好物の干し柿をいただいた。水分がほどよく残っていて深い甘みのあるあんぽ柿である。柿は日本人にとってなじみのある果物なので、日本原産だと思われているが、どうやら奈良時代に中国から伝わったというのが真説のようだ。この起源説を知ると、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)という句によりいっそう親近感を覚える。
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“Retrospect”という発想
タイトルの“Retrospect”は「回想」とか「回顧」であって、どうひねって解釈してもそこから「発想」という意味などは出てこない。けれども、発想にしても何かを前提にしているはずではないか。何かを起点にして新しいことを考えるのが発想ならば、その何かに過去を振り返ることがあってもいいだろう。回想を「時を越えた脳内情報のシャッフル作業」ととらえてみたい。
語学学習に学ぶ習得のヒント
『英語は独習』という本を20年前に書いた。初版のみで増刷はない。出版社としては妙味のない企画に終わったが、ぼくとしては語学学習の正論を著したつもりだった。ものを学び頭と身体に叩き込んで自動化するには、〈これ〉しかないと言い切ってもいいだろう。書名は『英語は独習』だが、学習論一般としても成り立つと今でも思っている。
〈これ〉とは「只管音読」だ。ただひたすら声を出して読むのである。音読ができるためには、英語なら英語の、(1) 発音・イントネーション・リズムの基本が身についていて、(2) 読んでいる文章の意味がある程度わかっていることが前提となる。
何の取っ掛かりもない外国語を朝から晩まで聴いても、一生話せるようにはならない。イメージと結びつかない言語は意味を成さないのである。目の前にモノがありイメージがあり、ジェスチャーがあってシーンがあるからこそ、想像をたくましくしてことばがわかるようになる。母語ですでに概念を形成している成人なら、ふつうに英語の発音ができて文章の意味がわかれば、集中的に大量音読をおこなうと早ければ数ヵ月である程度のことは話せるようになる。
アルファベットを用いる言語のうち、日本人が文字面で発音しにくい筆頭は、実は英語である。英語はほとんどの人が最初に接する外国語、しかも何年もやっているから文字を読めるようになっているが、スペルと発音の関係はきわめて不規則なのだ。フランス語もそのように見えるが、これは英語を先に学んだからそう錯覚するだけで、先にフランス語をやっていると英語の不規則性はなおさら際立つ。
その英語を数年間ふつうに勉強してきた人なら、中学程度のテキストを何十回と声を出して読みこなせば、単語単位ではなく動詞を中心とした構文単位で意味がつかめるようになる。だから文章が話せるようになるのである。とはいえ、どんなに力説しても、「あなたはもともと英語ができたから、早々と話せるようになっただけで、例外ではないか!?」となかなか信じてもらえない。
ぼくは英語以外では、イタリア語をまずまず話し、スペイン語を聴いて少しわかり、フランス語も少々読める。それぞれ異なったスキルだが、まさに学習方法と費やした時間を反映した結果にほかならない。イタリア語はほんの少しの基礎知識をベースに、誰にも教わらず、ただひたすら音読した。特に1冊目の入門書はおよそ半年間続けた。英国で発行されたイタリア語教本である。この後、むずかしいCDや教本も勉強したが、ほとんど音読はしていない。つまり、最初に只管音読さえしっかりしておけば語学の土台はできるのである。
外国語のこと
議論・交渉・教育と、英語に関しては二十代からかなり高密度に接してきた。併行して20年以上英文ライティングのキャリアを積んだので、書くことと話すことにはあまり不自由を感じることはない。但し、読むことになると、現地で生活しながら学んだわけではないので、慣用句てんこもりの文章やディープな文化的テキストは苦手である。もちろん、知識のないテーマについて書かれた文章には相当手こずる。但し、これは英語に限ったことではなく、日本語でも同様である。精通していないことは類推するしかない。
『英語は独習』という本を書いた手前、外国語独習論を撤回するわけにはいかない。単なる意地ではないことを証すために、その8年後にイタリア語を独習してみた。イタリア語には若干の素養があったものの、五十の手習いである。凝り性の飽き性なので、短期集中あるのみ。一日最低1時間、多いときは5、6時間欠かさずにCDを聴き音読を繰り返した。文法は英語の何十倍も難解で嫌になってしまうが、ほとんど文字通りに発音できるので音読には適した言語だ。
だいたい3ヵ月の独習でおおよその日常会話をこなせるようになった。現地に行くたびイタリア語で通すことができる。しかし、イタリア語から遠ざかってからおよそ3年後に中上級レベルの物語のCDを取り出して聴いてみたが、だいぶなまっていた。語学のブランクはリズム感から錆び始める。取り戻すためには、原点に戻ってスピード感のあるCDを聴き音読に励むしかない。
学生時代にほんの少しドイツ語とフランス語を勉強した。旅の直前に半月ほど頻度の高いフレーズを読み込み、現地で必要に応じて使う。貧弱な語学力であっても、少しでも郷に入っては郷に従いたいと思うからである。けれども英語やイタリア語のようなわけにはいかないので、結局ほとんどの場面を英語で穴埋めすることになる。
覚えたての外国語を教本のモデル会話のように使えば相手に通じる。通じてしまうと、つい質問の一つもしてみたくなる。すると、相手は流暢に答える。今度は、その答える内容が聴き取れないのである。聴き取るのは話すよりもつねにむずかしい。「これいくらですか?」などの表現はどこの言語でもやさしい。使えば通じるが、数字がよく聴き取れない。「最寄りのバス停留所はどこ?」とフランス語で通行人に聞いたら、場所を指差してくれると思いきや、聞き返されている。やっとのことで「あなたはどちら方面に行きたいのか?」と聞かれていることがわかった。
と言うわけで、レストランに入ってもめったに尋ねない。「これとこれをくれ!」と言うだけ。「お薦めは何?」などと聞くと、さっぱりわからない料理の名前を言われるからだ。あまり得意でないドイツ語やフランス語ではぼくの使う疑問文は「トイレはどこ?」だけである。たいていの場合、「突き当りの階段を降りて右」などと言いながらも、トイレの方向も指差してくれるのでわかる。
11月にバルセロナとパリに行くことになったので、スペイン語をざっと独習し、フランス語をやり直している。イタリア語からの連想でスペイン語は何とかなりそうだが、フランス語のヒアリングは難関である。昔からずっとそうだった。あと一ヵ月少々でどこまで行けるか。
「二、三」について
『二案か三案か』というタイトルで昨日文章を書いた。書いてから、何の変哲もない「二、三」という表現に妙に囚われている。ついでなので、「二、三」について少考してみることにした。「二、三」とは、文字通り「二つか三つぐらい」のことである。少々とか若干という意味にも使われるが、全体で五つしかないときに二、三と言えば、もはや少々や若干というニュアンスは削ぎ落とされている。数字表現のくせして、自在に変幻する雰囲気を持っている。
「二、三の点についておうかがいしたい」はいい。しかし、点を「論点」に言い換えて「二、三の論点についておうかがいしたい」となると、どうもしっくりこない。「論点」ということばの性質が二、三というアバウトを許さないような気がするのだ。この場合は、「二つの論点」または「三つの論点」とするべきではないか。「二、三人で来てください」。これはいい。二人または三人のいずれをも許容している。軽い約束なら「二、三日後」も問題ない。「もぎたての柿を二、三個分けてください」に対して、「二個か三個かはっきりしろ」と憤るのは筋違いである。
では、「二個ほど」はどうか。蕎麦屋で若い男性が「いなりずしを二個ほどください」と言ったので、注文を聞いた女性が困惑していた。二個ほどと注文されては、勝手に判断して一個や三個を出しにくい。まさか一個半や二個半はないだろうから、「二個ほど」は「二個」以外にありえない。日本語文法に詳しくないが、この「ほど」は「およそ」とか「約」ではなく、もの言いを婉曲的にやわらげているのだろう。しかしながら、「柿が百個ばかりあります」に対して「では、十個ほどお分けください」と言われても、さほど異様に響かない。やはり「二個」と「ほど」の相性の問題か。
英文和訳の授業で“a few days ago”を「数日前」と訳した。「数日」とは何ぞやと問われれば、恐々ながら「二、三日」と答え、心中ひそかに「五日くらいまで入るかも」と思ったものである。これを裏返すように、英作文の授業では「二、三の」を“a few”と訳した。そう訳すように強要した教師もいた。日英の単語を単純対応させる学校英語は無味であり無機的であった。「二、三の」と厳密に言いたいのなら“two or three”とすべきだとわかったのは、後年本格的に英語を独学するようになってからである。
英語の“a few”は断じて「二、三の」ではない。「少数の」であり「わずかな」であって、絶対的な数値を表すものではない。先にも書いたが、五つのうちの二つ三つは決してわずかではないのである。では、分母が十や二十になれば、二、三を少数と決めつけてもいいか。おおむねいいだろう。但し、必ずしも断定はできない。たとえば、まさかこんな本を読んでないだろうとタカをくくって聞いたら、意外や意外、二十人中三人が読んでいたとする。このとき、ぼくは「三人も!」と驚いたのであるから、これは決してわずかではない。この状況で“a few”を使うことはない。
ふだん五十人くらいの客で賑わっている居酒屋だが、今日は七、八人。このとき、「えらく少ないねぇ」と言えるし、英語でもこんなときに“a few”を使い、強調したければ“only a few”と言ってもよい。英語の“a few”は2から9までの一桁なら平気で守備範囲にしてしまう。比較対象との関係で「少なさ」を強調したければ、どんな場合でも使えないことはないのである。
ちなみに、英米人にお金を貸して「数年以内(within a few years)にお返しします」と約束されても、ゆめゆめ「二、三年後」と早とちりしてはいけない。今から四十年も遡るその昔、「沖縄を“within a few years”に返還する」の解釈を巡って、日米はもめた。「二、三年」と解釈した日本政府に対して、アメリカ政府の想定はもっと長かったのである。
ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑦ ロデオ・ドライブ
関西空港の検疫、入国、税関を通って2階から出て外気に触れた瞬間、ムッとした湿気と23℃の気温で汗ばみはじめた。この10日間、カリフォルニアも最高気温はたぶん同じくらいだったと思うが、湿度がまったく違う。サンフランシスコの朝夕は気温が下がり強い寒風も吹いていた。ロサンゼルス郊外のパロス・ヴェルデスと近くのビーチも底冷えに近い感じだった。ただ、体感温度というものは人それぞれなようで、半袖半パン姿もいれば冬装束もいたのがおもしろい。
長らく聴き話す英語から遠ざかっていたため子どもや訛りのある英語は少し聞きづらかったが、話すことに関してはほとんど苦労はなく快適だった。気候も食材もいいし、カリフォルニアワインは、日本で飲む以上に赤・白ともにおいしかった。カリフォルニア米もサシの入っていない重厚な牛肉も気に入った。けれども、自動車がないと身動きの取れない社会。ぼくにとってはサバイバルしにくい地域ではある。手軽に散策したり自在に街の路地を歩いたりできないのがやや辛かった。もちろん、それは風土の責任ではなく、ぼく自身の生活スタイルから派生する不便である。
若い頃から大勢のアメリカ人と公私ともに接してきた。そして、あらためて痛感し再認識したことがある。それは、日米最大の相違にして、わが国が未だ道険しい状況にある対話能力なのである。彼らはどんなに小さなコミュニケーションでも口先でお茶を濁さない。誰かと話をすることは、極端に言えば、真剣勝負なのである。外交辞令的に場をしのいでいる人間のメッキはすぐに剥がれてしまう。たとえば、二人が会話している時に勝手に割って入ってはいけないというマナー。逆に、二人で会話をしている時、一人がよそ見をしたり中断して他の誰かに話し掛けてはいけないというマナー。わが国では日々この二つのマナー違反に苛立つことが多い。会話の不用意な中断を自他ともに許してはいけないと思う。
さて、ハリウッドは車でざっと通るだけにして、滞在最後の午後の散策にはビバリーヒルズを選んだ。ロデオ・ドライブも歩いてみた。この種の観光スポットから受ける印象は、たいてい往来の人数によって決まる。人出に絶妙の匙加減が必要なのだ。どんな匙加減かと言うと、団体ツアーの観光客はやや少なめ、それより少し多めの個人観光客、そして同数の地元住民が散歩するという具合。これらがほどよい印象をもたらす。この日の正午前はちょうどそんな配分だった。
《ロサンゼルス完》