おおつごもり雑感

年内四日、年明け四日の八日間、仕事は休業である。仕事はしないが、自宅の本棚を片付けると、ついつい本を読んでしまい、整理がはかどらない。気がついたら仕事のネタを探している。さて、今日からは超難解な哲学の本を毎日数時間読むことに決めていた。ゆるんでアバウトになりそうな脳に気合を入れるため。哲学なんて正月早々無粋な話だが、テレビを観ておせちを食らって初詣もいまいち芸がない。


欄干橋虎屋藤右衛門、唯今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする、元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで各々様のお手に入れまするは此の透頂香とうちんこうと申す薬……。

外郎売ういろううり』の冒頭である。透頂香とは気つけ、二日酔い覚まし、食い合わせ、喉に効くオールマイティな妙薬。これが昼夜を問わず毎日売れて売れてしかたがない。だから元朝(元旦の朝)から365日間商売繁盛というわけである。妙薬は無理だが、妙案をひねり出すべく見習わねばならない。


本棚に見つけたのは岩波の『いろはカルタ辞典』。「いろはカルタ」なのに五十音順で検索する。それもそのはず、「いろは順」で引ける世代が圧倒的に少なくなっているのである。カルタに採用される諺・慣用句などの語句は大きく上方系と江戸系に分かれるらしい。しかし、驚いたのは「い」だけであるわあるわの18種。てっきり「犬も歩けば棒に当たる」か「石の上にも三年」くらいしかないと思っていた。

急がば回れ。一を聞いて十を知る。一寸先は闇。井の中の蛙大海を知らず。居食いぐいをすれば山でもむなし。砂子いさごも遂にいわおとなる。石臼箸で刺す。石原で薬罐やかん引く。医者の不養生。一心岩をも通す。芋の煮えたもご存知ない。いやいや三杯。祝いは千年万年。鰯の頭も信心から。言わぬは言うに勝る。

最初の四つは「なるほどあるかもしれない」と納得もするが、その他はなかなか教養を要するではないか。いろはカルタ侮るべからず。「ろ」以下にざっと目を通して、レベルの高さに驚いた。決して子どもオンリーの遊びでなかったと見当がつく。


この辞典の最後は「わ」である。

我が田へ水を引く。我が身をつめって人の痛さを知れ。わからず屋に付ける薬はないか。禍は口から。

ややネガティブで教訓的なものが続いたあと、やっと定番が登場――「笑う門には福来たる」。嫌というほど見慣れ聞き慣れした常套句だが、しかめっ面する奴よりも笑っている人間のほうが福に恵まれる可能性は大きい。やっぱり難しい哲学など読み耽らずに、お笑い番組で正月気分に浸るのが正解か。  

イタリア紀行24 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

ミラノⅢ

数年前の横綱格ほどではないにしても、ここ十年ほどイタリア観光は人気番付の上位をキープしている。少し下火にはなったが、タレントを起用したイタリア都市を探訪するテレビ番組も相変わらずだ。ちなみに、日本のみならず世界で一番人気の国はフランス、都市はパリである。

そのパリでもいいし、ウィーン、フランクフルト、アムステルダムを経由すれば、主要なイタリアの都市へ行ける。しかし、関西発で直行できるイタリアの都市はミラノのみだ。したがって、ほとんどのパッケージツアーはミラノ→ヴェネツィア→フィレンツェ→ローマという順になり、帰路もミラノ発となる。ところで、ミラノを東京に類比する人がいるが、ぼくにはそうは見えない。やや派手めのファッション、下町のカフェにたむろするヤンキー風のお兄さん、建物や壁の落書き、服飾・繊維産業などから大阪市を連想してしまう。実際、ミラノと大阪市は姉妹都市の関係にある。

ルネサンスの主役であり歴史上の大天才であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)。私生児説もあるが、幼少の頃に実父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチに引き取られた事実があるので、正しくは「婚外児」と言うべきだ。わが国ではレオナルド・ダ・ヴィンチのことを「ダ・ヴィンチ」と言うが、イタリアでは苗字での呼称は稀で、ふつうは「レオナルド」と呼ぶ。「ダ・ヴィンチ」はもともと「ヴィンチ村の」を意味し、やがて前置詞と固有名詞が一体化して「ダ・ヴィンチ」という家名になったようである。

レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの街をフィレンツェと決めつけてはいけない。ここミラノも同程度に縁が深い。フィレンツェで思うような活躍ができなかったレオナルドは30歳の頃ミラノへと旅立った。当時のミラノはスフォルツァ公が君臨して活力があった。この地のサンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会でレオナルドは1497年の45歳の時に『最後の晩餐』を完成させる。ジェノヴァ出身のイタリア人コロンブスがアメリカ大陸を発見したのがその5年前である。

前々回にも書いたが、この年の仏伊紀行では当初ミラノに滞在する予定はなく、『最後の晩餐』鑑賞の予約はしていなかった。団体ツアーなら予約の手配などしなくてもいいが、個人の場合は何から何まで自分で手続きをしなければならない。予約をしていないからたぶんダメだろうと心得ながらも、観光のシーズンオフだし、万に一つの幸運を授かるかもと淡い期待をかけていた。ドゥオーモ前のカフェでエスプレッソを飲み、店のスタッフに聞いてみた。「レオナルドの最後の晩餐を見たい。ここから教会へは歩けるか?」 ご機嫌な顔をして彼は「ああ、レオナルドの絵。歩いても半時間もかからない」と言い、指を示しながら道筋を教えてくれた。

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ドゥオーモ前のカフェで道をたずねたが、教わったほど簡単ではなかった。路面電車に沿い西へと歩く。
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広場をいくつか横目にし、建物を見ながらぶらぶら。
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さほど迷わずに、やがてマジェンタ大通りに入る。
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赤茶色のクーポラ。これがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会だった。
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この建物が『最後の晩餐』への入口であり受付。「三ヵ月後なら予約できるわ」と呆れ顔で告げられた。 
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心残りながらも、教会の建物と壁色を存分に眺めてから帰る。

大阪人の悪しき自画自賛

挑発的に書きたいと常々思っていたテーマである。大阪人の所作や弁舌に独特のおかしみがあることをひとまず認めておこう。テレビ番組『秘密のケンミンSHOW』でも毎回取り上げられるので、大阪人の生態は全国的にもよく知られつつある。聞くところによると、いよいよ大晦日(関東では元旦)には、みのもんた直々の大阪体感ツアーが放映されるらしい。

仕事柄日本各地に出掛けるが、テレビで見た大阪・大阪人の真偽を確かめられる。「大阪の人って、ほんとうにあんなふうなんですか?」と。「誇張はされているけれども、実体から遠からず」と答える。しかしだ、テレビ画面の向こう側にいる大阪人を「お茶目な対象」として遠巻きに大笑いはできても、実際に彼らと至近距離内で接した瞬間、あなたの顔から笑顔が消えるに違いない。


大阪部族
その昔、大阪はアキンド、ヤクザ、ヨシモトという三大土着部族で構成される多人種都市であると、まことしやかに語られていた。そんなバカなことはないが、他の少数部族に目立つ余地がなかったことは事実である。ちなみにぼくの両親は大阪生まれだが、祖父・祖母の代になると、広島、京都、京都、奈良である(ぼく自身はマイノリティと自覚している)。なお、メジャーな三大部族にしても純血種はほとんど存在していない。知り合いにはいずれか二部族のハーフか、三部族すべての混血が多い。さる東京の知識人は「大阪土着民は日本人ではなくアジア人」という説を唱えている。

愛郷精神
大阪部族は4月から10月にかけて虎に熱狂するが、この季節的愛郷精神など可愛いものである。何をおいても問題なのは、オバチャンやコナモンなのではなく、オバチャンをはじめB級名所・B級グルメを年がら年中必死に熱弁する「ステレオタイプな人々」なのである。彼らには大阪の正しい実像が見えておらず、「オモロイ」というコンセプトを唯一の頼りにして土着風土と衣食住を偏愛する。昨今、大阪府も大阪市も観光行政に力を入れつつある。このことは評価できるが、クールに大阪の長所・短所を見てもらわないと困る。グローバル視点からするとあまりにも滑稽なことを、あまりにも本気で考え、おぞましくも本気でやろうとしているのだ。

観光資源
お願いである。どなたか権威筋の方は正直に語ってほしい、「大阪には胸を張れるような観光資源はない」と。この謙虚で控え目なスタンスから独自の観光哲学が生まれる。江戸時代末期の風情ある浪速百景を根こそぎ壊しておいて、今さらセーヌ河やヴェネツィアを真似ようとするのは虫がよすぎる。「光を観る」のが観光ならば、どこにその光とやらがあるのか。キラキラコテコテのミナミ界隈のネオンか、はたまたメタリックな大阪城か(世界遺産の姫路城と比較すれば、たしかにオモロイかもしれない)。「大阪のオバチャンを観光資源にしよう」と提案する、とんでもない錯覚に陥っている知識人もいる。「見ず知らずだが、
咳き込んだ人にアメちゃんを配り、デパートや高級店で商品を値切り、豹柄を着て日傘を立てた自転車に乗るオバチャン」。そんなものが観光資源になるわけがない。海外からの観光客数一位と二位のフランスとスペインにそんなオバチャンがいたら、誰も寄りつかないだろう。

食い倒れ
B級グルメの食べすぎで倒れた?」と言われかねないから、くいだおれ太郎の引退を絶好の機会として、「食い倒れ」ということばを死語にしてしまおう。大阪発のグルメ番組をご覧になればいい。「焼肉→串カツ→たこ焼き・お好み焼き」をローテーションで放送している。「大阪の味は世界でも通用する」などとよくも平然と語れるものである。観光に来たから食べるのであって、どこの国の人もわざわざ自国でたこ焼きに食指を伸ばさない。断言するが、蛸料理は未来永劫世界のスタンダードにはならない。コナモン大阪と言うけれど、欧米はみんな粉ものではないか。パン、パスタ、ピザ、クッキー、パイ、ケーキ……。まったく差別化などできていない。敢えて言えば、大阪食文化はコナモンなのではなく、ソース味が特徴なのだろう。何を食べてもソース味。濃い味付けは食の文化度に「?」がつく。


大阪および大阪人に悪態をつくと、「そんなに気に入らんのやったら、出て行ったらええがな!」と誰かが言ってくる。そう、幼稚なワンパターン反駁である。

大阪を魅力ある街として再生したいのなら、観光客と住民双方の視点で見るべきなのだ。大阪という受け皿から見ているかぎり、いつまでたっても悪しき自画自賛を繰り返すばかり。オバチャン、大阪城、コナモンに罪はない。それらを偏愛し誇張することが、大阪の像を歪めていることに気づこう。ステレオタイプな大阪を浮き彫りにすればするほど、魅力ある街へのチャンスが遠ざかることを忘れてはならない。 

変える論理、変えない論理

「いつまでもお若いですね」は、変わっていないことを評価することば。「いつまで同じやり方をしているんだ!」は、不変に対する不満。「彼の仕事に対する姿勢は変わらない」は、たぶん褒めことば。しかし、「君、安易に目先を変えるな!」は、変化に対する批判。「殻を破れ、自己変革せよ!」は、変わることを奨励している。「変えてよし」あれば、「変えなくてよし」あり。変えるか変えないかの岐路でどう決断するかは、クイズミリオネアで「ファイナルアンサー?」と聞かれての対応に似ている。

直感的印象で恐縮だが、現在は「変える論理」が優勢な気がしている。まず、「変化とスピード」を謳う企業メッセージをよく耳にする。「時代や社会の変化に対応」というのは、人間が変化すべきことを示唆している。ぼくも、どちらかと言えば、変化礼賛派である。いや、それは「飽き性」をカモフラージュする看板だろうか。


「万物は流転し、自然界は絶えず変化している」――これは古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの根源的な考え。『方丈記』でおなじみの鴨長明は、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と人間世界を比喩した。構造人類学のレヴィ=ストロースは、「社会システムが変化に開かれるよう構造化されている」と喝破した。つまり、じっとしていると滅ぶ。

これらの思想に共通するのは、世界や社会が「変わる」という論理である。変わる世界の中にあって、人間だけが変わらない特権を有しているとは思えない。同じ状態にしがみついたまま、永続性だけを得ようともくろむのは厚かましい話だ。存続し維持したければ、変化し続けなければならないのである。人間は「変える論理」で生きなければならない。


しかし、変える論理を認めたうえで、ぼくたちは一つの大きな苦労に突き当たる。ひとまず何を変えるのかという選択の苦労である。見方を変えれば、これは「何を変えないか」という選択とも言える。

本ブログで毎週イタリア紀行を書いているが、イタリアの各都市から「何を変えないか」について実に多くを学ぶ。いかなる不便を甘受しても、数世紀前の景観を変えないヴェネツィア。フィレンツェには何世紀も前の水道蛇口を在庫している、ただの古道具屋ではない、水道工事屋があった。愚直なまでに変化しないことが必ずしも滅亡に至るわけではないという証である。

ぼくたちの社会は、便利という価値へと変化した結果、少なからず景観や伝統という価値を犠牲にしてきた。変えなくてもいいものすら変えてきてしまったのではないか。他動詞「変える」には「何を」が必要だ。変える論理は「何」という客語とセットでのみ成立する。

テーマは繰り返す?

先週の土曜日から、その日のブログで取り上げた多様化と高度化をずっと追いかけている。追いかけていると言っても、本を参照したり誰かと議論したりして深めているわけではなく、殴り書きのごとく自分の考えをメモしているだけだ。少しまとまったので、今日か明日に取り上げようと思っていた。その矢先に、年末恒例の「身辺整理」をしていたら十数冊の懐かしいノートが出てきた。これはまずい。

ノスタルジーという怪獣は想定外の時間を好物とし、仕事の邪魔をする。案の定、仕事と時間はノスタルジーの餌食になった。誘導された先は、199410月~翌年1月の観察やアイデアを記した発想ノート。1027日のページに次のような文章が書いてある(当時43歳)。

自分の考えていること、知っていることを文章にしたため、ある程度書きためていくと、テーマの繰り返し・重複に気づくようになる。同じ火種を消さずに頑張っていると安心できる反面、これは一種のマンネリズム、成育不足ではないかと危惧する。次のステップに上るには従来以上のエネルギーが必要だ。同じテーマでは芸がない。しかし、違うテーマを取り上げて書き続けるには悶々とした日々を送らざるをえない。新しいテーマを追いかけるのは億劫である。こういうときは、発想の転換という生ぬるい方法ではなく、環境を激変させるしかないのだろう。

この14年前のメモを読んで、現在と似通った心理に気づいた。未だに成育不十分ではないかと少しがっかりしている。


十数ページとばして1121日のメモへ。さらに愕然とする。時代の類似性なのか、ぼくの思考回路の限界なのか。

なかなかシミュレーションの難しい時代である。(……)人間の欲求・行動・思想がこれほど多様化してくると、どの人間の何を読めばいいのかさっぱりわからなくなる。宇宙の摂理や自然現象や社会構造の暗号を解読できても、人は人を読めなくなってしまい、先行き不透明な時代の近未来が見えていない。いま、人々は最大公約数を見失った己の能力に落胆している。トリやケモノが有する本性的予知能力を羨むばかりである。

週末から解き明かそうとしていたのは、実は、「多様化が最大公約数の喪失につながっている論点」だったのである。つまり、昭和30年代や40年代には「不特定多数の大部屋市場」というのが存在して、「国民的」と冠のつく流行商品やヒット曲がどんどん誕生した。にもかかわらず、バブル崩壊後の多様化市場においては、市場はいくつもの小部屋に分かれ、小部屋を横断する共通関心事が激減した――というような話。

テーマは繰り返す? たぶんそうなのだろう。時代と自分のどちらもが繰り返しているに違いない。そして、たぶん繰り返すことそのものは悪いことではないのだろう、そこにいくばくかの進化さえ認めることができれば……。     

セレンディピティがやって来る

辞書の話題から書き始めた1212日のブログ。その中で刑事コロンボの例文を紹介した。昔はテレビのドラマを欠かさずに観ていたが、コロンボの話に触れたのは何年ぶりかである。四日後、コロンボ役男優ピーター・フォークが認知症になっていることをAP通信が報じた。

これなど、点と点の同種情報が結ばれた例である。ブログの記事は自発性の情報、AP通信は外部からやってきた情報。後者を見落としていたら、ブログでのコロンボは孤立した一つの点情報で終わる。たまたま新聞記事を見つけたので、四日前のブログと結びつく。但し、このように情報どうしが偶然のごとく対角線で結ばれることのほうが稀だ。情報でもテーマでも強く意識していないと、関連する情報をいとも簡単に見過ごしてしまう。情報行動は点で終わることが圧倒的に多く、めったに線にはなってくれない。対角線がどんどんできるとき、アタマはよくひらめき冴えを増す。

同種情報のほうが異種情報よりもくっつきやすいのは当然だ。「類は友を呼ぶ」の諺通り。しかし、しっかりと意識のアンテナを立てていると、アタマは「不在なもの、欠落しているもの」にも注意を払うようになる。本来ワンセットになるべきなのに、片割れがない場合などがそうだ。たとえば、ネクタイの情報に出会うと、その直後にワイシャツの情報に目配りしやすくなる。見えているのは山椒だけだが、この時点で「うな重」への無意識がスタンバイする。

さらに、ひらめき脳が全開してくると、まったく無関係な情報どうしの間に新しい脈絡や関係性が見い出せ、両者を強引に結び付けてみると想像以上にすんなりまとまったりする。


もっとすごいのは、特に探していたわけでもないのに、ふと思いがけないアイデアや発見に辿り着く不思議の作用である。これが、最近よく耳にするようになった〈セレンディピティ〉だ。いろんな日本語訳があるが、偶然と察知力を包括する「偶察力」が定着しつつある。このことばを知ってから最初に読んだのが、『偶然からモノを見つけだす能力――「セレンディピティ」の活かし方』(澤泉重一著)だ。

この本の随所で、自分自身の潜在的な知識がむくむくと目を覚ます体験をする。たとえば、ノートにメモしたもののすでに忘れてしまっていた「シンクロニシティ(共時性)」に出会う。そして、「時を同じくして因果関係のない複数の意味あることが発生する現象」についての知識が顕在化した。さらに、たとえばイタリアの作家ウンベルト・エーコの見解「異なる文化のところにセレンディピティが育ちやすい」が紹介されている箇所。ぼくはその一週間前に当時独習していたイタリア語の教本の中で、このウンベルト・エーコを紹介するコラムを読んでいた。


ある点に別の点が重なろうとしている偶然に気づくのは、意識が鋭敏になっている証。点と点が同質であれ異質であれ、頻繁にこんな体験をするときは自惚れ気味に波に乗っていくのがいい。願ってもみなかった予期せぬご褒美とまではいかなくとも、僥倖に巡り合うための初期条件にはなってくれるかもしれない。まもなくクリスマス。プレゼント選びに疲れきった大人たちに、セレンディピティという贈り物が届くことを切に願う。

イタリア紀行23 「ドゥオーモ――象徴の象徴」

ミラノⅡ

それぞれの都市には本山のようなポジションを占める大聖堂がある。これをドゥオーモ(Duomo)と呼ぶ。イタリア全土にはそう呼ばれる教会が百十いくつかある。スタンプラリーをしたわけではないが、数えてみたら、これまで17カ所の街のドゥオーモを訪れていたことがわかった。

すでに紹介したシエナ、フィレンツェ、オルヴィエートのいずれにもドゥオーモがある。それぞれに荘厳で華麗だ。しかし、スケールにおいて、このミラノのドゥオーモの右に出る大聖堂は他のイタリア都市には見当たらない。いや、それどころではない。これは世界最大のゴシック建築でもあるのだ。1813年に完成するまでに要した年月は気の遠くなるような5世紀! 室町時代の初めから江戸時代末期まで建設していたことになる。

ミラノを象徴するものはいろいろある。前回のヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世の名を冠したガッレリアもその一つだが、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を擁するサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会やミラノ公国時代から残るスフォルツァ城もある。食ではリゾットとカツレツが有名だ。世界の三大ファッションであるミラノ・コレクションに、サッカーのACミランにインテル。ローマのコンドッティ通りをはるかにしのぐブランド街は数本の通りに集中する。だが、ドゥオーモはこれらの名立たる象徴の上座を占める。ミラノの「イメージ収支」がマイナスのぼくではあるが、ドゥオーモの存在には土下座するしかない。

ドゥオーモは工事中だった。屋上にもエレベータか階段で昇れるが、見送った。2001年には屋上から尖塔を目の当たりにした。ちなみに尖塔の数は135本。次いで、ミラノ市街地からアルプス連峰まで眺望した。ミラノはロンバルディア州の州都で、イタリアではほぼ最北に位置する。スイス国境に近いので、よく晴れた日にはアルプスが見えるわけだ。

ミラノはローマに次ぐ大都市で、人口130万人。地下鉄網はローマよりも充実している。大都市とは言うものの、中心市街地に様々な機能が密集しているので便利だ。たとえばミラノ中央駅からドゥオーモまでは直線距離にして2.5キロメートル。ドゥオーモからサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会までは2キロメートルほどなので、行きも帰りも歩いた。健脚なら有名スポットへは難なく確実に歩ける。ミラノにかぎらず、イタリアの都市はすべて、日本人の感覚からすればコンパクトにできている。

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ファサードは長期修復工事中(200610月当時)。鋭い尖塔がゴシックの特徴。
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モザイクの紋様が床を彩る。
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聖堂内は荘厳な空気で満ちている。
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ドゥオーモは真下から見上げて良し。
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見る場所・角度によって形状を変える巨大なオブジェ。ミラノ随一の象徴だ。
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ミラノ風料理の象徴、巨大なカツレツ。以前ローマで食べた一品とは別物だった。脂身の少ない赤身のビーフなので胃にもたれない。口当たりはまろやか。

「誰にとって」という基本的な視点

私塾の最終講で「マーケティングの古典」を紹介し、現在にも生かせる普遍的な考え方や有効性を探ってみた。一時間ちょっとの講義のあと、三人の塾生に自社のマーケティング戦略について発表してもらった。一事例につき、発表15分、他塾生からの質疑応答10分、5班に分かれての事例討議が10分、各班からのコメント発表2分、ぼくの総括講評が5分という流れである。

事例の発表や意見交換を通じて、アタマではわかっていても、なかなか実践できない事柄がいかに多いかということに気づく。それは、ぼく自身にとっても歯がゆくも困難なハードルである。しかし、みっちり5時間半の中で、成功図式とまでは言えないまでも、成功するために踏まえるべきパターンらしきものがシンプルに浮かび上がってきた。


市場にはいろいろなニーズやウォンツが渦巻いている。なくては困るモノやサービスへのニーズから、なくてもまったく困らない贅沢なモノやサービスへの欲望に至るまで、消費のステージが何段階もある。そして、すべての段階において、消費行動の多様化と高度化は著しい。消費行動の多様化は「顧客の絞り込み」を求め、高度化は「イノベーション」を求める。したがって、企業のプロフェッショナルにとっては「誰のために、どのような新しいモノ・サービスを提供できるか」が命題になってくる。これが、よく知られた「ポジショニング発想」である。

もう一つ、基本の基本となるのが、「ユニーク・セリング・プロポジション(Unique Selling Proposition=USP)」。「固有の売りのうたい文句」というニュアンスになるだろうか。もう半世紀も前に生まれた、「この商品を買えば、こんな利点がある」というマーケティングのコンセプトだ。この考え方は後々に「自他の差別化戦略」につながってくる。

たとえば、二店の焼鳥屋がいずれも「ジューシーで歯ごたえのよい肉質」をアピールしたら、もちろんそのことは利点ではあるけれども、どちらの店を選ぶかという決定要因にはならない。雰囲気の良さを想像させる店名、店構え、旨さを際立たせるタレや塩、価格など、他店にない固有の利点を認知してもらわねばならない。「この店に入れば、ここが違う」という差異化のためには、どの顧客にとっての利点なのかというポジショニングも絡める必要がある。


カフェのRサイズ200円、Mサイズ250円、Lサイズ300円。サイズの呼び方や値段はそれぞれ。これは端的に三種類のニーズに対応している(つもり)。価格とサイズ案内のMサイズのところには「Rよりお得なサイズ」と書いてあり、サイズのところには「さらにたっぷりサイズ」とある。いずれの文言も「利点」を訴求している(つもり)。

だが、人間心理の研究不足である。コーヒーは嗜好品である。だから50円払ってRにして「お得なサイズ」という思いにはならない。「どうせなら多めに」という顧客もいるが、最初からRに決めている客には店側が訴えるMLの利点は伝わりにくい。嗜好品は、量が多ければ多いほどいいというものではないからだ。これは、昼にざる蕎麦を食べに行って、50円アップで大盛にするのとはちょっと違う。一般的に「増量または減額」が得の理論だが、商品によって変化する。エステやマッサージは「時間延長」が得、交通機関は「時間短縮」が得。とはいえ、顧客次第で絶対ではない。

私塾の塾生は、配付資料を2枚増量しても誰も感涙極まらない。枚数が少々減っても、あるページに目からウロコのすごいことが書いてあれば、そこに利点を見い出す。「本日は特別に講義2時間延長のおまけ!」と利点を売り込んでも、「定時に終わって、メシにでも行きましょう」という塾生が大半だろう。平凡な帰結になるが、時代の、特定の人間の、心理と具体的なニーズ・欲求に正確にマッチする利点探しを大いなる想像力で極めるしかない。「誰にとって」という視点から始めることは、証明済みの法則と考えてよさそうだ。  

『カリメア帝国』――終りの始まり

「今日ね、学校の社会の授業でカリメア帝国のことを勉強したよ。昔、栄えていたって、ホント?  おじいちゃんは詳しい?」

「ああ、少しはね」。ため息まじりだった。小学校高学年の孫に尋ねられ、おじいさんは若い頃から見聞きしてきたカリメア帝国の話を聞かせ始めた。


わしがお前の歳の頃、カリメア帝国は大きくて強くて立派な国だと教えられた。カリメア人に生まれてきたらよかったと思っていたさ。あの帝国からやってくる文物のすごいこと、すごいこと。大人になって金持ちになったら手に入れたかった。だからカリメア語も懸命に勉強した。文化も歴史も社会もすべてカリメアのことばかりだった。

そうして、その後の何年も帝国とその人々を尊敬して生きてきたし、そのことに何の疑いも抱かなかったよ。でもな、たしか、あれは今世紀に入ってまもなくの頃だったと思う。わしはカリメア帝国が身勝手な国だと感じ始めたのさ。もしかすると、幸福の種よりも災難の種を世界中にばらまいているのかもしれんと……。

とうとうわかったのだ。カリメア人は自分たちのことしか知らない。彼らは自分の帝国が好きで好きでたまらないが、他の国のことなど眼中にはない。世界の地理に無知だった。そう、わしらの国の地図上の位置すら知らなかったのさ。彼らが外国へ旅しても、どこの国でもカリメア語が通じるので、世界のすべての人間がカリメア語を話していると信じていた。ルドという通貨もどこに行っても使える。足りなくなったら帝国が紙幣を印刷すればよかった。

帝国はお金と銃と車をこよなく愛した。心やさしくて善良なカリメア人もいたよ。でもな、帝国が世界の中心だといううぬぼれが広がっていった。だって、おかしいだろ、在位四年の王様を選ぶのに二年もの歳月を費やすのだよ。おじいちゃんが憧れていた文物もあまり作らなくなり、お金をあっちへこっちへと動かすだけで儲けようとした。やがて帝国の神が厳罰を下された。カリメア人は都合のよいときだけ神頼みしていたけど、最後は「オー、マイゴッド!」と叫ぶことになった。あっ、もうこんな時間か。はい、これでおしまい。


「おじいちゃん、その話の続きが聞きたいよ」と孫はねだった。

「カリメア帝国の災いは世界に広がったさ。当時はな、カリメアがくしゃみをすると世界でインフルエンザが流行すると言われた。だがな、わしらの国の民はバカではなかった。それが証拠に、今お前がここにいるじゃないか」。

上位概念から降りてくる発想

身体のことを気にし始めるとキリがないので、医学もののテレビ番組は見ないことにしている。ところが、昨夜は『たけしの本当は怖い家庭の医学』スペシャル版を小一時間見る破目に。たまたまチャンネルを切り替えたら、五十肩の実験をしていた。軽いストレッチを続けてすでに自力で治したが、先々週まで肩甲骨の痛みで苦しんでいたのである。実験を試してみたら問題なく、危険なレッドゾーンを免れた。

そのまま何となくテレビをつけていたら、今度は脳梗塞のチェックが始まった。二つの単語の共通項を見つけよという前頭葉のテストだ。たとえば「みかん、バナナ」に共通するのは「果物」、「テーブル、椅子」は「家具」という具合。ポイントは共通項だ。二つの概念をくくる一つ上のラベル探しである。みかんとバナナで「ミックスジュース」ではダメ。共通項ではなく、みかんとバナナの足し算になっているからだ。テーブルと椅子で「食事」というのもダメで、共通するのは家具という上位概念である。

ぼくのロジカルコミュニケーション研修でもよく似たミニ演習をおこなう。そこで一言はさむと、共通項ということばはちょっと不親切な気がする。たとえば「白菜、白ネギ」の共通項。共通項というのは、二つの異なる物事の共通因数のことだから「白」と答えてもいいはずだ。正解が「野菜」しかないというのはやや硬直化した考えではないか。もし野菜を正解にしたいのなら、「白菜と白ネギを包括する上位概念は?」と小難しく言わねばならない。


しつこいようだが、「xy」の共通因数などいくらでも挙げることができる。「犬、猫」は「ペット」でもいいし「哺乳動物」でもいい。「大阪市、堺市」が帰属する上位概念は「大阪府」だが、ざくっと共通項を拾えば「政令指定都市」や「人口80万人以上」でもかまわない。「ボールペン、万年筆」に共通する上位概念を求めるにしても、「文具」でも「筆記具」でも「ペン」でも間違いではないだろう。「xyz」と仲間を増やせば、上位概念はより絞りやすくなる。

このことは、「抽象階段(abstract ladder)」という概念レベルの考え方に関わってくる。

モノ 産業財 工業製品 道具 切削工具 ナイフ スイスアーミーナイフ

上記の例は大きな概念から小さな概念へと抽象階段を降りてきている。「切削工具ナイフ」の箇所にハイライトしてみよう。ナイフの仲間にはノコギリやカンナがある。だから「ナイフ、ノコギリ、カンナ」を束ねるのは「切削工具」である。但し、そこだけを見れば、「日曜大工用品」でも「家の道具箱に入っているもの」でも別にかまわない。

食料と米の上下概念関係は? 「食料⊃イネ」である。イネ側から見れば、その一つ上に食料を置くか穀物を置くかという選択肢がある。食料側から見れば、その下位に「イネ、ムギ、アワ、キビ、マメ」の五穀を配置することになる。さらに、「イネ ご飯 おむすび 天むす」という階段が出来上がる。

哲学の本を読んでいて難しいのは上位の抽象概念が多いからである。ぼくたちは普段の生活レベルから考えるため、「国」よりは「東京」がわかりやすく、実際に住んでいる「杉並区」は「東京」よりもわかりやすいのである。ランチに行くとき、上司は「おっ、昼か。おい、イネに行かないか?」とは言わない。かと言って、「天むすに行かないか?」と、そこまで具体的には誘わないだろう。だいたい「メシに行こうか?」であり、その日に食べたいものがある場合のみ「ランチに鰻はどう?」となるのだ。

ところが、おもしろいことに、残業で夜食を買いに行く場合には「食料調達に行きますけど、何かいります?」という具合になる。コミュニケーションの上手・下手はおおむね「表現の適材適所力」で決まるが、この「文脈に応じた語彙の適正概念」を軽く扱ってはいけない(よく似た話を1128日のブログでも取り上げた)。

件のテレビ番組では、「xy」に共通する上位概念がさっと言えるかどうかで「前頭葉の正常度」をチェックした。それもいいが、ぼくは「上位概念」を小さな因数に分解させるほうがコミュニケーション脳のトレーニングになると思う。社会や人間関係などの概念の要素を拾い出したり、そうした概念をもっと小さくパラフレーズ(言い換え)してみたり……。世間には上位概念のことばを振り回すほうが賢いという錯覚がまだ残っている。ぼくも気をつけたい。