去る4月、ナポリのとあるピザ専門店がお持ち帰りのピザを「ツケ」で売り始めた。言うまでもなく、ツケとは誰々に何々を売ったことを帳簿に付けておき、その場では代金を徴収せずに、後でまとめて支払ってもらう方法だ。客側にとっては買い掛け、店側にとっては売り掛けになる。
タグ: ピザ
イタリア紀行38 「記憶のアーチとピザ 」
ペルージャⅢ
サン・ピエトロ教会からホテルに戻りチェックアウトの手続きを済ませる。荷物を預けたまま、今度は街の北へと向かう。通り道だから必然目に入ってくるものの、11月4日広場と大聖堂を見納めする。北側への道は、この広場からはおおむね下り坂になる。坂道は何本もあるが、どの道を通ってもアウグストゥスの門に辿り着ける。
ローマ時代以前に12のエトルリア都市が繁栄していて、ペルージャはその一つだった。すでに取り上げたアレッツォやオルヴィエートなども古代エトルリアの面影を残す街である。それらの街を探訪したのも、このペルージャ滞在がきっかけになっている。キーワードは「エトルリア」だった。当時は、ただローマ時代より古い時代ということだけでわくわくしていた。
エトルリア時代の巨大な門である「アウグストゥス門」に対峙する。そこをくぐると時代を古代まで遡っていくのではないかと半分本気で思ってしまう。わざわざタイムトンネルなど発明しなくても、やみくもに「現代の手」を加えなければ、日常的にぼくたちは過去と現在を行き来することができるのだ。
建造物の壁や門は、本来外界と内部を仕切る「クールな機能」を持つ。けれども、直線だけで構築するのではなく、そこにアーチ状曲線の意匠を凝らすだけでゆとりが生まれる。住民や旅人にとって親しみやすく、しっくりとなじめる存在になる。そこかしこに見られたアーチはかなり印象的だった。
もう一つの「曲線の思い出」は大好物のピザである。このピザを食べるために、前日は外食しなかった。窯で焼くこと、ほんの1、2分。一気に焼いて、さっと生野菜を散りばめて「はい、お待ち!」まで注文してから3分ほどだったと思う。これは記憶に残る絶品であった。どのくらい絶品かを表現するのは困難である。敢えて言い表すなら、「もしローマやフィレンツェに行く機会があれば、このピザを目当てにペルージャに立ち寄ってもいい」と思うくらいのうまさである。 《ペルージャ完》
-thumb-210x137.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
-thumb-120x182.jpg)
-thumb-120x182.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
-thumb-240x147.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
-thumb-100x152.jpg)
イタリア紀行22 「文脈が見づらい都市」
ミラノⅠ
パリからミラノのマルペンサ空港に着いたのは2006年10月4日。その四年半前、この空港で退屈な時間を過ごした。その時はナポリへの乗り継ぎのため、便を待つこと4時間。もちろん、空港からは一歩も外に出ていない。だから、ミラノの市街へ入るのは五年半ぶりだった。
初めてミラノに滞在した2001年、置引きに遭った。宿泊したホテルは貧弱、行く先々での食事はまずかった。街のそこかしこに目立つ大胆な落書き。これが新旧アートの誉れ高きミラノか……と溜息をつき落胆した。そんなマイナスの印象が依然残っていたので、ミラノはパスして、パリからヴェネツィアに直行する計画だった。しかし、ミラノに滞在しようと心変わりし、インターネットでホテルを4連泊予約した。ミラノを拠点にすればジェノバ、トリノ、ベルガモへの一日旅行が楽になるという思惑ゆえである。しかし、ベルガモとスイスのルガーノには足を運んだが、ジェノバとトリノへのチャンスはなかった。
七年前の芳しくない思い出の続編を目の当たりにした。マルペンサ空港からリムジンバスでミラノ中央駅に着いた。乗客が全員まだ席についているのに、バスの側面の扉が早々と開く。突然、バスの停車場で待機していた不審な男が走り気味に近づき、旅行鞄の一つを持ち逃げしたのだ。そのラゲージが自分のものだと気づいた乗客が「あいつを捕まえてくれ!」と叫ぶ。運転手の遅々とした反応(泥棒と仲間だと思われてもしかたがない)。乗客が追い通行人も加勢したかに見えたが、視界から消えた。うかうかしていると自分のラゲージも危ない。ミラノはいきなり旅人を疲れさせる。
中央駅そばの地下鉄駅から三つ目がホテルへの最寄り駅だ。嫌な予感がしたので地下鉄をやめて路面電車でブエノスアイレス大通りへ向かった。そこで降り、地図を頼りに夕闇迫る見知らぬエリアをホテルに向かった。ホテルにチェックインして荷物をほどいてやっと動悸が治まる。気が付けば、異様なほどの空腹。服も着替えずに外に出た。ホテルの目の前にグレードの高そうなレストラン。ここは明日の楽しみにしておこうと思い、とりあえず下町の裏道を歩くことにした。
いくつかの店を品定めしたあと、家族経営っぽい庶民的なピザ屋を見つけた。大阪の庶民的なお好み焼店の雰囲気だ。その店の食事、数え切れないほど食べてきたイタリアン食事史上で最低だった。半焼けのような分厚い生地のピザ。作り置きしていて温めなおしたスパゲティ。ミラノの隠れた名物であるはずのライスコロッケは大味。呆れるほどの雑な味だったが、懐かしいモノクロのイタリア映画のシーンと登場人物で重ね合わせて、愉快がることにした。そうでもしないと、これからの4泊5日が呪われるような気がしたのである。
ゴシックの最高傑作ドゥオーモと最後の晩餐に象徴される歴史的遺産。ミラノ・ファッションに代表されるトレンディーな流行発信基地。そこにぼくの体験を織り込んでみると、街の文脈がまったく見えなくなってしまう。ミラノとはいったい何なのか? 奇をてらわず、凡庸な旅人になって定番観光に徹しようと決意した。その出発点に選んだのが、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のガッレリアである。ホテルから地下鉄1号線で4駅目にドゥオーモがある。






