ロダンの言葉で忘れられない一文がある。
「私は毎日この空を見ていると思っていた。だが、ある日、はじめてそれを見たのだった。」
ぼくたちは毎日見聞きしているものをちゃんと見聞きしているとはかぎらない。そのことに気づかされるのは、ある日突然これまでと違った次元の見聞きが起こるからである。
今日の夕方、ロダンの古色蒼然とした一冊を古書店の200円均一コーナーで見つけた。
「堂聖のスンラフ」と表紙に書かれている。昭和十八年十一月の初版発行だから右書き表題。もちろん『フランスの聖堂』である。
さあどこから始めよう? という問いを受けて文章が続く。
始めなんてものはない。到着した所からやり給へ。最初君の心を惹いた所に立ち停り給へ。そして勉強し給へ! 少しづつ統一がとれて来るであらう。方法は興味の増すにつれて生れて来るであらう。最初見た時は、諸君の眼は諸々の要素を解剖しようとて分離させてしまふが、それらの要素はやがて統合し、全體を構成するであらう。
いつも見ていたはずの空をいま初めて照見するのに通じるようだ。経験の程度に応じて、分析から統合、部分要素から全体へとシフトするのは、ほぼすべての学習において真であると思う。