先週の土曜日は雨だった。雨降りが多いのを実感する今年の2月と3月だ。梅雨の季節と同じく、雨が続くと日々の変化を感じにくくなってしまう。せっかくの休日の土曜日、会期終了間際ということもあって、ハプスブルク展を目指して京都国立博物館に行くことにした。実は、6年前にウィーン美術史美術館を訪れているので、今回の展覧会をパスしようと思っていた。と言うのも、その美術館所蔵の作品が多いからである。しかし、ブダペスト国立西洋美術館所蔵の展示作品も揃っていると知り、少なからぬ興味は持っていた。
七条駅から地上へ出ると少し肌寒い。雨の中を人がやけに大勢歩いている。駅員さんが教えてくれた、前売券を販売している書店兼タバコ屋では数人が並んでいる。「ほほう、最終週になるとこんな具合なのか」と気楽に構えていた。驚きはこの後で、博物館に着くと入口に「待ち時間90分」の表示が出ているではないか。本家のウィーン美術史美術館やピカソ美術館では待ち時間ゼロ、ヴェルサイユ宮殿はわずか10分、ルーヴル博物館でも5分も並んでいない。正直、とても1時間半も待てないと思った。手元の前売チケットを誰かに買ってもらおうかとすでに算段し始めてもいた。
しかし、思い止まった。何をそんなに急いている? と自問し、正午を少し回ったところなので、近くのうどん屋に入って腹ごしらえすることにした。待ち時間が増えるのか減るのかはわからない。博物館前で案内をしていたアルバイトの青年に聞いても、団体観光客が押し寄せているので判断がつかないと言う。「午後2時過ぎなら待ち時間が短縮されているだろう」という自分の希望的推論に賭けて、七条通を挟んで向かいの三十三間堂の門を20年ぶりにくぐることにした。国宝三十三間堂を時間潰しに使ったらバチが当たりそうなので、きわめて神妙かつ真剣に見学した。
博物館に戻ったら、待ち時間が60分になっていた。一応賭けはうまくいったようである。雨も上がった。とは言うものの、行列の並ぶ店を敬遠するぼくにとって1時間は長い。そこで、館外の常設ギャラリーで本を買うことにした。ハプスブルク関係は数冊あったが、品定めをして『ハプスブルク帝国』を買った。税別650円の一番安価な文庫本だったが、安いからではなく読みやすそうだったから求めたまで。待ち時間60分の表示はほぼ正しく、本も第3章まで読めたのであっと言う間に時間は過ぎた。
中世から近世にかけての西洋絵画の最大のテーマは宗教と人物である。宗教画と肖像画が圧倒的な数を誇る。ぼく自身は絵画の解説をヘッドホンで聞くオーディオサービスを受けたことがない。しかし、宗教画と肖像画を鑑賞するときだけは説明付きのほうがわかりやすいだろう。歴史の背景や人物の身上を通してこそ絵の見方が深みを増すことはたしかだ。たとえば、さほど有名でもない「フランドルのある青年」というタイトルの絵なら素通りする。しかし、肖像画が「マリア・テレジア」であり、彼女がオーストリア系ハプスブルク家の女帝であり、かのマリー・アントワネットの母君であることを知っていれば、あるいは神聖ローマ帝国や当時のヨーロッパの勢力地図の知識が少しでもあれば、単なる一枚の肖像画としてその前を通り過ぎることはないだろう。
いや、絵画は気に入るか気に入らないかがすべてだ、色使いや構図やタッチが好みに適い、鑑賞していて楽しければそれでいいではないか、という考え方もある。何を隠そう、ぼくなどはそういう意見に強く与するほうなのだ。だから、キリストや聖書を知らないと理解しづらい宗教画にはあまり関心がない。どの教会にも掲げられている「受胎告知」を見るにつけ、「あなたは妊娠しましたよ」と天使が余計な世話を焼くものだと思っているくらいである。ぼくの好みの絵画は街の風景で、理屈はいらないし、気ままに時代や生活を偲びながら楽しむことができる。なお、三十三間堂の千体観音や観音二十八部衆像も宗教がらみ、さすがに歴史の予備知識がないと厳しい。