続・ネタはランチタイムから

わが国で消費税が導入されたのが198941日。エイプリルフールの日であったが、決して冗談ではなかった。当初は中途半端な3%によく戸惑った。いや、戸惑いは数年間ほど続き、ものを買うたびに掛け算して小数点以下の端数まで計算していたものだ。消費税率を3%にした背景には、国民の乗算力強化という狙いがあったに違いない。

消費税導入から5年ほど過ぎたある日の手帳に、ハヤシライスを昼食に食べに行った話が書いてある。まだ十分になじめていない様子が浮かんでくる。

昼食にカレーショップでハヤシライスを食べる。座って注文して待つこと20秒。早速出てきた。「お待たせしました」。(待ってない、待ってないと内心つぶやく。) その店員さん、「前払いとなっています。618円になります」と告げる。ハヤシライスは600円。これに消費税3%が加算されて618円。消費税のせいで、価格が落ち着かない数字に化けてしまう。

お店の方針だから前払いに抵抗することはできない。言われるがままに支払った。しかし、考えてみれば、このシステムは変なのである。場合によっては、食後に200円のホットコーヒーを付けてもらおうと思っていた。同時に頼まないのはぼくの習性。ランチのまずい店のコーヒーがうまいはずがないからである。この店は初めてだったので、ハヤシライスの味次第でコーヒーを追加しようと目論んでいたわけだ。

ところが前払いなのである。まず、ハヤシライス代のお釣りが82円。それがうまいということになってコーヒーを頼むと、再び前払いとやらで206円。全部終えてから精算すれば、合計824円。面倒な一円単位のやりとりを一度で済ませることができる。ハヤシライスはぎりぎり合格点だったが、何だか面倒になってコーヒーは頼まなかった。昨今、ショットバーなどで「キャッシュ・オン・デリバリー」というのがあるが、あれだって一円玉や五円玉を出したり受け取ったりしていては格好がつかない。

ハヤシライスを食べていたぼくの隣りのオバサンは、カレーライスを二口、三口食べたところで「すみません、生卵一つ」と注文した。食事の最中にバッグから小銭入れを取り出して51円を差し出した。何だかスケールの小さなママゴト遊びをしているような光景に見えてきた。


やがて消費税は5%になった。税率アップに関しての是非はさておき、多めに払うことになったものの掛け算はとても楽になった。小学生の頃、九九が苦手だった人も五の段だけは七や九の段より得意だったはずである。

こんな体験がトラウマになっていて、消費税引き上げ論よりも何パーセント引き上げるかに関心がいってしまう。何が何でも7.7%などというのは阻止せねばならない。それなら8%にしてもらったほうがましだという気になる。えい、ままよ、いっそのこと10%にしてくれよと懇願したりして。なるほど、こうして13%よりは15%になるのか。ちょっと待てよ、17%などにされてはたまらん、それなら20%でよろしく――こんな調子でアップしていくのだろうか。

しかし、世界各国の消費税率を見てみると、キリの良し悪しはあまり関係なさそうだ。フランスの19.6%やイギリスの17.5%なんていうのもある。キリのいいのは先進国ではイタリア(20%)とオーストラリア(10%)くらいだ。

仕事の合間のランチタイム。ぼくは弁当ではなく、なるべく外に出る。弁当主義の方にも週に一度の職場離れをお薦めする。仕事と職場を切り離した五感でネタを拾う。いや、拾わなくてもいい、勝手に入ってくることがほとんどだ。何かを発想したり調べたりするきっかけになってくれることを請け合う。  

ネタはランチタイムから

その昔、朝日新聞の天声人語で「困ったときは動物園ネタ」というのが紹介されていた。上野動物園に電話をかけるなり出掛けて行くなりして話を聞くのだそうだ。なるほど、動物ネタは好感材料である。ブログもそうだが、毎日何かについて書くというのは大変だ。ぼくなど毎日登板しないから、さほどでもない。また、書くのが億劫ではないので、ネタさえあれば短時間で綴ってしまう。

「ブログのネタに困ったらランチに行け」というのが今日の話のネタではない。ブログがそこまで負担ならさっさとやめてしまえばいい。ここで言うネタとは、仕事のネタ、特にぼくの場合は企画のネタや講演のネタや談笑のネタのことである。いや、ネタそのものでなくとも、ネタの触媒であってもいい。ほぼ毎日一回体験するランチタイムを、ただ腹一杯にするだけの時間にしてはもったいない。箸を動かしながらも店舗観察、人間観察、慣習観察をするのは楽しい。ランチタイムはネタの宝庫なのである。

鰻をネタに何度かブログを書いた知人がいる。この人、これからも書きそうな気がする。彼には大いに共感する。どういうわけか、鰻屋では初めての体験や傑作な光景に出くわす確率が高い。今から14年前のノートにも鰻屋の話を書いているので紹介しよう。


昼食に鰻を食べた。昼はなるべく野菜を多めに取るようにしているが、いきおい中華丼(中華飯)や五目焼きそばということになってしまう。それでは飽きる。たまには鰻丼も悪くない。と言うわけで、ピークを過ぎた時間帯に一人で鰻丼を食べに行った。食べ始めてしばらくすると、年恰好70歳くらいの男性がお勘定に立った。お勘定を終えて、調理場のほうに向かって店の大将に話しかける。

「○○に勤めていた何々です。大将、覚えておられますか? この界隈に30年ぶりに来ました。懐かしいですわ」

しばし会話が続く。最初一瞬首をかしげた大将、話をしているうちに思い出した様子である。それだけ久しぶりとなると、最後にそのお客さんが来たのは推定40歳頃になる。よくぞ大将が思い出したと感心するが、顔を思い出したのではなくて「〇〇」という社名から記憶がよみがえったのかもしれない。

老人が店を後にして、残った客はぼく一人。しばらくして店員の二人の姐さんの会話が始まる。姐さんたちも還暦前後である。

姐さんA 「三十年前なあ。十年一昔言うから、”三昔”やね」
姐さんB 「ほんまほんま。そんな昔、まだ生まれてへんわ」
姐さんA 「そらそうやわ。わたしがちょうど生まれたかどうかいうくらいやもん」

ここでご両人、自分らの会話に大爆笑。大阪では、吉本新喜劇にわざわざ行かずに、鰻屋でミニ漫才が楽しめる。


さっき中華のランチから帰ってきた。スタッフと二人で食事をした。仕事の話に夢中で、周囲の”ネタ”探しはできなかった。ネタを見つけたいなら、ランチは一人で行くにかぎる。ランチタイムは「探知タイム」である。