見せかけの笑顔

笑顔

見せかけの笑顔……取って付けたような笑顔……うわべだけの笑顔……わざとらしい笑顔……いろんな表現がある。では、これらの笑顔の逆の「正真正銘の笑顔」を何と言い表わせばいいのか。真心のこもった笑顔? 素直な笑顔? 嘘偽りのない笑顔? 自然な笑顔? これもいろいろありそうだ。

昨日来客があり、雑談の中で愛想笑いの話が出た。客人の一人が「ロシアではどこの店に入っても店員はにこりともしない」と言う。ロシア全土でもモスクワに限定してもいいが、店員を一括りにして「誰もが」と一般化するのは危険である。経験上の話であって、全サンプルを調べ尽くしたわけではないのだから。以前、チェコに旅した人もよく似たことを言っていた。だからと言って、「東欧諸国のレストランの店員は……」などと結論を急いではいけない。

五輪招致のプレゼンテーションで「お、も、て、な、し」とスタッカート調子で大見得を切って以来、接客業はそれに見合う店員教育にさらに力を入れているのだろうか。大見得を切るずっと昔から、わが国のサービス業は接客マナーの向上に力を入れてきた。海外からも異口同音に賞賛されているのは周知の通り。しかし、マナー教育が行き届いているはずのこの国でも、無愛想で不機嫌な表情の店員を見かける。例外に属するのかもしれないが、いることはいる。だから、日本人の店員のマナーがいいと、これもまた一般化はできない。それに、にわかマナーと年季の入った滲み出るマナーははっきり見分けがつく。


数年前までよくイタリアの都市を旅していた。ご飯を食べるにはレストランへ、アパートで自炊するにしても食材求めて市場へ、エスプレッソをひっかけるならバールへ、そして、買うにせよ冷やかすにせよ、小物雑貨の店にも足を運んだ。店に行けばイタリア人店員に接客され会話の一つも交わす。そして、何十という店に入ってみていろんな店員がいることに気づいた。ラテン系は陽気でいつも笑みを湛えているなどという刷り込みがあると、50パーセントの確率でがっかりする。とりわけ、職人が販売も兼ねている店や一人で商売している店ではその確率がさらに高くなる。

それはそうだろう。アジア人の男が一人で店に入って来るのである。冷静に考えれば、どんな相手にも初対面でつねに満面笑みを浮かべるほうがむしろ不自然ではないか。客であるこっちにしても、いきなり愛想よくされても対応に困ることがある。レストランで黙ってテーブルに案内され、鞄の店でキッと警戒感を顕わにされ、観光案内所や駅の窓口で表情一つ変えずに地図や切符を差し出されたりしているうちに、それで接客上何か問題があるはずもないと思うようになった。郷に入って郷に従っているうちに免疫ができたということだが、ぼくには「郷」のほうが快適だということがわかった。

最初のうちは質問にぶっきらぼうに答え、黙って商品を指差すだけのこともある。しかし、空気がほどけるにつれてフレンドリーな対応に変わってくる。身構えから打ち解けへ……これが自然なのではないか。マナー教育で強いられたような意味のない愛想笑いのほうがよほど不自然、いや、不気味でさえある。わが国の大衆居酒屋やコンビニの笑顔は心底から湧き出ているようには思えない。「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と、両手をへそのあたりで重ねながら深々とお辞儀されるのも苦手である。そういう所作や作り笑いであっても、ないよりはましと言う意見もある。そうかもしれない。だが、社会一般で決着すべき是非論ではなく、ぼくが好まないというだけの話である。

本来笑顔は相手に反応して自然に浮かぶものだ。笑顔にシナリオがあってはたまらない。相手構わずに、かくありきという笑顔の練習をしても「おもてなし」の域には達しないだろう。最近、見せかけの笑顔が「見せびらかしの笑顔」に見えるようになってきた。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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