能力について考えた一週間

ブログにはコメントをいただく。「ブログ上にコメントしにくい」という人たちは、メールや口頭で意見を寄せてくれる。この一週間は、まったく偶然なのだが、人および人の能力について考察する機会が多かった。言いっ放しにしておかないで、余燼が熱いうちにアトランダムに少し振り返っておこうと思う。


昨日の、アイデア不足を精神主義でごまかす話にコメントをいただいた。企画性の高い仕事をしている人なら誰もが経験するだろうが、アイデアは出ないときにはどんなに足掻あがいても出ない。現ナマの札束を目の前に置かれようと何十発の鞭に打たれようと、どうしようもない。焦る。焦ってどうするかというと、内からの叱咤激励系のコトバの鞭、すなわち「何が何でもやるんだ! 頑張るんだ!」で身体を打つ。もちろん効果などない。精神主義とは、ある意味で玉砕的であり「自爆テロ的」であることを知っておくべきだろう。アイデアが出ない時、ぼくは着実な作業に打ち込む。精神に向かわず現実に向かう。一年前のレジュメを書き直したりパワーポイントのフォントや色をいじったり。とにかくコツコツ作業を積み重ねる。アイスブレークの最良の方法は単純作業か、散歩だと思っている。


先週の金曜日に「ぼくは決して遅れない。足りない才能を納期遵守力でカバーするタイプである」と書いたら、「そんな心にもないことを」と言われた。「足りない才能なんて思ったことはないでしょ?」という意味である。いやはや、謙遜でも何でもないから、困った。人が一度読めばわかることを二度読まねばならないし、断片的で雑多な知識はまずまず持ち合わせているが、体系的に知を組み立てるのは苦手である。「かく仕上げたい」と思う方向に文章も書けていないし、仕事も運べていない。企画をしていながら、私塾のコンセプトを伝えるのは不器用である。ぼくは理想とする才能への道未だ険しと痛感しているのである。但し、確実にできることはその日のうちにやり遂げる。その一つが「期限を守る」なのだ。あり余る才能があっても、期限を破ればすべておしまい。ゆえに期限を守る。


「あ、この人、自分がわかっていないなあ」と感じることがないだろうか。たとえば、自分のことを笑わせ上手だと信じきっている人がいる。ジョークを言ったりはしゃいでみたり、タイミングを見計らっては笑わせようとする。また、間違いなく笑わせることができると確信している。もちろん彼は自分自身をおもしろい人間だと思っているから、ナルシストよろしく自分のネタにも笑う。やむなく周囲も苦笑い。こうして、彼は「オレは笑わせ上手」を生涯疑うことがない。他者が描く像と自画像の間には認識相違パーセプションギャップがある。自分はこうだと思っているほど、他人の眼にはそう映ってはいない。よく自戒しておきたい。


いろんな会社を見てきた。いろんな経営者も見てきた。成功法則はわからない。無策でもうまくいくし、諸策万全にして潰れていく企業もある(逆も真なり)。水が方円の器に随うように、人材は組織の大小やカラーに柔軟に適合するわけではない。水も固体、液体、気体と大きく変化したり多様な顔を見せるが、人材の多様性はそれどころではない。つくづく「十人十色」とはうまく言ったものだと思う。企業システムと人材には相性がある。あるシステムにどんな人材も適応するようなら、そのシステムそのものは平凡で、十人一色的特徴を持っているのだろう。システムから入るのではなく、人から入る。ぼくは「企業は人なり」よりも「人が企業なり」に分があると思っているので、人間の勉強をする。システムの勉強には熱心ではない。