固有名詞のリアリティ

イヴ・モンタンが歌ったおなじみの『枯葉』。あの歌のフランス語の原題は“Les Feuilles Mortes”だ。枯れるなどと表現していない。枯れるどころか、すでに生命を失った「死に葉」である。死んだ葉の上を歩くよりは落葉を踏み歩くほうがよほどいい。

パリのあの日から7年が過ぎた。夕闇迫る頃、エッフェル塔を見上げながら、枯葉絨毯の上を歩いていた。歌は口ずさんでいなかった。季節は11月、気温が一気に下がるあちらは秋が早い。シャン・ド・マルス公園の秋も色づいてほどよく深まっていた。

枯れた落葉なのに、過ぎたあの日の思い出は今も色褪せない。イヴ・モンタン、エッフェル、パリ、シャン・ド・マルス……その他もろもろの固有名詞が記憶にリアリティを与えてくれる。

「照明が灯った直後の塔を見上げながら公園の枯葉絨毯の上を歩いたある日……」と書いてしまうと、フィクションのように思えてくる。それはそれで何の問題もないが、ぼくなどは固有名詞という道標を頼りにしなければ、過去という体験地図上を歩けない。匿名ばかりでは方向音痴に陥ってしまう。

ところで、英語ではあの歌を“Autumn Leaves”、つまり「秋葉」と言い換えた。こう呼んでおけば、死のイメージは払拭できる。仕事の帰り道の熊野街道が秋葉で埋め尽くされるのはもうまもなくである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「固有名詞のリアリティ」への2件のフィードバック

    1. 坂井さん、ブログにコメントいただくのは珍しいですね。これからもご愛読ください。なお、先月あたりから文章のスタイルを変えています。まあ、本来のぼくのタッチなのですけれど。

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