和辻哲郎の著作は、二十代の頃に『古寺巡礼』と『風土――人間的考察』を読み、啓発されるところ大であった。その二冊に比べると、この『日本語と哲学の問題』は少々面倒くさい。一、二章だけ読みたい箇所があったので買ったが、本棚に放り込んだままだった。
お茶目な表紙にだまされてはいけない。だいたい和辻哲郎という人の本は――おおむね論理的に書かれていると思うが――一筋縄で読み下せない。「簡単に言えることをわざわざこねくり回しているようだし、そうでないとしても、テーマそのものがチンプンカンプン。苦手中の苦手」と言う知人がいる。実は、そういう人が多数派だ。
前々から、「事」と「こと」が同じではないと知っていた。そういうことがこの本に詳しく書いてあるので手に取った。「事」とは出来事や事件を意味している。「変わったことが起こった」とか「何かことがあれば」と言えば、「事」のことである。
他方、「事」ではない「こと」がある。「こと」は動詞――たとえば「書く」――にくっついて「書くこと」という動作を示す。なぜ「書くこと」があるかと言うと「書くもの」があるからで、つまり、「こと」は「もの」に属する……まあ、こんなふうに和辻哲郎は考えるのである。
先日、依頼されて4,000字の文章を書いた。初稿を読み返していたら、「もの」「こと」「ある」「~ということ」がやたら出てくる。これは苦しんで書いた証拠だと潔く認め、大胆に推敲することにした。かなり減らせて読みやすくなった。
「もの」「こと」「ある」「~ということ」がこの和辻の本で独特の視点で考察されている。分析的にそれぞれの意味を解き明かしている。それはそれでご苦労さまと言っておくが、ぼくとしてはそのような意味を含めたり理由をわきまえたりして書いているわけではない。今回取り上げた「こと」が文中に増えてしまうのは、ただただ作文が下手だからである。