価格と価値

半額値引き.jpgかつて「世にも不思議な物語」が存在したのは、常識であること・変わらざることが当たり前の時代にごく稀に起こったからである。最近、ぼくたちはちょっとやそっとの出来事では驚かなくなった。いろんな価値観が氾濫しているし、かつて珍しかったものも珍しくなくなっている。どうやら発生頻度において、非常識が常識といい勝負をするようになってきたらしい。

つまり、当たり前なことと当たり前でないことの線引きがしにくくなってきたのだ。ぼくたち自身も鈍感になってアンテナの感度を悪くしているのかもしれない。氾濫する奇妙な現象をちっともおかしいと思わなくなっている。だから、時々メンテナンスのつもりで、日々の暮らしの視点から価値観念をリセットしてみることが必要なのだろう。
 
自宅から徒歩10分圏内に同じチェーンのスーパーが二軒ある。土・日の午後、たとえば散歩の帰りや書店を覗いた後の午後4時頃にたまに立ち寄ることはある。以前から、午後6時以降に食品(とりわけ弁当、惣菜、揚げ物、寿司、刺身、サンドイッチなど)が値引き販売されることを耳にしていた。値引きタイムの直前になると、空っぽのカゴを提げてうろうろし始め、値引きシールが貼られるのを待つ客が増えるらしいのである。自称「現場監察派マーケッター」であるぼくだ、現実をこの目で見るために、オフィス帰りの午後6時以降、日を変え時間帯を変えて何度か足を運んでみた。

いるわいるわ、商品を手に取るわけでもなく、お目当てのコーナーに時々流し目をしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりする人たち。まだ買物客と呼ぶにふさわしくない、値引きシールが貼られるのを待つ人たちだ。午後6時過ぎ、手にラベルを携えた店員が現われ、30%引きシールを矢継ぎ早に貼っていく。カラアゲや惣菜などがみるみる値を下げ始める。次いで寿司や刺身。チャーハンに焼きそば、カレーライスなどはいきなり半額という日もあった。
 
観察が目的だから、原則長居はしないので、つぶさに現象把握できているわけではない。ただ、たまたま買物がてらに寄った午後8時頃には「焼肉用ロース」が半額になっていた。毛ガニが半額になっていた日もあった。半額ラベルの常連はスーパーの戦略も心得ているようで、ピンポイント時刻にやって来ては安く買って帰る。ぼくなどは、午後8時までに夕食を終えるので、お得な食材にはありつけない。
 
午後559分に500円だったものが、1分後に350円になり、その時点から2時間後には250円になってしまう。こんな急激な価格変動は、かつては大晦日の市場の値引き交渉以外にはありえなかった。消費者が納得する価値にふさわしい価格を付けたはずだが、価格が下がれば実感する価値が反比例するように大きくなるのだろう……そんなふうに考えていた。だが、はたしてそうなのか。とある日の午後6時、いきなり680円の弁当に半額ラベルが貼られたことがあった。しかも、ぼくの目の前で。それを一つ取ってカゴに入れたのは言うまでもない。価格と価値の関係? そんな難しい話ではなかったのである。

値段がクイズになる会話

K氏が知人からゴルフ会員権を買った話を氏にしている。ぼくはゴルフとは縁のない人生を送ってきたので、会員権が何百万とか何千万とかいう話が飛び交っても感覚がよくわからない。耳を傾けていると、かつてマンションと同じくらいの価格だった会員権を20分の1で買ったと言うのである。それも、ふつうに語るのではなく、安く買ったことを鼻高々に弁じているのである。典型的な大阪オバチャン的キャラのK氏のことだ、おそらく今日に至るまで方々で吹聴してきたに違いない。

「大阪人は変だね。なんで安く買ったことを自慢したがるのかわからない。東京じゃ、むしろ高く買ったことに胸を張るよ」と関東出身のS氏が呆れ返る。大阪人であるぼくも、S氏に同感である。このブログで拙文に目を通していただいている大阪以外の地域の読者が7割。想像してみてほしい。大阪人ならほとんど自らが出題者になり、また回答者にもなった覚えのある日常会話内のクイズが、「これ、なんぼ(いくら)やと思う?」だ。身に着けている商品ならそれを指差して値段を推測させるのである。K氏もまったく同じように、「会員権、なんぼでうたと思う?」と尋ねていた。

「これ、いくらだと思う?」と切り出すのは、驚くほど安い買物をしたことを自慢する前兆である。「いくらかなあ、五千円くらい?」と言わせておいて、にんまりとして首を横に振り、「いや、たったの千円!」とはしゃいで見せる。まるでバナナの叩き売りをするオヤジ側の口調みたいなのである。もちろん、自慢したり自慢されたりの関係にあっては、安い値段を聞いて「へぇ~」と驚く。そのびっくり具合を見て当の出題者は勝ち誇る。


だが、会話がそんなにスムーズに運ぶとはかぎらない。なにしろ値段を当てさせようと出題した時点で、思いのほか安かったというヒントが見えているからだ。的中してしまうと出題者は少し残念そうにする。しかし、実際の値段よりも安く答えられるともっとがっかりし、やがてムッとして「そんなアホな。そんな安い値段で売ってるはずないやん!」と吐き捨てる。気分を害してしまうと、正解も言わずに会話を終える。大阪人に「これ、なんぼやと思う?」と聞かれたら、推定価格の数倍で答えておくのがある種の礼儀かもしれない。高めに回答し、してやったりの顔で正解を言わせ、仰天してみせる。場合によっては「どこに売ってるの?」と興味を示せば、完璧な会話が成立する。

日曜日の昨日昼過ぎ、出張から帰阪した。地下鉄のホームに降りて電車を待つ目の前で七十半ばの老人二人が話している。二人は知り合いで、バッタリ会った様子である。男性のほうが、デパートの地下食料品街でおかずを見つくろって買った話をしている。「あんたは何してたん?」と聞かれて、瞬発力よろしく女性が反応する。「私? 私はお茶をうただけ。お茶、三百円」。出題こそしなかったが、物品購入時にご丁寧に値段も暴露する。これが大阪人のDNAのようである。