今日のネタ 「2013年9月~11月」と表紙に書かれた文庫本サイズの過去ノート。ぺらぺらとめくって文字を追えば記憶がよみがえる。読まなければ忘却の彼方。加齢によって覚えることがままならなくなる。だから、ノートをきっかけにして時々思い出してみるのだ。知り合いを観察していると、読まない人ほど記憶が衰えやすい。要注意。
難字 難解な漢字には、❶読みが難しいもの、❷意味がわからないもの、❸ほとんど再現できないものがある。
❶は知らなければ読めない。字画の少ない「小火」も、字画が多くて見慣れない「麺麭」も、初見だと読みづらい(それぞれ、「ぼや」「ぱん」)。
「拳拳服膺」は❷の例。この四字熟語は「けんけんふくよう」とまぐれで読めたのだが、何のことかさっぱりわからない。辞書を引いて「つねに心中に銘記して忘れないこと」という意味を知る。しかし、この表現を使うことはまずないだろう。
ワープロ時代になって、実際には書けない漢字が画面上に明朝やゴシックで再生できるようになり、❸を実感しにくくなった。本ブログを9年間書いてきて、改竄と軋轢はそれぞれ一度ずつしか使っていない。使用頻度が低い漢字は書けなくてもよく、使う段になってそのつど調べればよいと思う。しかし、よく使う漢字は書けるようにしておきたい。ぼくは揶揄という表現をたまに使うが、ペンを手にしてから、いつも戸惑っている。ワープロは字画の多い文字を簡略表示するので、間違った漢字を覚えてしまう。贅沢の「贅」なども侮れない。
妬み、嫉み、僻み それぞれ「ねたみ」「そねみ」「ひがみ」と読む。これらの用語は、ニュアンスの違いがわからないと使いづらい。と言うわけで、たいてい嫉妬、やきもち、羨ましいなどで代用される。嫉妬とは「そねみ・ねたみ」のことである。
手元にある簡易版国語辞典を引いてみた。ねたみ【妬み】の見出しには「しっと。そねみ」とある。そねみ【嫉み】をチェックしたら、一つ目の定義が「自分よりすぐれている人をうらやみにくむ」、二つ目が「ねたみ」。結局、ねたみとそねみのニュアンスはわからずじまい。ちなみに、ひがみ【僻み】には「ひがむこと」と書いてあった。辞書編纂者は利用者の知力を過信している。
おざなりとなおざり 2013年10月、関西で有名なHHホテルズの食品偽装が発覚した。記者会見で関係者は「おざなり」を詫びたが、自覚しながら七年間も誤った表示を続けてきたのは「おざなり」ではない。おざなりは急場しのぎのことばである。「適切に表示するシールがなくなり、間に合わせに手書きしたところ、それが誤っていた」なら、おざなりである。
ずっとおざなりだったのである。習慣化していたのである。ならば、おざなりではなく「なおざり」なのだ。なおざりだったのに、おざなりという表現で済まそうとしたところに狡猾さが見え隠れする。いや、関係者はそもそもそんな用語の違いも知らなかったと思われる。ところで、おざなりは「御座なり」、なおざりは「等閑」と表記する。
羊頭狗肉 上記の不祥事は、芝エビとバナメイエビ、サーロインステーキと牛脂入り加工肉の偽装表示であった。羊頭狗肉とは「立派そうに見せかけて、実は卑劣なことをする」のたとえである。バナメイエビと加工肉に非はない。卑劣なのは行為者である。
サーロインと謳われて成型加工肉をうまいうまいと口に運んだ消費者。舌を巻く前に己の舌の程度も心得るべし。車も芝も、エビはエビ。違いがわからなければ、ブランドとは味ではなく名ということになる。「おいしいもの」と「もののおいしさ」は違う。
ところで、狗肉は犬の肉だと思われているが、馬の干し肉、ホースジャーキーである。羊肉のほうが馬肉よりも上等だった国の話。
忘れるのは勝手? 前世期の悲惨な事件の記憶が薄れる。それどころか、今年の事件でさえ忘れる。歴史も忘れる。BSテレビでヴェルサイユの街を紹介していた。17世紀まで牢獄だった施設跡がリフォームされ居酒屋になっている。壊さずに残す。客の一人が言った、「ぼくたちには記憶の義務がある」。聞き慣れないが、記憶の義務とはすばらしい発想だ。「オレの頭だ、忘れようと勝手だろ」ではないのである。