無力を受け入れる時

慢性の腰痛にもめげず、年齢相応以上に重い荷物を持ち運びできる。フィットネス用のスーパーハードの筋トレゴムを何十回も強く左右に引っ張ることができる。まだまだ力がある、もっと力をつけることができると実感している。

なのに、ポテトチップスの袋の裏側の綴じ目を両手の親指と人差し指でつまんで引っ張ってもなかなか袋が開いてくれないのはなぜ? 腕力には自信があって少々の無理もきくのに、手先の非力を痛感する場面によく遭遇する。瓶の金属の蓋をしっかり締めることができたのに、なぜ開ける段になるとスムーズに事を運べないのか?

ほどなく袋は開き、蓋も取り外せる。しかし、ほんの数秒か十数秒の間、尋常でないほどイライラしている。取り掛かっていることが些事であればあるほど苛立ちはつのるが、自分の無力を認めようとしない。情けないのだが、何とかしようとする。対象が些事だから、諦めるわけにはいかないのである。

☆     ☆     ☆

諦めていれば苛立つこともない。医師に身を任せ、指示されるままに胃カメラを呑み、空気といっしょに逆流してくる胃液や唾液をだらだら垂らしながら、屈辱的に耐える。脱力しようとして力が入る。闘うことなく、十数分をやり過ごす。根性や気力ではどうにもならない。無力感すらなく耐えようとする。苛立ちもないのは、すでになるようにしかならないと諦めているからである。

胃カメラよりもさらに大事だいじになると、すでに己の無力を受け入れている。諦観という、あの心持ちだ。当事者でない自分が社会の不条理や自然の非情な猛威を傍観する時、もはや苛立ってはいない。仮に当事者でもなく傍観者でなくても、自分は大事の中に投げ出され、同時代の人間としてそこにいる無力な存在であることを自覚する。決して闘わないし、闘えないのである。

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proconcept

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岡野勝志(おかのかつし) 1951年大阪生まれ 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター 岡野塾主宰 ヒューマンスキルをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。 マーケティング、コミュニケーションにまつわる企業や人

「無力を受け入れる時」への2件のフィードバック

  1. お久しぶりです。あまりにも可笑しくて、つい出てきてしまいました。
    この4年ほどあちこち病気持ちになりました。色々な人や宗教が来て
    病気に負けないで下さい、とか病に打ち勝つ、とか言いますが
    私は闘いませんから・・と言っています。
    闘っても絶対に勝つ気がしないから、私は病気を脅しています。
    完治しなくても、時々暴れても良いから私を殺すな!私が死んだら
    お前も死ぬぞ!と、大した病気でないせいか生きています。
    1950年産まれ、同じ歳の田村さんや色々な友人が亡くなりました。
    岡野先生の仰ることは生意気ですが、共感することばかりです。
    決して闘わないし、闘えない、今日の言葉は特に響きます。
    本は月に5~6冊しか買わなくなりましたが、なかなか読めません。
    こんな事ではダメだ、眼鏡のせいかな、と落ち込んで居ましたが
    岡野先生でさえそうなんだ~と先日の投稿を読んで安心しました、
    ありがとうございます。

    1. 今年は貴地からお誘いがなく、また昨年はお会いしていないので、丸二年お会いしていないことになりますね。いろいろと心身の悩みやトラブルもおありでしょうが、肩肘張らず道なりに歩み、求められる人たちのためにせいぜいお大事にしてください。
      相変わらず駄文は月に8~10本書いています。書けている理由はまだ現役だということ。そして、数少ないながらも女子69歳様のように楽しみにしていただいている方々がいらっしゃること、ご縁があって講演や研修を受けてくださった受講生の存在が励みになっています。

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