ちょうどいい加減の説明

先日、かなり譲歩して理解につとめたが、その短い説明文の意味がさっぱりわからなかった。いったい説明にどれだけのことば数を費やせばいいのか。ことばを多めに尽くすにしても少なめに抑えるにしても、内容に応じてわかりやすくほどよいことば数に調節するのは一筋縄ではいかない。

本を解説する無料の小冊子が出版各社から出ている。たとえば手元にある『新潮文庫の100冊』。読ませどころのさわりを23行の見出しで示し、内容を66文字以内で解説している。無駄なく見事にまとめられている。こういう簡潔な書き方のほうが、好きなだけことばを蕩尽するよりも時間がかかる。

翻って、思いつきで適当に書いたり話したりした説明は、読み手や聞き手に負担をかけてしまう。説明者のことば足らずや饒舌ぶりを読み手や聞き手が忖度することになる。説明者のことば足らずにはことばを補い、ことば過剰なら引き算しなければならない。

いま、「書いたり話したり」と書いたが、目の前で話されたことなら、わかりにくさはほぐすことができる。意味や意図を直接尋ねることができるからだ。しかし、書いた本人がそこにいない時――本などがその典型だが――聞きたくても聞けない。下手に書かれていたら、パズルを解くような覚悟で歩み寄るか、あきらめて投げ出すしかない。


力のないことばを吐かないようにしよう……ダラダラと説明したり言い訳したり独り言のようにブツブツ言うのはやめよう……いま目の前にいる相手――目の前にいなくても想定する読み手――に伝えよう……書いて伝えるなら論理を整えよう、そして説明をきちんとやり遂げよう……説明責任を果たそうとすればことば数は増えるものだ。迷ったら、不足よりは過剰を選ぶ。

理解のもどかしさは、突き詰めていくと、ほとんどことばの拙さに辿り着く。ことばによるコミュニケーションは人間だけに付与された特権なのに、修行不足のせいで誰もがことばでつまづく。言い得ぬもどかしさ、伝えづらいもどかしさ、思い通りに伝わらないもどかしさに苦しむ。これらはうまくいかない人間関係のもどかしさにつながる。

そんなことで苦しむくらいなら、思いつくまま話したり適当に書いたりしておけばいいと、つい思ってしまう。そして残念なことに、多くの人がそう思う時代になって、意味不明な短い文章ばかりが垂れ流されている。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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