語学への関心が高まった十代半ばから半世紀近く経った今に至るまで、時々ふと思い出して上田敏の訳詩集『海潮音』を本棚から取り出す。上田敏が英語、ドイツ語、フランス語に堪能であったことはよく知られている。しかし、詩を訳すには外国語に堪能である以外に別の才がいる。
原詩の心象や情景を汲み、まったく異言語である日本語でリズムと語感を響かせ、文字数も合わせねばならない。筆舌に尽くしがたい才である。上田敏の訳は一頭抜きんでていて他を寄せ付けない。名立たる欧米の詩人の原詩をはるかに凌いでいる。詩集であれ小説であれ、文学作品の翻訳が原作に優ることは稀だ。
最近古本屋で『海潮音』の復刻版を見つけた。三百円の値札を見て躊躇なく手に入れた。ウェブの青空文庫なら無償なので、興味のある方は通読して気に入った詩を味わったり口ずさんだりしてみればどうだろう。
原詩を知る人はめったにいないが、ドイツの詩人カール・ブッセの訳詩なら誰もが一度は見たか聞いたかしているはず。
山のあなた
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとゝ尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
『海潮音』には、南仏の詩人テオドル・オオバネルの一編も収められている。
海のあなたの
海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。
まるで「山のあなた」と対になっているような一編である。もちろん二つの詩が山と海を主題にして対詩を成しているわけではない。一方がドイツの詩人、他方がフランスの詩人。詩作の時代も場所も違う。しかし、上田敏の訳によって、二つの主題が響き合っているかのように鑑賞できるから不思議である。