知のバリアフリー化

知のバリアフリー賛歌のつもりで書こうとしているのではない。むしろ「バリアなければすべてよし」の風潮にうんざりしている。物理的にも精神的にも障碍のない状態を表わすことばが、ご存知の「バリアフリー」。もちろんそのことは一般的にはいいことなのだろう。たいていの動物にとって自然環境は、手を加えないままでバリアフリーである。ぼくたちの目にはバリアだらけなのだが、彼らは見事に環境に適応して苦もなく駆けたり飛んだりしているように見える。羨ましいかぎりだ。

人間はと言えば、レアのままの自然環境では生きづらい。それゆえに、登山や航海などがバリアを克服する冒険として成り立っている。文明の所産である様々な人工物は「動物弱者」としての人類が生活しやすくなるようにと編み出したものである。そもそも野獣から身を守り風雪に耐えるべくしつらえた住居は、自然のバリアを極力排除したバリアフリー指向の産物だったに違いない。

長い年月をかけて住みやすくしてきたが、成熟の時代になった今でも家にはまだ段差があり、壁や柱の一部が生活上の障碍として残っている。それらをすべて取っ払えばバリアフリーでアトホームな暮らしができるという目論見がある。床という床をすべてフラットにし、ありとあらゆる突起物をなくせば、生活しやすくなる? そうかもしれない。但し、一歩外へ出れば、どんなにバリアフリー化を進めている街にも大小様々なバリアがそこかしこに存在し、想定外の新種のバリアも蜘蛛の巣のように潜んでいる。


現実問題として、何から何まで平らになった環境で冒険心や挑戦意欲を維持できるのだろうか。いまぼくは、このバリアフリーの話を仕事に当てはめようとしている。仕事にはさまざまな課題がある。もちろん難問奇問もある。それらを解決していくことはその職業に就くプロフェッショナルとしては当然の任務である。にもかかわらず、そんな高度な課題に挑むこともなく、職場はマニュアルで対処できる「まずまず問題」ばかりに躍起になっているように見える。

テーマが容易に解決可能なレベルにならされた職場は、まさに知のバリアフリー状態と呼ぶにふさわしい。考えること、問題を解決することにつきまとう辛苦を遠ざけて、アマチュアがうんざりする程度の知で日々の業務をこなしているのだ。そのような知はハプニングに対して脆弱で、臨機応変力に乏しく、もはや難問を前にしてギブアップしているに等しい。

ここまで書いてきて、ふとあのテレビコマーシャルを思い出す。「三菱東京UFJ銀行カードローン、三菱東京UFJ銀行カードローン」と二度そらんじるだけで、上司の阿部寛が「グッドジョブ!」と褒めてくれるのである。これがバリアフリーの知の行く末である。これなら「この竹垣に竹立て掛けたのは、竹立て掛けたかったから、竹立て掛けたのです」を二度繰り返せれば、「ミラクル!」と叫んでもらえるのだろう。バリアフリーな知に安住したアタマでは難問を解くことはできないのである。

道徳とマニュアルと鞭

堅苦しいことや押し付けがましいことが苦手である。だから、堅苦しい式次第の会合から足が遠のくし、押し付けがましい話ばかりの講演にも行かない。義理があっても立てない。ついでながら、押し付けがましい料理を堅苦しい雰囲気の店で食べるのはものすごく苦手である。それ以上に苦手なのが、堅苦しくて押し付けがましい道徳である。ぼく自身は「控え目な道徳」のよき実践者であると自覚しているが、いくばくかの常識さえ備えていれば、わざわざ道徳に出しゃばってもらう必要はない。

しかし、人間というものは必ずしも性善ではなく、都合によっては性悪的に立ち居振舞う。それゆえに、暴風雨の日に安全心得を強く促すように、非行や非情がはびこる時代には道徳に目を向けさせる動きが強まる。控え目であることが持ち味の道徳に、肩肘張った硬派な役割を担わせるようになるのである。本来常識と道徳は同じものではない。だが、非常識と非道徳はよく似た性質を帯びてくる。

誤解を恐れずに極言すると、道徳が声高に叫ばれるときはだいたい情けない時代になっているものだ。誰もが人間関係のルールを守り組織や社会の規範を常識的に保持していれば、道徳が頻繁に出る幕はない。嘘をつくな、約束を守れとダメな大人が躾けられ、まともな大人も「挨拶と感謝の意」をつねに強要されている。実に情けない光景ではないか。道徳は隠然いんぜん的な存在である時にもっとも効力を発揮していると思う。


たいていのルールや規範は常識や共通感覚で十分に遵守できる。しかし、言わずもがなの道徳訓を垂れなければならない時がある。常識と共通感覚によって理性的に諭しても、うんともすんとも反応せず、相変わらず襟を正さない場合である。いっそのこと反社会的行動にまで至ってくれれば、道徳よりもはるかに強制力のある法によって裁くことができるのだが、そこまで罪が重くも深くもない。

常識不足と法律違反の中間にあり、何度注意しても直らず、かと言って処罰できない所業に対して道徳が出動する。多くの職場でこのような困った所業が当たり前になってきている。たとえば「相手がわかっていると思って、わざわざ確認しなかった」とか、「誰も何も言わなかったので先例に従った」とか……。良識を欠いたというだけで片付けられず、また大失態と烙印も押せないもどかしさが襲ってくる。

このような状況で顔を出す道徳は、ただ堅苦しくて押し付けがましいだけのお説教にすぎない。「相手の立場に立とう」や「そのつど臨機応変に考えよう」などのステレオタイプな道徳訓で鼓舞しておしまいになってしまうのである。常識を働かせよとか道徳心を持てとか言っても、問題は解決しない。方法なくして問題解決はありえない。しかも、精神的なものではなく、具体的で誰が試みてもうまくいく方法が望ましい。それって、結局マニュアル? いかにも! ああ、情けない。常識の範囲でできることを怠ると、職場はマニュアル化を加速させ、それでもうまくいかなくなるとステレオタイプな道徳、それでもまだダメなら法という鞭が唸る。当たり前のことを当たり前のようにしていれば、マニュアルも道徳も鞭もいらない。

対話と雑談

「根っからの」と言えるかどうかはわからないが、ぼくが対話好きなことは確かである。口論は好まないが人格尊重を前提とした激論なら歓迎する。ぼくは議論を対立や衝突の形態と見ていない。ゆえに、ジャブのように軽やかに意見を交わすようにしているし、必要とあればハードパンチを打ち合うこともある。このようなぼくの対話スタイルは少数派に属する。そのことをわきまえているつもりだから、対話に慣れない人たちが議論などおもしろくないと思うことに理解を示す。

だが、一人であれこれ考えるより少し面倒でも対話をしてみるほうが手っ取り早い。他者と意見交換してみれば容易にテーマの本質に迫ることができるのだ。一人熟考するよりも、あるいは読書を通じて何事かを突き詰めていくよりもうんと効果的だと思うのである。トレンドが起こるとアンチトレンドが煽られるように、ある立場の意見は対立する別の「異見」によって照らし出される。意見対立を通じて見えてくる知の展望に比べれば、反論される不快さなどたかが知れている。挑発的な質問や当意即妙の切り返しの妙味は尽きないのである。

たしかサルトルだったと思うが、「ことばとは装填されたピストルだ」と言った。拳銃のような物騒な飛び道具になぞらえるのはいささか極端だが、対話や議論のことばには弾丸のような攻撃的破壊力がある。猛獣のように牙を剥くことさえある。たいていの人はことばの棘や牙に弱く、免疫を持たない。たった一言批判されようものなら顔を曇らせる。しかし、少々の苦痛を凌ぐことができれば、対話は有力な知的鍛錬の機会になりうる。論争よりも黙殺や無視のほうが毒性が強いことを知っておくべきだろう。口を閉ざすという行為は、ある意味で残酷であり、論破よりも非情な仕打ちになることがある。


何事にも功罪あるように、対話が息苦しさを招くのも否めない。かつて好敵手だった同年代の連中の論争スタミナも切れてきて、議論好きのぼくの面倒を見てくれる者がうんと減った。また、若い連中は遠慮もあってか、検証が穏やかであり、なかなか反駁にまで到らない。この分だと、これからの人生、一人二役でぼやかねばならないのか。だが、幸いなことに、対話同様にぼくはとりとめのない雑談も愛しているから、小さな機会を見つけては興じるようにしている。対話には屹然きつぜんとした線の緊張があるが、雑談には衝突や対立をやわらげる緩衝がある。雑談ならいくらでも「茶飲み友だち」はいる。

雑談の良さは、ロジカルシンキングの精神に逆らう「脱線、寄り道、飛躍」にある。「ところで」や「話は変わるが」や「それはそうと」などを中継点にして、縦横無尽に進路を変更できる。雑談に肩肘張ったテーマはなく、用語の定義はなく、意見を裏付ける理由もない。何を言ってもその理由などなくてもよい。対話と違って、雑談の主役はエピソードなのである。「おもしろい話があるんだ」とか「こんな話知ってる?」などの情報が飛び交ったり途切れたり唐突に発せられたりする。

対話は知的刺激に富むから疲れる。かと言って、対照的に雑談が気晴らしというわけでもない。なるほど「今から雑談しよう」と開会宣言するようでは雑談ではない。また、「ねぇ、何について雑談する?」などと議題設定するのも滑稽だ。原則として雑談に対話のルールを持ち込むのはご法度なのである。けれども、雑談をただの時間潰しにしてしまってはもったいないので、ぼくは一つだけ効能を期待している。脳のリフレッシュ。ただそれだけである。

ソリューション雑考

問題を解くという素朴な意味でソリューションということばを使っているのに、ぼくの意に反してずいぶん大仰に受け取る人たちがいる。彼ら流ではソリューションビジネスとかソリューションサービスと言うのだろうが、分野によってはソリューションはコンサルティングやシステム構築を含んでしまう。情報機器関連の業界では、もう二十年近く前からアフターサービスやメンテナンスもソリューションの一形態と見なしてきた。

ぼくの使うソリューションには「人力的」で「原始的」という含みがある。英語の辞書を引けばだいたい二番目に出てくる「溶解」または「溶かすこと」に近い。固形の問題を水溶液に入れて跡形もなく消してしまうというイメージ。日本語でも英語でも「ソリューションを見つける」という言い回しをよくするが、たしかに既製の水溶液を見つけてきて、そこに問題を放り込んできれいさっぱり解かせる場合もあるだろう。

しかし、いつもいつも運よくどこかに解法が存在しているとはかぎらない。問題に直面すれば自力で解決策を講じたりソリューションを捻り出したりせねばならない場面が多いのである。つまり、固形物を自ら粉砕せねばならないのだ。粒が残ることもあるだろう。そのときは、手作りの溶液へ投じて攪拌せねばならない。現実に照らしてみると、人力的かつ原始的に試みられるソリューションのほうが頻度が高いと思われる。なお、難度の高い問題が必ずしも高度なシステムとソリューションを必要とするわけではない。ぼくたちが抱える問題の難易度と解法のレベルは、数学や物理学とは違う。仕事や生活上の難問は案外簡単な方法で解けてしまったりすることもある。


誰かの問題であれ組織や社会の問題であれ、人はまず足元の問題を解決しようとする意志と情熱によって様々な方法を実践できなければならない。自分の困りごとやニーズに気づきもせず改善努力をしない者が、他者の困りごとやニーズに気づいたり気遣ったりできるはずがないのである。まず己のソリューション。これが自力という人力である。そして、何が何でも問題を解いてやるぞという意志と情熱。この「何が何でも」が、ぼくの言う原始的方法に呼応する。己のソリューションができてはじめて、他者のソリューションのお手伝いができる。

問題や課題を探すのが上手な人は五万といるが、彼らのほとんどは解決を苦手としている。問題のない状態が一番いいわけで、のべつまくなしに問題が発生するのを歓迎しない。ソリューション大好き人間などめったにいないのである。「好きこそものの上手なれ」と教えても、好きになれないのだからどうしようもない。ならば、「下手こそものの上手なれ」と言い換えてみようではないか。下手だから上手になろうとする習性があることを思い出そう。

たとえば「リヨンド・ガラソとは何か?」という問いは、調べて説明せよという問題なのか、それとも想像せよという問題なのか。この問いは、「売上アップ」や「薄型携帯のデザイン」などと同じ課題なのか。問題の記述文はソリューションの着地点を決定づける。忘れてならないのは、ソリューションとは問題のある現状を理想的な状況に変革する方法という点である。したがって、「リヨンド・ガラソとは何か?」はソリューションを求めているのではなく、意味や由来を図書館かインターネットで調べてこい、もしくは、ラテン系らしい語感を頼りに誰かに聞いてこいと指示しているのである。

残念ながら、リヨンド・ガラソをGoogleで見つけることはできない。なぜなら、ラテン系の表現でもなく地名でもなく、ぼくが窓を開けて空を見上げたときに「そらがどんより」とつぶやき、それを逆から発音して「りよんどがらそ」になっただけの話だからである。しかし、この記事の投稿したので、リヨンド・ガラソを検索すれば、この記事に辿り着くかもしれない。

世の中には、この例のように、ソリューションの対象にならない問題や課題もあるから気をつけよう。

どっちが正しいのか?

ランチタイムに来客があるのでご馳走するとしよう。オフィスから歩いて数分圏内にしたい。初めての人にお薦めの店が二軒あり、一つは中華、もう一つがフレンチだとしよう。どっちが正解か……。こんなことを真剣に考える人が現実にいて驚いてしまう。しかも、なかなか結論が出ずに心底悩むらしいのである。ランチ接待というテーマに「正しい・間違い」などあるはずもない。結果は「気に召したか召さなかったか」のどちらかで、正しかったか間違いだったかではない。

最初から来客自身に聞けばいいではないかという意見もある。「この辺りにはまずまずの中華料理店とビストロがあるのですが、どちらがいいですか?」と聞く。なるほど、手っ取り早い方法だ。しかし、ぼく自身のもてなす側の経験上、相手はほとんどの場合「お任せします」と言う。また、もてなされる側としての経験に照らし合わせても、「お任せします」と言うほかない。相手に気もお金も遣わせてはいけないと思うからである。したがって、相手の好みを尋ねるのも芸がなく意味もない。

考えて悩んで答えが出るものと、そうでないものがある。そして、大半の考えごとは正否の次元で片付かない。ランチメニューを前にして少考することはある。時に決めあぐねることもあるが、それは悩みなどではなく楽しみの一つだ。書店で本を選ぶ時も同じ。ポケットマネーの範囲内だから、二冊の取捨に迷ったら両方買えばいい。しかし、それでは面白味がない。何も考えずに両方買うのではなく、二者択一という条件を自分に課すのは一種のゲームとして実に楽しいのである。これとは違って、来客をどんなランチでもてなすかはほとんど直感であってよい。来客の嗜好を知らないのならなおさらで、極端な話、自分の食べたいほうを持ちかければよろしい。繰り返すが、そこに正しい判断などないのである。


ラッセルとホワイトヘッドは共著『プリンキピア・マテマティカ』で「1+1=2」を証明するのに700ページを費やした。これだけ念には念を入れたのだから、どうやら「1+1=2は正しい」と言えそうである。しかし、これを正しさの基準にすれば、世の中は正しくないものの集合でできているようにも見えてくる。「我思う、ゆえに我在り」のようなスーパー名言でさえ、1+1=2の正しさの足元にも及ばない。「我語る、ゆえに我在り」というぼくの創作もデカルトの名言も、怪しさにおいてはいい勝負ではないか。

ここで一つ問いかけてみたい。ABのいずれが正しいのだろうか。

A 他人のことはよくわかるのに、自分のことはわからない。
B 自分のことさえわからないのに、他人のことがわかるはずもない。

哲学命題としてはおもしろいが、現実問題としては深く考えるまでもない。ABのどちらが正しいかなど永久にわからないのである。それどころか、正しい・間違いという尺度を持ち込めるのかどうかも疑わしい。ぼくはAを実感することもあれば、誰かに相談されるときに強くBを主張したくなることもある。実感したからと言って、正しいと確信することなどできそうもない。確かなことは、ABも経験したことがあるという点だけである。

先の土曜日に、審査員を対象としたディベートの勉強会を実施した。12月中旬に大学生によるディベート大会が開催されるが、その論題《大学は主として実社会適応力を習得する場である》の解釈と分析、簡単な立論による練習ディベートをおこなった。ここでも、油断するとつい事の正否を問うてしまうのである。このテーマは定義命題であり、大学というものの役割論・ポジションを争点とする。ゆえに、肯定側に立てば「大学を実社会適応力習得の場」と解釈し、否定側に回れば「そうではない」と反論するロールプレイを演じるのである。「どっちが大学の正しい姿?」などと真理のありかを問うても答は出てこない。

「どちらが正しいのだろうか?」という問いは、ぼくたちが想定するほど有効ではなさそうだ。そう尋ねてまじめに答を編み出そうと四苦八苦しても、あまり思考力が高まることもなく、また意思決定や問題解決がうまくいきそうもない。むしろ、どうあるべきかと考えて自分なりに意見を導き、その論拠を組み立てて他者に説明するほうがトレーニングになりそうである。

ユニークさの源泉

タイトルを『ユニークさの源泉』と書いてから、はっと気がついた。『日本人――ユニークさの源泉』という書名を思い出したのである(著者グレゴリー・クラーク)。1970年代、比較文化に興味があったのでその種の本をよく読んでいた。他に『人は城、人は石垣――日本人資質の再評価』(フランク・ギブニー著)なども読んだ。当時、アメリカ人による日本文化論がよく書かれ日本でよく読まれた。昨今も日本人論ブームらしいが、いつの時代も日本人は日本や日本人についてどう見られているかに異様な関心を抱いているような気がする。

『日本人――ユニークさの源泉』という書名も著者名も思い出したが、あいにくどんな内容だったかまったく記憶にない。今からユニークさについて書こうと思うのだが、タイトルが必ずしもユニークでないのは愉快でない。かと言って、『ユニークさの理由』や『ユニークさの背景』に変えても、どこかにこれらのフレーズを含んだ書名があるに違いない。ならば、タイトルはこのままにしておこう。但し、これから書くユニークさの源泉は日本人論とは無関係である。

「差別化か、さもなくば死か」(ジャック・トラウト)はのっぴきならない決意表明である。マーケティング戦略史に残るこの一言は極端に過ぎるかもしれない。だが、自他に差がなく、ひいては自分が他者から識別されないのはやっぱりつまらない。ぼくは教育と実際のサービスの両面で企画を実践してきたが、ありきたりであることや二番煎じであることがブーイングの対象になるのを承知している。いや、批判されることなどどうでもいい。それよりも、自分が他者とは異なる固有の存在でなければおもしろくないではないか。ユニークさは生きがいの大きな要因だと思う。


普通でないことや常識的でないことをユニークさと呼んでいるのではない。ユニークさとは他と何らかの差異があることだ。ちなみに、ぼくたちは「とてもユニーク」などと言って平気だが、英語表現に“very unique”はなく、また比較級も最上級にも変化しない。「A君はB君よりもユニーク」などと言わないし、「この商品は当該ジャンルでもっともユニーク」とも言わないのである。このことは、単に「ユニーク」という一語だけで、形容する対象が固有であることを示している。

たとえちっぽけでも固有になりうる。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という有名な諺がある。大きな組織のその他大勢の一人になるくらいなら、小さな組織のリーダーのほうがいいという意味だが、ユニークさと重ね合わせてみると何となく似ている。ユニークさはゴールの大小、組織の大小、テーマの大小とは無関係に発揮できる。そのためには、誰もができそうなことや自分でなくてもいいことに長時間手を染めないことである。

なぜ人はつまらない平凡な存在になったり陳腐な発想をしたりするようになるのか。一言で言えば、現環境における安住である。そして、その裏返しとしての、新環境への適応拒絶。もう少し平易に言えば、流れに掉差す無難主義あるいは等閑なおざりな正解探しの姿勢がユニークさを阻んでいる。ユニークさの源泉とは、この世に生を受けておいて固有でない生き方をしてたまるかという「向こう意気」だろう。そして、時にそのエネルギーは、アマノジャク、アンチテーゼ、エスプリなどに変形する。

内容と表現の馴れ合い

ずいぶん長い間、情報ということばを使ってきたものだ。まるで呼吸をするように使ってきたから、立ち止まって一考する機会もあまりなかった。実に様々な文脈で登場してきた情報。ぼく自身も知識という用語から峻別することもなく、情報、情報、情報と語ったり書いたりしてきた。但し、数ヵ月前に本ブログの『学び上手と伝え上手』で書いたように、見聞きする範囲では情報という語の使用頻度は減っている気がする。

それでもなお、この語がなかったら相当困るに違いない。見たままなら「情けを報じる」である。「情け」というニュアンスをこの語に込めたのはなかなかの発案だった。一説に森鴎外がドイツ語を訳した和製漢語と言われているが、確かなことはわからない。確実なのは、広辞苑がここ何版にもわたって「ある事柄についての知らせ」という字義を載せていることだ。「知らせ」であるから、知識でも事件でも予定でもいいし、情けであってもまずいわけではない。

情報ということばは多義語というよりも、多岐にわたる小さい下位の要素を包み込んだ概念である。固有の対象を指し示すこともあるが、ほとんどの場合、具体性を避けるかのように情報ということばを使ってしまう。「情報を集めよう」とか「情報化社会において」とか「情報発信の必要性」などのように。つまり、内容を明確にしたくないとき、情報の抽象性はとても役に立ってくれるのである。


先に書いたように、情報は「事柄」と「知らせ」の一体である。内容と表現と言い換えてもいい。ぼくたちが欲しいのは情報の内容であることは間違いない。ところが、情報はオーバーフローするようになった。そして、ここまでメディアが多様に細分化してしまった現在、内容よりも「知らせ方」の意味が強いと言わざるをえない。知らせ方とは受信側からすれば「知り方」である。その知り方を左右するのは、情報を表現するラベルや見出しだ。

こうなると、内容あっての表現という図式が怪しくなってしまう。内容がなくても、表現を作ってしまえば内容らしきものが勝手に生まれてくるからである。情報価値などさほどないがラベルだけ一人前にしておく、あるいは、広告でよく見られるように、同じ商品だが表現だけをパラフレーズしておく。実際、近年出版される本の情報内容は、タイトルという表現によってほとんど支配されているかのようである。さらにそのタイトルが帯の文句に助けてもらっている。

眼が充血したので眼科に行けば、その向かいに耳鼻科の受付。『春子は、春子なのに、春が苦手だった』というポスターが貼ってあった。かつて見出しは『花粉症の季節』のようなものだったに違いない。そして、それは花粉症対策の必要性という情報と乖離することのない見出しだったはずである。ここに至って、本来の医療メッセージが、花粉症に苦しむ女性、春子さんに下駄を預けている恰好だ。これなら『夏子は、夏子なのに、夏が苦手だった』も『冬雄は、冬雄なのに、夏が好きだった』も可能で、これらの表現に見合った情報内容を後から探してもいいわけである。

情報内部で内容と表現が馴れ合っている。そして、ぼくたちはろくでもないことを、目を引くだけの表現で知らされていくのである。ことば遊びは好きだが、情報を伝えるときに表現を弄びすぎるのはいただけない。

ディベートセンスのない困った人たち

「どっちもどっちだ」という言い回しをあまり好まないが、こう表現するしかないという結論に達した。嘆かわしい失言とそれに対する季節外れのような攻撃、どっちもどっちである。

柳田稔は「法相は二つのフレーズさえ覚えておけばいい」と支持者を前にして言い放った。二つのフレーズで国会での答弁を切り抜けることができると種明かしをしたものだ。その二つのフレーズは、政策論争の場には似つかわしくなく稚拙であった。おそらく学生たちが練習する教育ディベートの議論としても成り立たないレベルである。答えが分からくても切り抜けられると彼が言ったフレーズは次の二つである。

 個別の事案については答えを差し控える。
2   法と証拠に基づいて適切にやっている。

この話を聞いて、ぼくは冗談だろうと思ったが、実際に過去のビデオを見たら、更迭された元法相はこれらのフレーズを答弁で用いて切り抜けていた。この二つが答弁必勝法だとは呆れるばかり。と同時に、この逃げ口上を追い詰めることもできない尋問者も情けないかぎりである。失言・無責任・国会冒涜を非難する前に、尋問の甘さを悔い自戒すべきである。

ディベートの反対尋問にも、相手の質問を切り抜けるいくつかのテクニックがある。たとえば初心者向けの一例として、イエスかノーかの返答に困ったら、ひとまずノーと答えよというのがある。これに対して初心者の相手が「なぜノーか」と尋ねてきたら、「ノーに論拠などない」と答えておく。さらに相手が「それはおかしい」と反発してきたら、「何がおかしいのか教えてほしい」と攻守逆転させる。うまくいくかどうかは別として、初心者どうしならたいていペースを握れる。


上記のテクニックはれっきとした詭弁術である。こんなテクニックをぼくは決して本気で教えているのではなく、半分ギャグのつもり。けれども、意表を衝かれた質問に対して苦しまぎれの振る舞いを見せるわけにはいかない。プロフェッショナルと言えども、どんな質問にでも臨機応変に即答できるわけではないのである。ゆえに、答弁者にとって何らかの遁辞とんじは不可避である。その遁辞を尋問者は即時にその場で捉えて弁明させねばならない。後日になってから後援会での暴露に怒り心頭に発しているのはタイミング外れと言わざるをえない。

もう一度二つのフレーズを見てみよう。「個別の事案」について語らなくていったい何を語ると言うのだ。個別の代わりに、一般的で複合的な事案なら答えを出すのか。一般的で複合的とは普遍的ということか、それとも抽象的ということか。たとえば国防の場合、「尖閣」そのものは語らないが、「領土問題」については答えてもいいということか。こんなふうに詰めていけば、いくらでも尻尾をつかめたが、尋問者はまんまと逃がしてしまったようだ。二つ目の「法と証拠に基づいて適切にやっている」については、「適切に」を争点にして掘り下げる。法と証拠を追いかけるといくらでもはぐらかしが効きそうである。

個人的には国民がなめられたとぼくは思わない。なめられたのは野党の論争能力と反対尋問技術である。ゆえに野党は激怒するのだが、ならばあの程度の答弁なら百発百中で崩してもらわねば困る。ところで、元法相は政界引退後しばらくして自伝の中で告白しておけば笑い話で済んだだろう。現役中にギャグっぽく言ってのけては引責辞任も免れない。ぼくなら問責されないが、大臣には立場というものがある。お偉い方々は「人間は地位が高くなるほど、足元が滑りやすくなる」というタキトゥスのことばを噛みしめておくべきだろう。ついでに「口が滑ると足元が滑る」も覚えておくのがいい。

家を持つこと、住まうこと

90年代だったか、「橋をデザインするな、川の渡り方をデザインせよ」という仕事訓があった。一言一句正確な表現かどうか自信はないが、フィリップス社のデザイン理念の一つと聞いた。橋をデザインしようとすると既成概念に囚われるが、「川を渡る」という原初的機能に着眼すれば、大胆で目新しいアイデアに辿り着ける可能性がある。この表現を「家をデザインするな、住まい方をデザインせよ」と住居に応用したことがある。住まい方とは「生き方」でもある。


60代半ばと思われるホームレスの夫婦。彼らは小さなリヤカーを引き、中型の黒い犬を飼っていた(いや、連れていたと言うべきか)。犬を見かけなくなったのが2年程前。それから半年経った頃、今度は夫がいなくなった。以来、老女は高速道路の下に常宿の場を確保して、一人たくましく生きている。縄張り争いが起こりそうな所ではない。だから、彼女の場所は青いテントやダンボールの目印もなく、「家財道具」が表札代わりに置かれているだけである。

彼女の居場所や活動範囲はぼくの自宅からオフィスへの途上にある。空き缶を集めている姿をよく見掛けた。ところが、ここしばらく姿を見ていない。半月程になるかもしれない。先週のある朝、家財道具のそばにビニールで梱包した布団が置かれていた。貼り紙があり、「寒いので、使ってください」云々と書かれていた。「寒」と「使」の漢字の上にはそれぞれ「さむ」と「つか」とルビが振ってあった。彼女はルビのあるメッセージを読んで布団を使っているだろうか、それとも……。

英語に“hobo”ということばがある。「ホウボウ」と発音する。親日家のアメリカ人が「これは日本語の『方々ほうぼう』から来たんだ」と言うからしばらく信じていたけれど、その後起源不明ということを知った。辞書には「浮浪の民」のように記されていることが多いが、どうやら「渡り労働者」を意味するようである。働かない時期もあるが、原則として仕事を求めて旅をする人たちだ。仕事をしない放浪者をtrampトランプ、仕事もせず放浪もしない無宿の人をbumバムと呼ぶ。あの老女はバムということになるのだろうか。バムにとって、布団は家そのもの? それとも一つの住まい方? はたしてどちらなのか。


知らず、生まれ死ぬる人何方いずかたより来たりて何方へか去る。また知らず、仮の宿りが為にか心を悩まし何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或ひは露落ちて花残れり。残るといへども朝日の枯れぬ。或ひは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つ事なし。

『方丈記』の住まいに関する記述である。「人の生は短く、その短い一生を過ごす住居に一喜一憂しても始まらない。人と家の関係は、露と朝顔の花の関係と同じで、いずれも常はなく、はかない」と超訳して読める。家をデザインして建てても、そのが住まい方、ひいては生き方を保証してくれるわけではない。家あってもホームレスな生き方があり、家なくしてもアトホームな生き方があるだろう。橋と川の渡り方を家と住まい方になぞらえたように、さらに別の対象と機能に置き換えてみれば、少しは幸福の本質について想像力が働くかもしれない。

多様性と多様化

新しい概念であり造語である〈生物多様性(biodiversity)〉を通じて、ごくふつうに使ってきた多様性という表現が別の文脈において変容してきた。生物多様性に思いを馳せておきながら人間多様性をイメージしなければ鈍感に過ぎる。人間多様性とは人類の相貌の多面性のことではない。見た目以上に人間はそれぞれに異質なのである。それゆえ、人間をわずか数種類のパターンに分類できそうもないと思い知る時、そこに個々の考えや欲求や価値観が十人十色であること、すなわち、人間の多様性を実感する。人はみな違う。

他方、人はみな同じだという見方も可能だ。一見多様な見方や思いがあろうとも、共通点を列挙すれば、人は所詮人であることも否めない。これは、個体識別がむずかしそうな蟻を例にあげて「蟻は所詮蟻だ」と言うのとはわけが違う。ぼくたちは、ある種の蟻をすべて個性的であると断定するほど十分に識別などできない。ところが、人間に関しては、肉体的にも精神的にも多様であると認識する一方で、それでもなおかつ人はみな同じであると論じることもできるのだ。裏返せば、「人は似たり寄ったりである」と結論づけるにしても、前提のどこかに人間の多様性をちらりと垣間見ているのである。

生物多様性が論じられるようになったはるか以前、たとえばぼくが学生時代であった1970年前後に人々は今ほど多様ではなかったのか。いや、そんなことはない。あらわに顕在化こそしなかったが、当時の人たちもそれぞれに固有の考えや欲求や価値観を把持していた。ただ、社会に多様性を受容するだけの環境が整っていなかった。仕事もライフスタイルも生き様もいくつかのパターンに嵌め込まれており、いずれのパターンにも色分けされない者はアウトローの烙印を押されてもしかたなかったのである。


いつの時代も人間は多様性の存在であると思う。その多様性の面倒を見切れずに、制限を加えざるをえないのは社会のパラダイムのほうである。今からわずか一世代遡るだけで、「男というものは……」「女というものは……」「仕事というものは……」などに見られる、数少ない型が社会に用意されていた。極端な例が職業で、江戸時代までは大きな概念上の職業には士農工商という四種類しかなく、よほどのことがないかぎり、人間の多様性は無視されて出自という運命的な帰属から逃れることはできなかったのである。

マーケティングの分野では、消費者ニーズの「多様性」とも「多様化」とも言う。ニーズはもともと多様性に満ちているのか、それともますます多様化しているのか……いったいどちらが正しいのだろう。これまでの自論からすれば、ニーズはいつの時代も人の数だけ多様なのである。その多様性の、たとえば60年代・70年代の社会や企業は、十分な受け皿になれなかったのである。コンピュータやテレビや電話へのニーズが実際に多様かつファンタスティックであったことは、子どもたちが描いた絵やサイエンスフィクションが証明している。多様性はあったが、多様化が実現しなかったというのが正しい。

ぼくが若かった時代のアウトローやドロップアウトも、今の時代の多様化システムの中になら収まる程度だったのかもしれない。辛辣な言い方をすれば、昔なら村八分扱いになりそうな異型の個性が今の時代には容認されているのである。とは言え、人間多様性を生かしてくれるこのような社会構造の多様化を原則として歓迎する。但し、ニートにクレーマー、仕事のできない社員に無責任なリーダーたちが無条件に救われていていいはずがない。居場所と棲息方法の多様化は、十人十色の人間多様性を担保しないのである。