魅惑の青

オフィスの書棚にフランスの伝統色と日本の伝統色という見本帳があり、仕事の合間の休息時にたまに手に取って眺める。何百万色もある色のほんの一部の色が収まっているにすぎない。それでも色味の多種多様にはそのつど目を見張ることになる。

もっと驚くべきことは、ぼくたちがおびただしい色の繊細な違いを判別できるということだ。科学的にどの成分が多いとか少ないとか言えるはずもないが、肉眼はデリケートな違いを感知している。ディスプレイ上でも紙の上でも、似ているが微妙に違うということがわかる。

どの系統の色も多彩に派生するが、青びいきのぼくは青の豊穣さにほとほと感心する。ある意味で青はマニアックなのである。

(……)ブルーが私たちの護符、私たちの思索の中心だ。では、どういうブルーなのか? どのブルーなのか? 咳をする前に喉もとにあらわれるブルーなのか? 《Aアーは黒、Eウーは白、Iイーは赤、Uユー緑、Oオー青よ》と発音するときに、煙の輪のように私たちの口からまるくなって出るブルーなのか?
(ウィリアム・H・ギャス『ブルーについての哲学的考察』)

いかに青がマニアックか、上の一文を読めばわかる。何のことかさっぱりわからないが、よくもこんな着想ができるものだと呆気にとられる。


フランスの女性画家マリー・ローランサンについて詳しいわけではないが、偶然古書店で展覧会の図録を見つけ、ペラペラと繰って立ち読みした。彼女は最初キュビズムから絵画に入った。キュビズムの大御所ブラックと知り合い、その後ピカソとも交遊があった。やがてキュビズムから離れるのだが、やわらかい筆遣いの中にあってその痕跡がわずかに見て取れる。

何点かの肖像画を順に拾う。構図やタッチではなく、青遣いに目が止まる。わずかな面積の中に、それぞれ風合いの違う青なのだが、それぞれに絶妙なアクセント効果を演出している。

ブルーについて哲学的考察をするつもりはまったくない。上手に青を手の内に入れるものだと素朴に感心した次第である。そして、その図録はいま手元にある。

青が気に入っているからと言って、鮮やかな青の衣服を纏い、青で室内をコーディネートするわけではない。自分から切り離された自然や絵に現れる青だからこそ魅惑的に映るのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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