを侮ってはいけない。人間はタブー発言を耳にすると結束する習性を備えているのだ。「マスクなんてしなくてもいい」とか「マスク求めてドラッグストアに並ぶ連中の気が知れない」とか「インフルエンザにかかったら罹ったでしかたがない」とか、ゆめゆめ公言してはならない。世論が一斉にある方向に向かっている時は流れに逆らわないのが賢明なのだ。そして、やがてこんな弱腰が「異様なほど生真面目でおもしろくない社会」をせっせと築いていくことになる。世界から「ニッポンの常識は世界の非常識」とまたまた揶揄される。ついさっき、ある英文ニュースで「日本は戦争中だ。敵は新型インフルエンザ」というのがあった。案の定だ。

オイルショック当時、トイレットペーパーを買い漁る連中をバカにしたら何十倍もの非難を浴びせられた。後年、誰が愚かであったか、いずれに理があったかが自明になった。「言うべきこと」と「言うべきでないこと」を現在進行形の渦中で判断するのはむずかしい。しかし、結果がどうであれ、何でも言っておくことがマイナスになるとは思えないのだが、この考えは危険なのだろうか。