二人称の語り

きみは真鍮しんちゅうの溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。

ミシェル・ビュトールの『心変わり』はこのように始まる。そして、次のように終わる。

通路にはだれもいない。きみはプラットホームの群衆を眺める。きみは車室コンパルティマンを離れる。

ビュトール 心変わり

この小説のあらすじをここに書くつもりはない。もっとも、ぼくが読んだのは三十数年前で、あらすじを書けるほど覚えてもいない。パリからローマへと一人旅する男の列車内における観察と描写は執拗であり細部に及んでいる。話よりもそのことが強く印象に残っている。

主人公が「おれ」や「ぼく」や「わたし」などと一人称代名詞で語っているなら、読者は他者として状況や物語を感じ取ることができる。また、「彼」や「彼女」と三人称であれば、読者と主人公の距離は少し広がって客観する立場が強まるかもしれない。ところが、この小説は二人称代名詞の「きみ」で綴られ、それによって注目を集め話題になった。


おれは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と書かれていても、「あ、そう」と読者は平然と読めばいい。ところが、「きみは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と作者が綴れば、読者は否応なしに当事者へと変身させられてしまう。読者であるはずのぼくが、「きみ」という二人称の語りを読み進めるにつれ、作品の中へ主人公として引き込まれてしまうのである。

「その日、きみは午前七時に起床して、近所の喫茶店でモーニングを注文した」と書かれると、行動が観察されたことになる。いや、このように事実を語られるだけならまだ冷静でいられる。しかし、「きみはトーストの端っこを齧り、バターの味が薄いことに若干の不満を覚えた。むろん、そんなことできみは腹を立てたりなどしない。コーヒーをすすってトーストを流し込んでしまえば別にいいさ、ときみは思う」となると、話は別である。心象や心理まで描かれたら、すべてを見透かされた気分にならざるをえない。「いや、違う。ぼくはそんなふうに思ったりしていない」と反撥しても、書き手は一切聞く耳を持たず、「きみ」を主語にして話を進めていく。

誰が語っているのか、誰が思い行為しているのかが明示されなければ、文章で語られていることは空疎なのだ。再び『心変わり』の一節。誰がそうしているのかがわからないように主語を伏せてみた。どうだろう。なんとなく落ち着かず、「いったい誰が?」と問いたくなる。

扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

この主語が「きみ」なら事件だが……。実際の文章は次のように書かれている。

ひとりの男が扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

文は個々の単語の組み合わせで意味を持つ。しかし、それ以上に重要なのは「主述関係」という構造なのだ。主語の人称が変わると主語と述語の関係が変わり、ひいては意味や気分が変わり、そしてたぶん、思考軸までもが変わるのである。

反対尋問

ディベートをあまりよくご存じない人のために書く。

ディベートとは、ある論題を巡って、賛成を唱える〈肯定側〉とその肯定側の意見に反対する〈否定側〉が是非を議論する討論形態の一つ。折衷論や中間意見を排除して、イエスとノーだけの二律背反的討論を繰り広げる。

論題には政策を扱うものと価値を扱うものがある。たとえば「わが国は首相公選制度を導入すべきである」が政策論題、「電子書籍は有益である」が価値論題である。いずれの論題でも、賛成か反対かを巡って意見が対立する。議論する立場の肯定側と否定側は、それぞれ“Affirmative”“Negative”という英語からほぼ直訳されたようだ。役割面から言うと、肯定側が論題を「提唱」し、否定側が提唱内容を「検証」する。

まず最初に、肯定側が論題を支持する主張・証拠・論拠を論じる。これを〈立論〉と呼ぶ。この立論に対して否定側が〈反対尋問〉をおこなう。わかりやすく言えば、質疑応答である。次いで、否定側の立論に対して肯定側が反対尋問する。こうして、お互いに立論と反対尋問を通じて争点を浮き彫りにし、次のステージでは相手への反論、相手からの反論に対する防御をおこなう。このステージを〈反駁はんばく〉と言う。


ディベートの要となるのが反対尋問である。上級者どうしになると鋭利な質問が投げ掛けられ、鮮やかな応答でしのぐ。観戦者は見事なやりとりに息を飲むことがある。アメリカの政治家・外交官であり弁護士でもあったジョン・W・デイビスは、反対尋問を「もっとも大切でもっとも難しいヒューマンスキルの一つであり、人の性格が反映する」と断言する。つまり、反対尋問の仕方と受け答えを見れば、その人が不器用であるか軽率であるか自信過剰であるかがわかると言うのだ。

反対尋問

そのデイビスが父親から読めと言われて手渡されたのが、名高い弁護士フランシス・L・ウェルマンの著になる『反対尋問』である。書かれたのは1903年。19歳でディベートに出合ったぼくは当時この本の存在を知らなかった。37歳の時に大学生・社会人のためのディベート研鑽の場である関西ディベート交流協会を起ち上げ、国内外を問わずディベートに関係する書物を買い漁った中にこの一冊があった。

本書は教育ディベートのための反対尋問ではなく、裁判における反対尋問の実録集である。そこらの読み物の比ではないほど、スリルとサスペンスに満ちた質問と応答の応酬が繰り広げられる。今もオフィスの本棚にあるこの本、傷みが激しい。ぼくが二度、三度読んだだけならこうはならない。実は、ぼくの弟子筋の一人に貸したところ、その話を聞いて次から次へとリレーされて「貸本」状態になったせいである。久しぶりに手に取ってみて、ある種の感慨を禁じ得ない。稚拙なコミュニケーションで苦しむ人たちにこの本を読んで欲しいとは思わないが、せめて「問う技術、答える技術」を磨く努力を怠らないようにと願うばかりである。

禅と論理思考

万寿寺

昨年10月に続き、さる5月に禅文化研究所主催の論理思考講座を受け持つ機会があった。対象は禅僧と檀家さん、場所は大分市の万寿寺。受講された方々との意見交換があったわけではないが、帰りがけに一人の禅僧がそばに来て、こうつぶいたのである。「いい勉強になりました。わたしの課題は哲学の不在だったことに気付きました」。

もちろん総意ではなく、個人的な見解と思われる。ちなみに、厳密に言うと、論理思考と哲学はイコールではない。だが、概念を扱ったり念入りに物事を突き詰めていくという点で、論理思考は哲学の補助ツールにはなる。

禅僧が論理思考を学び、議論の技術であるディベートを体験するというのは、かなり特殊で例外的なことなのだ。野球の選手がサッカーに興じるなどというどころではない。極論すれば、禅僧は理屈や議論になじむのを常としないから、ある種のコペルニクス的転回と言ってもいいくらいの逆転発想なのである。


鈴木大拙師は『禅』の中で次のように書いている。

禅は議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒む。それどころか、自分の中から出てきた問いに対する答えは、自分自身の中で見つけ出せ、と言う。なぜならば、答えは問いのあるところにこそあるからである。禅僧は言う、「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。すべてはお前自身の中から出てこなければならぬ。(傍線は岡野)

議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒むことを遵守していると、ぼくは食っていけなくなる。顧客へのプレゼンテーションで説明をしなかったら、「お前は何をしにここへ来たんだ」と文句を言われる。この一文に関するかぎり、禅と論理思考は基本的に相容れない。ところが、傍線部は禅の専売特許ではない。

およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる。

哲学者ウィトゲンシュタインのことばである。どうだろう、同じことを言っているではないか。「汝、問いたまえ」は洋の東西、古今を問わず、普遍的な教えなのである。しかも、誰かから問われて答えることに安住してはならない。自問自答こそが問いと答えの基本である。問うとは問題提起であり、答えるとは一つの責任の負い方だ。誰かに問われたら答え、問いを投げたら誰かが答えるというような、いずれか一方しか行為しないのでは問答の本質をきわめることなどできないのである。

ちょうどいい数字

咲き誇る吉野のシロヤマザクラがテレビの画面に映し出されている。「その数、なんと3万本!」とナレーターが言い切っている。えらく正確に数えたのだと皮肉る気はないが、もし賭けの対象にするなら「ぴったり3万本」に賭ける気はしない。あらためて言うまでもなく、3万本というのは概算に決まっている。

「沿道には1万人の見物客が集まっている」と報道されても、ちょうど1万人だとは誰も思わない。おおよそ1万人である。では、約9,950人でも約10,180人でもよさそうなものだが、決してそんな「中途半端な数字」を発表することはない。報道する側も報道される側も「ちょうどいい数字」のほうが落ち着くのである。
 
「今年でちょうど40才になりました」と言う人はいるが、「今年でちょうど37才になりました」とは言わない。そう、40がちょうどいい数字なら37はちょうどいい数字ではない。その40にしても、1050100に比べると「ちょうど感」がやや薄まってしまう。
 

 十進法では1210よりも中途半端なのに、一日の時間は十二進法であるから、12時がちょうどいい時刻に見えてくる。1時間や60分がちょうどよく、1分や60秒もちょうどよい。時を十二進法で刻み、分秒を六十進法で刻むという使い分けにぼくたちはすっかり慣れていて、器用に1260をちょうどいい数字として使いこなし、しかも違和感を覚えないのである。
 
ぼくが生まれてから60余年を経たが、これまで同様に、また、これから先、何万年も何百万年も地球の歴史は46億年であり続けるのだろう。こんな気の遠くなる数字に精度を求める気はしない。46億分の60は「ほぼゼロ」であるから、これでいいのである。中国の歴史もずっと四千年で来ているが、こちらは微妙だ。四千年に占める60年は1.5パーセントに相当するから、これを黙視していいのかどうか。
 
同じ文化圏にいる人々の間では、ちょうどいい数字や中途半端な数字に対する共通観念がある。それでも、人それぞれの都合で微妙にズレが生じる。「777」などは700よりも中途半端だが、ある人たちにとってはこれが「ちょうどいい」。区切りのよさだけではなく、並びのよさもちょうどいい数字の要件を満たす。一万円札を渡す。レジ係が「お釣りのほう、ちょうど1,219円になります」と言えば、かなり不自然である。しかし、レジ係の誕生日が「1219日」だったら、これ以上のちょうどはない。偶然の一致もちょうどいい数字になるからおもしろい。
 
自然や社会を理解しやすいように言語で分節するのが人間の習性である。数字を言語の仲間あるいは変種と見なすなら、数字には時間や価値や変化を都合よく解釈する分節機能が備わっている。ちょうどいい数字は人間の編み出した分かりやすい表現方法なのである。

一つの正解の非現実性

一問多答.jpg「一つの問いに対応する唯一の答え」というケースが現実にないわけではない。簡単な例で言えば、「22を足すといくつになるか?」という一つの問いには「4」という、ただ一つの答え(正答)が対置する。「アメリカ大陸は西暦何年に発見されたか?」への答えは「1492年」であり、少なくとも学校世界史においてはそれだけが唯一の正答であり、それ以外はすべて誤答ということになる。 

わが国の教育制度に十代後半までどっぷり浸かってきた青少年は、当面の正答欲しさ――ひいては成績のため――ゆえに、このような一問一正答方式をいぶかることはなかった。では、教育現場では一問一正答という形式がなぜ成り立っているのか。一つの問いが示されてから答えが生まれるからではない。むしろ、すでに唯一絶対の答えが確定しているところに後付けで問いが作られて一問一正答が出来上がる。たとえば、コロンブスという答えを出させたいがために、「誰がアメリカ大陸を発見したのか?」という問いが発案される。要するに、教師が答えを知っているから成り立つ形式なのである。

さて、一問一正答に慣れきった学生は、その一答が正しいと認められて歓喜する。あるいは、誤っていると指摘されて悔しがる。こういう単純な正誤評価を当たり前と信じたまま、学生は学校を出て実社会に船出することになる。ここでも問いが提示され、それが一つであることも稀ではない。しかし、「誰が、いつ、どこで、誰に、何を」などという過去に関する事実探しは二者間の問答としてはほとんど生じなくなる。これらは、知らなければ「調べれば済む」という調査の対象に切り替わるのである。実社会では「誰が、いつ、どこで、誰に、何を」という問いは、不確定の未来に仮定的に向けられる。そして、さらに不確定な「なぜ、どのように」が頻繁に問われる。ここに到って、一問一正答方式の出番は激減し、一問多答もしくは多問多答という形式が優勢になってくる。


ぼくの従事する企画という仕事では、誰も近未来の答えを知らないことが前提にある。にもかかわらず、「これは正解でしょうか?」と、いつも不安な顔をしてぼくに尋ねてくるスタッフがいた。たとえば「この商品のターゲットとしてどんな顧客を想定すればいいだろうか?」とぼくが問えば、彼は机に戻ってしばらく考えてから、「こういう顧客を想定しました。間違いありませんか?」と聞いてくるのだった。 

「きみ、ぼくが近未来の事柄について知っているはずがない。ぼくには正答がわからない。いや、正答なんてそもそもないのかもしれない。きみが想定した顧客が一つの答えとして成り立つかどうかは、きみの理由づけや説明の妥当性次第なんだ。そして、そのことについて二人で論じ合ってはじめて『答えらしきもの』が仮説的に定まるのだよ」と返事したものである。ぼくの一問には複数の答えがありうる。そして、ぽつんと提示するだけでは答えは有効にはなりえない。数ある答えのうち、自分が選んだ答えに理由と説明を加えて蓋然性を高めてやらねばならない。すでに存在する正答を発見するのではなく、正答を創造するというのが本筋なのだ。

ヒナがあんぐりと口を開けてエサを待つように、一つの問いが上司や顧客から投げられるのを待つ。しかも、その一つの問いに必ず一つの正答があると信じ切ってあれこれと考える。そんな正答発見型の頭の使い方でいいのなら、調査能力に長けた人材が一人いればいいことになる。実際、嘆かわしいことだが、創意工夫が求められる仕事でありながら、依然として調べ上手が重宝されている組織が少なからずある。

一問多答、そして多答からもっとも蓋然性の高そうな答えに絞り込んでいく。こうでなければ一人前のプロフェッショナルになりきれない。この先には、多問多答が当たり前の複雑怪奇な場面が待ち構えている。さらにその先では、他者から問われることなく、自ら問いを発して答えを導出しなければならない状況に遭遇するだろう。バカの一つ覚えのようにウィトゲンシュタインを引く。

言い表わすことのできない答えには問いを言い表わすこともできない。謎は存在しない。およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる 

傍線部は意味深い。問いが立てば答えが見つかるなどとは言っていない。問いが立てられなければ答える資格が得られないと言っているのだ。問いがあるからこそ答えようとする。正答や誤答は別問題、一答でなければならないと気負うのは論外である。答えるという仕事に参加するためには、まず問いがいる。そして、その問いを自ら立ててみる。問いを立てるその瞬間から答える行為が始まる。困り果てたら腕を組むのではなく、言語的に突破口を見つける。言うまでもなく、問答の技術、問答による解決能力は、ほぼ言語の技術に対応するのである。

場末はどこにある?

知人と場末についてあれこれと話した後、しばらく考えてみた。『広辞苑』によれば、場末は「都市で、中心部からはずれた所」であり、具体的には「町はずれ」ということになっている。「場末の酒場」という活用例が挙がっているが、別に酒場でなくても「芝居小屋」でもいいのだろう。ともあれ、場末に「さかば」という音の響きはとてもよく合っている。茶店さてんやスナックなども場末と相性がいい。

別の辞書には「繁華街からはずれた、ごみごみした場所」とも記されている。ごみごみはわかるが、「繁華街からはずれた」にはちょっと異議ありだ。場末は繁華街というエリアになければいけないのではないか。繁華街にあって、なおかつ「末」、つまり「端っこ」のことなのではないか。中心の対義語の一つに「周縁」がある。かつて周縁には否定的なニュアンスが込められていた。しかし、山口昌男的に言えば、周縁には他者性と豊穣性がある。なるほど、中心では味わえないそんな雰囲気が場末に漂っているような気がする。

広辞苑に戻る。「場末は都市にあるもの」と定義されている。都市とは何ぞやと問い始めるとキリがないので、一応、経済的に発達した人口過密地または大勢が外から集まってくる土地としておこう。そうすると、ぼくが生活し仕事をしている大阪市、もっと具体的には、ここ中央区(旧東区地域)は堂々たる都市であり繁華街と断言して間違いない。つまり、どこかに場末が存在する資格を備えている。そして、確かに、場末などいくらでもありそうだ。


ここでいくつかの疑問がわき上がる。広辞苑の定義文中もっとも重要な「中心部」とはいったいどこなのだろうか? 中心部を特定しなければ場末も明らかにならないのではないか? では、都市や繁華街の中心を誰が決めるのか? もっと言えば、特定された中心とその周縁である場末との距離や人の密集度はどのように決まるのか? という問いに答えがあるような気がしないのである。

ぼくの居住する大阪市にはぼくが中心と見なせる地域がいくつかあるが、一般的にはオフィス街でもあり市庁舎も立地する淀屋橋はその一つだろう。また、JR大阪駅をはじめ地下鉄各線や私鉄が乗り入れる梅田も中心部を形成しているだろう。そのいずれの中心の一角を占めながら、周縁に広がる歓楽街が北新地というエリアである。北新地は中心(淀屋橋駅と大阪駅)からわずか数百メートル、徒歩にして56分だが、ここもまた中心に対しては場末なのだろうか。この北新地にも本通りという中心があり、ここから逸れた通りは場末ということになるのだろうか。仮に梅田・淀屋橋を大阪の中心と見なせば、マクロ的には南方面の難波や天王寺も、東方面の京橋や北方面の十三も場末扱いされることになる。

いやいや、場末とはそんな巨視的に取り扱う中心に対する存在などではない。中心も周縁も人それぞれの土地感覚に規定されるはずだ。誰かにとっての「あの店は立地がいい」は、別の誰かにとって「あの店は立地が悪い」なのである。大阪市役所はぼくにとって立地が必ずしもよくはなく、中央区役所の立地のほうが好都合である。どうやら、場末の特徴は人によって「ごみごみしている」とか、「怪しげである」とか、「庶民的」とかで感知されるようだ。他者性というなら、見知らぬ人間と出会うというのもあるだろうし、豊穣性ならば、何でもありというのもあるだろう。

ぼくの仕事場である天満橋の中心は府の合同庁舎あたり。さらには、大川に臨むちょっとした商業エリアだろう。天満橋京町と呼ばれるこの一角、土佐堀通りから南へ少し入ると、名も知れぬ坂がある。桜の木がなければ、ここはパリの裏町風情に見えなくもない。ごみごみしていない、怪しげでもない、特に庶民的でもなく、人とほとんどすれ違わない。ぼくにとっては、ここが場末である。かなりうら寂しい場末である。但し、このあたりの住民は誰も場末感など抱いていないはずである。中心にいると確信していても、別の中心から見ればそこが場末かもしれない。もちろん、場末の中にも中心と周縁のせめぎ合いがあっても不思議ではない。

土佐堀通りから北大江公園へ上がる.jpg

よい仕事、価値のあるサービス

市バス廃止2.jpg

『時刻表からの自由』というブログを書き、その中で、窓外に景色が見えるバスの便利さと魅力に触れた。そして、こう続けたのである。

「日本の大都市では、地下鉄のダイヤを分刻みにした代償として、バスが都会でも1時間に12本というルートが増えた。残念なことである。時刻表などいらないから、せめて1時間に34本、同じ路線をぐるぐると走らせればよろしい」。 

その一文を書いてから二年が過ぎた。そして、ついに大阪市バスの路線の一つ「天満橋⇔なんば」が41日から廃止されることになった。この路線のバス停の一つから徒歩30秒という地の利のいい所にぼくは住んでいる。ふだん45キロメートルは平気で歩くから、このバスを利用するのは月に一度か二度。いや、ぼくのことはどうでもいい。たまに乗ると、ガラガラの時もあるが、地下鉄の階段に不自由しそうなお年寄りが少なからず乗車してくることもある。もちろん、1時間1本のバスで乗車率23割なら明らかに採算の取れない路線だろうし、バスの運転手に高給を払い続けることもできないことはわかる。 市民の税金で運営しているのだから、公営事業と言えども採算度外視できないという論理を理解しないでもない。

だが、金の問題を思考の限界にするのはどうか。地下鉄と路線が重複し、しかも赤字だからという理由で人気のないバス路線を廃止するのは想像への踏み込み不足と言わざるをえない。世界の名立たる観光都市では、そんな重複を承知の上で運行するバス路線はいくらでもあるのだ。冒頭でも書いたように、バスからは光景が見える。人通りが見える。店舗や広場や建造物が見える。生きている街の息遣いが聞こえてくる。発着地点を最短距離で結ぶだけが能じゃない。移動には過程がある。ベン・スイートランドの「成功は旅である、目的ではない」に学べば、目的達成よりも重い意味が旅程にあることを再認識できるはずだ。


観光客にとっては、行き当たりばったりの乗り降りという楽しみがバスにはある。一日乗車券を手にしていれば、人で賑わう広場を見つけては降り、観光名所から外れた散歩道を遊歩し、再び別のバス停から乗車できる。廃止が決まったぼくの利用している路線にしても、少しルートを変更すれば、賑やかな大阪ミナミでのショッピング、大阪城の見学、大川や堂島川ほとりの散策、黒門市場の食べ歩きなどを組み合わせることができる。それでも、乗客で混み合うことなどないかもしれない。しかし、そこが公共交通の担い手のイマジネーションとコミットメントの発揮しどころなのではないか。
CS・ルイスが「よい仕事」について語っている。
「金儲けだけを唯一の前提にする仕事などはよい仕事ではなく、たとえ買い手や利用者が少なくてもやり遂げようとする仕事こそがよい仕事だ」。
犯罪や火災の件数が激減しても警察や消防はスタンバイする。乗降客が減っても交通手段を確保するのが価値のあるサービスなのである。利用者がいなければ、サービスの提供者は衣食住に事欠くだろう。しかし、だからこそ、市民に税金という対価を払ってもらって行政が運営する値打ちがあるのだ。わざわざ高齢者や弱者支援という小難しい話を持ち出さなくてもいい。採算のほうにではなく生活や文化に目配りする、懐の深い街づくりこそが最優先されてしかるべきなのある。ムダはもっと他にもいくらでもある。

帯に短し襷に長し

かなり意識して節約したはずなのに、結果は浪費になっていた……「今夜はゴージャスな食事を楽しもう」と勇んで外出したが、結局ラーメンと餃子で帰ってきた……。あることを目指したつもりがその反対の結果になる。目論見通りに事が運ばなかったということだが、取るに足りない小さなことへのこだわりが原因だったりする。

そうなのだ。紙一重で一流と二流が振り分けられるように、ほんのささいな行為や発想が分岐点で明暗を分けている。望みが叶う確率が二分の一であってもいいはずのことが、往々にして叶わない方向へと傾く。期待は泡と消えることが多いし、企みは頻繁に的を外す。
 
買物でよく経験することがある。たとえば、店でちょうどいい具合の色のネクタイを見つけて買って帰ったのはいいが、自宅の鏡の前に立つと店で感じた色とは微妙に違っている。ネクタイならまだしも、スーツだとかなり後悔することになる。ちょっと明るめの紺の夏スーツを昨年買ったが、これが自然光に当たると紺ではなく青に近い鮮やかさだったのだ。明るめということは承知していたが、紺ではなく青だったとは……。出番を与えないと後悔に苛まれるから何度か着てみたが、しっくりいくはずもない。自分の受け止める現実とは別の現実が存在する。
 

 絶対的な尺度からすれば、帯にも襷にも使えるちょうどいい長さの紐などはありえない。とは言え、都合よくその紐を巧みに使いこなす人も現実にいたりする。「帯に短し襷に長し」と見切られた紐を、巧みに帯と襷の両用に使いこなす柔軟な器用人である。では、自分には合わないが他人に合うことが納得できたら、収まりがつくのだろうか。自分に合わなかったが、そこで諦めずに自分に合うように思い直して、叶わなかった願望を、泡と消えた期待を、的の外れた企みをリセットしてみたいのではないか。事は、やはり主観的なのである。
 
フィレンツェバッグ.jpg二、三度だけ使って納戸に入れたままの鞄を取り出した。もう13年も前にフィレンツェの老舗工房で買い求めたものである。決して値の張る代物ではないが、どこででも見かけるブランドバッグと違うし無印ゆえの手作り感もある。この鞄、総革なのでかなり重い。そのことは買ったときにわかっていた。濃い茶色という認識だったが屋外では赤っぽく見える。まあ、これも承知していた。けれども、帯に短し襷に長しの感覚がぬぐえない。通勤鞄として使うと中がガラガラ、荷物の増える一泊出張になると今度はギュウギュウなのである。
 
紐にしても鞄にしても、思い通りにはいかない。もとよりぼくのニーズに特別に合わせて作られたものではない。そして、思い通りにいかないのは、紐や鞄のせいではなく、自分の内なる硬直的な理想へのこだわりゆえなのである。用途もろくに考えずに買ってしまったのだから悔やんでもしかたがない。自分に合わないことに地団駄を踏むのはお門違いというものだ。紐や鞄を生かしてやるべく、それらに合った用途を自ら編み出すべきなのである。
 
思い通りにならないことをモノや環境や人のせいにして苦労している人たちがいる。思い通りになりそうなモノや環境や人だけを求めていると、事情は複雑化し時間もコストもエネルギーも増大するばかり。ほんの少しやわらかい発想を身につけるだけで、話はシンプルになり早く安く手軽に対処できるはずである。

言及の有無について

言及とチェック.jpg話し手(書き手)が何について語り(書き)、何について語っていない(書いていない)のかを見極めるのは、話し手(書き手)の意図を理解するうえで重要である。言及されていることとされていないことを読み分け聞き分けるからこそ、わからないことについて問うことができる。問い下手はだいたい聞き下手・読み下手と相場が決まっている。書名を忘れたが、以前読んだ本に言及について次のような例があった。

「この町では肉を煮て食べることを住民に禁じる」という町長の通達が出た。この通達文を読んだ旅人が次のように推論した。「わたしは住民ではなく旅人だから、この禁止事項は当てはまらないだろう。それに、煮て食べなければ、たとえば焼いて食べるのであれば、肉を食べても罰せられないはずだ」。
さて、この旅人の推論は妥当だろうか。
 
残念ながら、妥当ではない。この町長の通達で言及されたことだけがすべての禁止事項とはかぎらないからだ。いろいろある禁止事項のうち、「肉を煮て食べること」だけに言及したと考えるべきなのである。もとより、「煮て食べることの禁止」が「焼いて食べることの容認」になるはずがないから、早とちりの推論と言わざるをえない。同様に、「住民に禁じる」というくだりから「旅人には禁じない」という結論は導けない。要するに、町長の通達で言及されたことだけが禁止事項であると勝手に解釈してはいけないのである。
 

 自分が話し手(書き手)であるときを思い出してみればいい。何について語っているのか、何かを語っていてもすべてについて一気に語れているのか……そんなことはできない。たとえば象について語るとき、脳裡で象のイメージが一目瞭然的にはっきりしているとしても、これをことばによって説明するときは順序制御的にならざるをえない。象が大きいという描写から入るか象は鼻が長いという描写から入るかなど順番がある。そして、描写しているうちに、象が灰色であることを言い忘れるかもしれない。時間に制約があれば、話の予定に入れていたはずの餌や棲息環境、人間との共生については言及できなくなってしまうだろう。
 
いまぼくはものすごく当たり前のことを書いている。つまり、人は何もかも話したり書いたりなどしていないし、することもできないということだ。だから文脈や行間に目を向けないで額面通りに解釈してしまうと曲解・誤解まみれになる。人の話を真剣に聴くことを「傾聴」と言うが、語られたことだけを聴いて理解して終わらない。むしろ、語られなかったことを聞き分けて推論し、許されるならばヒアリングにまで踏み込んでこその傾聴なのである。
 
最後に身近な言及の例をご紹介しておく。大阪名物の串カツの店には「ソースの二度づけお断り」という注意書きがある。この注意書きを見て、「二度づけはダメでも、三度づけならいいだろう。だって、三度づけお断りと書いていないんだから」と推論すると吉本系のギャグになってしまう。「二度」とは「二度以上」のことであり、「二度およびそれ以上の回数」の禁止を意味する。なお、串カツをソースにつけて食べるのは自明であるから、一度だけつけるのは推奨され容認されている。「もしかして一度だけでもダメなのではないか」と不安になる人は、ソースにつけないで食べるしかない。

「手作り」という妄想

偽装→手作り.jpg.jpgのサムネール画像年が明けて前年を振り返る。月並みだが「いろいろあった」とつぶやくしかない。いろいろの話題のうち、国家の外交問題は重大であるものの、印象深かったのは食品偽装のほうだ。売り手も買い手も性懲りなく何度同じ轍を踏めば気が済むのか。偽装から発覚、謝罪、対処に到るまで絵に描いたようなワンパターンが繰り返された。

食材の偽装と調理の偽装がある。前者については何度か取り上げたので、今日は後者、とりわけ「手作り」について考えてみる。『新明解国語辞典』は素っ気なく、「自分(の手)で作ること(ったもの)。手製」としている。自家製も定義してあって、「自分の家で作ること」だ。つまり、自家製ケーキとは「自分の家で作ったケーキ」のこと。それなら、名称上はホテルやレストランとどこかのお宅のケーキにも差異はない。違いは食べてみて初めてわかる。いや、食べてもわからないかもしれない。
さて、「手作り」だ。どこかで買ってきた既製品のチョコレートを小鍋で溶かしてから成型し、冷やして何かを足して一手間かけたら、それは手作りか。手を加えたら手作りと呼べるのか。たとえば、栽培していたハーブを手でもぎり、皿に盛りつけてドレッシングをかけたら「手作りハーブサラダ」になるのか。サラダに手作りという表現を被せると浮いて見えてしまうのはなぜだろう。そうだ、寿司にも手作りということばが合わない。もちろん「手握り」とも言わない。

明らかに手で作ったり盛ったりしたものをわざわざ手作りなどとは言わないのではないか。手作りと敢えて強調する時点で、何だか怪しげな空気に包まれてしまう。「これは、どこかで買ってきた既製品じゃないぞ」とか「何から何まで機械や器具で作ったんじゃないぞ」という注釈のようにも思える。いや、好意的に考えれば「心を込めた」ということになるか。だが、機械て作っても心を込めることはできるだろう。どこかで手作りしたものを仕入れて店で出しても手作りと呼べる。自家製にしても、作った本人が売ればこそであって、仕入人が売れば「他家製」になる。別にどっちだっていいではないか。
呆れるほど当たり前のことを書いておこう。純然たる手作りなどありえないのだ。手作りは妄想なのである。たとえば手作りハンバーグとは「手作業ハンバーグ」のことではないか。包丁を使いボールを使いフライパンで焼いたのだ。道具を使って手作業したのである。「それはそうだが、ハンバーグの肝心要の工程である手ごねは手作りなのだ」という弁明があるだろうが、それでもなお、手ごねが道具ごねよりもすぐれているという証明にはならない。手ごねと聞くだけで皮膚や爪の垢まで混入するようで気分穏やかではない人もいる。
手作りでも手ごねでも、「誰の手」のほうに注意を向けるべきではないか。きみのその手で作られた料理は勘弁願いたいということだってある。ぼくたちは手作りや自家製という表現に何となく良さそうな固有の価値を感じているが、手作りや自家製が実際にはどういうことなのかについてはあまり深く考えてなどいない。店や売り手がどうのこうのという話ではなく、外食に対する一人一人の顧客の考え方がいま問われているのである。