「など」にご用心

曖昧な表現は極力避けているつもりだが、「~的」や「~性」は万能なのでつい使ってしまう。少々面映ゆい。わかったようで実はよくわからない曖昧語は、どうでもいい会話で飛び交う。どうでもいい会話だから連発してもされても気にならない。しかし、意味明快が絶対の場面で頻出するとイライラがつのる。使っている当人が語の曖昧性に気づくことは少なく、聞いたり読んだりする側が曖昧語の解釈に苦しめられる。言ったもん勝ちだ。意味の共有作業では、伝える側よりも理解しようとする側の負担が大きくなるのが常である。

意見を評する時に「おかしい」や「いかがなものか」を常用する政治家がいるが、こんなふにゃふにゃ表現で検証や反駁ができるはずもなく、政敵の空論に輪をかけたほど空しく虚ろに響く。手元の『あいまい語辞典』には、「ちゃんと」や「相変わらず」や「なんとなく」や「やっぱり」が掲載されている。要するに、副詞や副助詞などは総じて曖昧なのだ。こんなことを言い出したら、元来が主観の強い表現である形容詞などは、ほとんどすべてアバウトである。「おいしい」とか「きれい」とか言ってみても、イメージや思いを相手が精細に再生してくれているとは思えない。


意外かもしれないが、「など」は曲者の曖昧語である。たとえば「饅頭などの和菓子が好きです」と誰かが言う。これに対して、適当に「あ、そうですか」で済ませることはできる。しかし、単に「和菓子が好きです」とは言っていない……わざわざ「饅頭など」をくっつけたのには意味があるはず……とぼくは深入りしてしまう。

残念ながら、一例だけを挙げて「など」を付けても、一例からの類推の焦点は定まらない。「フランス、イタリア、スペインなど旧ラテン語圏の国々は……」と小概念を三例挙げて大概念で括るから明快になるのである。「饅頭」だけを例に挙げたそのココロが分からない。もし「饅頭、最中、大福などの和菓子が好きです」と言ったのなら、何らかの皮で餡が包まれたのが好きだと察しがつく(察しはついてもなお、ハズレかもしれないが……)。

etc.

ラテン語et ceteraエトセトラ(略して“etc.”)は「など」に相当するが、元々は「その他もろもろ」という意味だった。先の「饅頭などの和菓子が好きです」なら、饅頭の後に「など」を付けて「実はこれだけではないんですがね」と漂わせ、「饅頭に類する和菓子」というニュアンスを込めている。ならば、饅頭の他に最中や大福も添えておけば少しは曖昧さを回避できる。

「一例を以て『など』と言わない」は一つの言語作法なのである。少なくとも二例、できれば三例がほしい。そうすれば、複数の例の共通項が見えるからだ。もししっかりと見えたら、わざわざ大概念で括る必要性もなくなる。

空きビルの一階ドアに「アトリエ、事務所、作業場などに最適です」という貼り紙があった。「など」を使うにあたって部屋の用途を三つ例示しているのは悪くない。しかし、ここをクリアしてもこのケースでは「最適」という表現が具合が悪い。最適というかぎり例は一つでないといけないからだ。いや、事務所も作業場も言っておきたいと思った……それなら、「など」も「最適」も外して、「アトリエ、事務所、作業場に使えます」だ。いやいや、最適と言いたい……ならば「アトリエに最適です」しかない。ともあれ、「など」には要注意だ。ごまかすつもりはなくても、「など」はわかったようでわからない不透明感を残す。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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