コミュニケーションにおける問いの役割

研修で取り上げるテーマはいろいろあるが、どんな研修タイムテーブルも原則二日間で組み立てている。日本全国、毎年数千人の受講生に出会う。それでもぼくは人見知りをする。ぼくを知る人は、ぼくが「人見知りをする」などと言えば、戯言として受け流すだろう。その性格を見落としてしまうのは、人見知りしないときのぼくと付き合っているからである。人見知りをしていては講師業など務まらないと思われるかもしれないが、決してそんなことはない。むやみやたらに人なつこいよりは、人見知りのほうがいい。受講生理解にはクールな一線というものが欠かせない。そうぼくは思っている。

もちろん二日目になっても人見知りをしているようでは失格である。集団としての受講生や場の空気には一時間足らずで慣れる。だいたい9時か9時半にスタートして、午前中に30名近くの受講生一人一人の傾向と対策がわかってくる。講義内容への反応や受講態度は、本人たちが想像する以上に講師には見えているものだ。受講生も、ぼくの立ち居振る舞いや話しぶり、講義で取り上げる話題や素材を通じて、ぼくの性格や思想傾向、場合によっては習慣や嗜好まで察するだろう。

一応の人見知りはするものの、人間に対する好き嫌いはほとんどなく、たいていの人たちと温厚に付き合える。とはいえ、一年に数人の「やりにくい受講生」に出会う(確率的には数百人に一人くらいの割合だ)。やりにくい受講生の典型は、(1) 義務または強制によって研修に参加しており、(2) 顔なじみの仲間がいなくて人見知りをし、(3) 無愛想でどこかしらねた様子でメモを一切取る気配のない「30代、40代の男性」である。これは統計的経験値なので、根掘り葉掘り詮索しないでほしい。ちなみに女性にこのタイプはほとんどいない(女性でやりにくいタイプはまた別の機会に取り上げたい)。


とても不思議なのだが、この種のやりにくいタイプは同じ研修で複数存在しない。必ず一人なのだ。たぶん複数いたとしても、気になるほど目立つのは一人なのだろう。やりにくい受講生なのだが、ぼくもキャリア20年を超えた。処し方はわかっている。重点的に構ってあげればいいのである。「いやいや参加させられたが、知らない受講生ばかり。テーマにいまいち関心もないし馴染めそうにない。上司は何を考えてるんだ」と思っている。拗ねる原因の第一は「したくないことを外圧によってさせられている」という意識である。

休憩時間に狙いを定めて接近する。彼が自動販売機で缶コーヒーを買えば、続いてぼくも買う。一人休憩室の片隅でぼんやりしていれば、こちらから声をかける。初対面の講師であるぼくが構ってあげられる唯一の方法はコミュニケーション、とりわけ質問である。質問される―それは誰かが自分に関心を示している証だ(たとえ巡査から不審者への職務質問であっても、それは一種の関心の表明である)。

研修所の窓外に聳える山の名前を知っていても尋ねる。「えらくきれいな山だね。何という山?」という具合。眼前に水を湛える湖を「ここは何湾?」と、とぼける。最初は「そんなことも知らないのか」という感じでふてくされたように小声で答える。「地元の名産で何かうまいものある?」と、知っているけれど追い打ちをかける。「いろいろありますから」と無愛想。「たとえば魚だったら?」と続ける。彼、答える。「今夜、その魚を食べてみたいなあ。近くに料理屋はある?」と攻める。彼、答える。少し声が明るくなり顔の表情も変わってくる。

「いろいろありがとう。参考になりました」と礼を言う。礼を言って、その場を去らずにしばし間を置く。沈黙の時間。気まずさを感じる彼のほうから今度は質問をしてくる。「先生はどちらから来られたのですか?」 ぼく、答える。こうして午前中の休憩時間が終わる。昼休みにも一言二言交わす。午後の休憩時間、場合によっては彼のほうから近づいてくることさえある。そして、講義内容について質問なんてこともある。彼はもはや拗ねてはいないし、講義のメモも取っている。二日目、グループ演習では初対面の仲間と和気藹々討議をしている。

うまくいかないこともあるが、十中八九やりにくそうに見えた受講生は変わる。ぼくはカウンセリングもコーチングも本を読んだ程度で、あまりよく知らない。しかし、初対面であれ関係の修復であれ、人間関係はコミュニケーションそのものであり、その基本に問うという関与があると確信している。

その名は体を表わしているか

ふだん気にとめないでやり過ごしていることが異様にクローズアップされることがある。寒風の中を心斎橋までぶらりと歩き、昼前に入ったうどん店でそんな体験をする。カレーうどんを食べながら、「カレーうどんは実にうまく名が体を表わしている」と思う。

対象に見合ったネーミングをしていれば、必然「名は体を表わす」はずである。うどんに肉を入れる食べ物を「肉うどん」と名づけたのだから、肉うどんという品書きの名称は商品を的確に表わしているのは当たり前だ。だから、肉うどんを注文したにもかかわらず、肉のないかけうどんが出てきたら誰だって憤慨する。

関東からの旅行客と思しき二人がその麺類一式の店に入ってきた。品書きの中に「ハイカラうどん」を見つけたようだが、その名から体を想像するのは容易ではない。「ハイカラうどん」とは「揚げ玉(天かす)がトッピングされたかけうどん」だ。関東風に言えば「たぬき」。自ら使ったことはほとんどないが、聞いたり読んだりして、ハイカラが「丈のある襟」を意味する“high collar”から転じたことを、また、洋風でお洒落でモダンな意味で使われることを知っている。「ハイカラうどん」はネーミングとして斬新だったろうが、決して体を表わしてはいない。


昔はこのような麺類一式の店でよく食事をしたものだし、町内の店から出前を頼んだものだ。そこでは、うどんやそば以外に丼物もメニューにしている。玉丼、カツ丼、親子丼、他人丼、牛丼、天丼などだ。昔を少し懐かしみながら品書きをじっと見ていた。親子丼はよくできた擬人化ネーミングだが、名が体を表わしてはいるとは思えない。鶏肉と鶏卵は親子の関係なのだろうか。親鳥の子はひな鳥と言うのではないか。卵は子なのか。では、実物に忠実な名称にするにはどうすればいいのか――これが結構むずかしいのだ。「鶏たま丼」なら正確だが、「鶏卵丼」と間違えられる。

しかし、親子丼はまだいい。この親子丼の鶏肉を牛肉または豚肉に置き換えた「他人丼」はどうだ。ぼくの生活圏で他人丼と言えば、牛肉と鶏卵の組み合わせであり、それに親子丼の具にもなっている玉ネギや三つ葉が入っている。親子丼からの連想で生まれたと思われる他人丼という擬人化は不気味である。幼少の頃、おとなたちが他人丼を注文するたびに異様な語感が響いていた。その語感がまたぞろぶり返す。

他人丼の写実的表現は「牛肉卵とじ丼」なのだろうが、呉越同舟、つまり「牛卵同丼ぎゅうらんどうどん」ではないだろう。牛肉と鶏卵は他人行儀の状態で丼に収まってなどいない。仲が悪くないのだから「他人」などという水臭いネーミングなどせずに、「養子丼」でもよかったのではないか。

休日の昼下がり、こんなふうにバカらしい連想をしていた。しかし、気づいたこともある。麺類・丼物一式の品書き表現はいくつかに分類できるのだ。たとえば、(1) ずばり主役となる素材を訴求するもの(昆布うどん、天ぷらうどん、にしんそば、牛丼など)、(2) 素材の状態を訴求するもの(月見うどん、卵とじうどん、味噌煮込みうどんなど)、(3) 素材どうしの関係性を訴求するもの(親子丼、他人丼など)という具合に。この他にも、スタミナうどん(目的訴求)、鍋焼きうどん(容器訴求)もある。

ハイカラうどんは上記分類のどこにも収まらない。何十年も前のこのネーミング、注意を喚起し目新しさを訴求するという点で画期的だったのかもしれない。

無知よりも危うい「小知」

正確な定義もせずに「少知しょうち」という造語を使っていた。文字通り「少しだけ知識がある状態」をそう呼んでいた。しかし、同じ読み方で「小知」という、わずかな才知やあさはかな知恵を意味することばがちゃんとあるので、ニュアンスはやや違うのだが、最近はこちらのほうを使うようにしている。この小知には「大知だいち」という、一見対義語らしきことばも存在する。但し、こちらは博識という意味ではなく、見通しや見晴らしのよい知見のことだ。

あるテーマについて対話をしてみようではないか。あるいは第三者として討論に耳を傾けてみてもいいだろう。大知と博識の人はおおむね議論に強いことがわかる。議論に強い人とは、自分の主張をきちんと唱えるのもさることながら、何よりも相手の主張を検証して反駁するのに秀でている。検証反駁とはフィルターをかけることであり、知識が豊富な人ほど各種フィルターを手持ちにすることができる。

一般的には知識がより多いほうが有利に議論を運べる。しかし、この法則は「無知vs小知」の議論にはそのまま当てはまらない。ぼくの経験上、小知は無知を相手にほとんど勝てないのだ。小知の中途半端な分別は、厚かましさと居直りの無知によって完膚なきまでに叩かれる。言うまでもなく、小知は大知や博識にも歯が立たない。つまり、小知は誰にも勝てない。まるでどこかの会社の中間管理職みたいだ。では、「小知vs小知」の闘いはどうなるのか? そんな見せ場もない議論はおもしろくないから誰も関心を示さない。ゆえに、決着がどのようにつくかは本人どうししかわからない。


無知よりは努力もし謙虚でもあるだろうに、なんとも気の毒な小知である。事は知識だけに限らない。少考は無思考より危ういし、わかった気になることはまったくわかっていないことよりも危うい。小知は新しい知を遠ざけ、少考は熟考につながらず、わかった気になることは成長の妨げになる。

「大知へと開かれた、発展途上のささやかな知」を小知と呼んでいるのではない。たとえ今のところ低いレベルにあっても、学習している知はそれなりの強さを発揮できるものだ。ここで問題視している小知は、成熟の様相を呈しながら停滞してしまっている小知のことである。これでは大知や博識に見破られるし、無知からは知ったかぶりを暴かれる。

ぼくの読書三昧構想に応じて、年末に「しっかりと本を読みます」とぼくに決意表明をして正月を迎えた小知の男性がいる。年明けに会って聞いてみた、「どう、本はよく読めた?」と。小知は答えた、「思ったほど読めなかったですが……」。じっくり聞いてみれば、「思ったほど」ではなく、まったく読んでいないことが判明した。決意表明した手前、見栄を張ったのだ。小知特有のさもしい心理である。

小知が無知にも大知にもかなわないのは、無知のように「知らないことを公言できる素直さ」もなく、大知のように「どこまで学んでも人間は無知かもしれないという悟り」もないからである。小知は無知からも大知からも同じ質問をされる――「では、そこんとこ詳しく聞かせてもらえますか?」 この問いに小知はことばを詰まらせる。

よく見る よく聞く よく言う

パリのパッサージュで買った置き物がある。相手特定しないままお土産にと持ち帰ったが、そのままになっている。置き物ではあるが、三段のケース箱に無造作に入っていて見える所にはない。「見ざる聞かざる言わざる」の、いわゆる三匹のサルを別のキャラクターで表現したセットである。

一昨日は「棚に上げる」話をしたが、この三匹は自分に都合の悪いものを棚には上げない。その代わりに意識的に見ない、聞かない、言わないことにする。それに、自分のまずいことだけではなく、他人の欠点なども見ないよう聞かないよう言わないように配慮する。総じて言えば、さしさわりのない無難な生き方を象徴しているのだが、このことが同時になかなかマネのできない叡智でもある。

三匹の猿は、こちらの虫の居所が悪かったりすると、所作が憎たらしく見えることがあるもの。しかし、ぼくが買ったキャラクターは愛らしくてお茶目だ(ぼくが「愛らしい」という形容詞を使うことはめったにない)。

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それがこれ。キャラクターは天使である。髪型や体型はもちろん、脚の組み方や羽根もそれぞれに特徴があって愛嬌がある。

名づけて「見エンジェル、聞こエンジェル、言エンジェル」。三猿の場合は「言わ猿」も両手だが、こちらの天使は片手で口を押さえている。この写真のように配置するほうがバランスはいいだろう。

年末の週刊イタリア紀行でレオナルド・ダ・ヴィンチを書いてから10日間のうちにダ・ヴィンチがらみの本を数冊まとめて読んだ。昨今の時勢に「ドウナルノ・ダ・ピンチ」などとダジャレを言ってみたり、師匠ヴェロッキオと共作した『キリストの洗礼』の左端に描かれている天使の筆さばきに驚嘆したり(実物は8年前にウッフィツィ美術館で鑑賞した)。そんなこんなで買いっぱなしにしていた天使を思い出した(特別な思い入れがあるわけではないが、記念に買った天使のフィギュアは他にもいくつかある)。

さて、この写真のエンジェルたち、どう見たって、ユーモラスかつ意識的に見ない聞かない言わないように振舞っている。実は、これは「よく見えよく聞こえよく言える才能」による自己抑制なのだ。物事が見えず人の話が聞けず言いたいことがうまく言えない……ただでさえリテラシー能力に疑問符がつく者にとっては「見ざる聞かざる言わざる」は至難の業。

不運や厄を見たり聞いたりせず、また口にも出さない。そんなことをしていると、忍び寄る魔の手に気づかなくなる。「ピンチはチャンス!」と無理やり笑顔して叫んでも、方策がなければピンチはチャンスへと転じない。「ピンチはピンチ」と考えるほうが尻に火がつき行動も速くなる。お茶目な天使に反面教師をだぶらせて、「(嫌なことを)よく見てよく聞いてよく言ってみよう」と決意する。

自分を棚に上げる風潮

「棚に上げる」には二つの意味がある。「無視したり放っておいたりおろそかにする」のが一つ目。このニュアンスが転じて「不利なことや不都合なことに触れない」という二つ目の意味になる。好ましくないことを論じながら、その好ましくない対象に自分を含めない―これが「自分を棚に上げる」ことだ。

息子がのべつまくなし酒を飲む。それを見かねて「おい、酒の飲みすぎはいかんぞ!」と父親が注意を促す。「アル中のオヤジに言われたくねぇよ」と息子が反発する。さて、アル中の父親は自分のことを棚に上げて息子に注意をしてはいけないのか。あるいは、言行不一致なこの父親に息子はこんなふうに反論していいものか。

机上議論的に言えば、オヤジは自分のことを棚に上げて息子に説教してもよいのである。言論に理があるならば、その言論を唱えているオヤジがどんなに行動的にダメオヤジであっても言行不一致な生き方をしていても、言論は有効である。このオヤジが街頭で「通行人の皆さん、酒は控えめに! 過度の飲酒はアルコール中毒を引き起こしますぞ!」と一般論をぶち上げても矛盾にはならない。むしろ議論に個人の人格や性向や習慣を持ち込み「合せ技で一本」を取るような論駁のほうが反則である。

ところが、実社会の論争では、説教めいた主張に対しては「あんたにだけは言われたくない」「お前が先に直せ」と反論するのは当たり前。遅刻を戒める社長だが、その社長自身には遅刻厳禁ルールが適用されていない。まさに「己を棚に上げている」状況である。面と向かって社長批判は出ないだろうが、陰ではダメ社長をこきおろす。


一般論を語るとき、謙虚に自分をその中に含めることができる人は稀である。「われわれ日本人は」と言いながら、自分だけは別の扱いをしている。プラスの価値を論うときは自分も含めることもあるが、マイナスの価値の話になると自分を含まない。たとえば「日本人は危機管理が甘いよ……(オレを除いて)」という具合だ。この都合のよい己の扱いも相当に甘い。

「お正月、芸能人はこぞってハワイです。猫も杓子もです」と現地から中継している芸能レポーターも甘い。彼または彼女は自分も一種の芸能人であることを忘れてしまっている。「芸能人、猫も杓子も」から自身だけを要領よく除外している。このように、自分を棚に上げての話が昨今よく目立つ。自分だけ例外の評論だ。「どいつもこいつもアタマが悪い」と下品に嘆く知り合いは自分を棚に上げているが、ぼくは「おなたがその筆頭ですよ」と内心つぶやいている。

「自分は皆とは違う」という前提で誇り高く論じるためには、言動に支えられた確固たる自信の裏打ちが必要だ。いつもいつもこんな高邁な精神で生きることなど到底無理であるから、ぼくは時々自分を棚に上げてしまう。しかし、自分を棚に上げるという面倒なことをせずに、自分もその他大勢と同じだと認めてしまえばいいのだ。それでもなおかつ自他両方への批判は可能である。自分を棚に上げない潔さが議論の邪魔になるはずがない。 

イタリア紀行25 「天才の本領ここにあり」

ミラノⅣ

現地の3時間ツアー(50ユーロ)に参加すれば、『最後の晩餐』を見学できることを知ったのは後日のこと。事前予約していれば8ユーロだから、恐ろしいほど割高になる。名画を見そびれたのは残念だが、想定内でもあり、やむなし。とは言え、来た道をそのまま引き返すのも芸がない。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会から南に数百メートルの『レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館』に行ってみることにした。これは想定外の行動である。

多才なレオナルドの創案になる機械仕掛けの模型やゆかりの品々が数多く展示されている。モナ・リザや最後の晩餐に見るレオナルドもいいが、マルチタレントにこそレオナルドの本領が発揮されている――そんな印象を強くした。展示品と同程度にわくわくしたのは、博物館の構造。広々とした回廊や地下通路もあり、階上へ階下へ行き来し中庭にも出てみる。見学順もよくわからずまるで迷路のよう。ガイドブックによれば、11世紀の僧院の建物を極力生かす趣向を凝らしているそうだ。

中高生にとってこの博物館は格好の学習教材ゆえ、課外授業の団体が目立つ。さっきまで中庭でタバコをふかしていた男子が、展示を説明する先生に耳を傾けてノートを取っているのは不思議な光景だ。日本ならタバコを吸う高校一年生が社会見学中にノートを取るなどありえないだろう。ちなみに、イタリアでは16歳になれば喫煙はオーケーである。しかし、健康増進法によりレストランや公共の場での禁煙は浸透し、大人の間では一箱800円以上もするタバコ離れが進んでいる。

展示を見ているぼくのところに数人の男子学生が近づいてきて、「日本人?」と尋ねる。うなずくと、一人の少年が別の少年をくるりと半回転させてTシャツの背中を見せた。「これは日本語? どういう意味?」と聞く。そこには筆文字で「少年」と書いてある。イタリア語で少年は、“bimbo” “bambino” “ragazzo”と三種類くらいの言い方がある。目の前にいる156歳の少年にはragazzo(ラガッツォ)がふさわしいが、わざと幼児っぽいほうを告げてやった。「それはね、bambino(バンビーノ)だよ」。仲間は爆笑し、みんなでTシャツの男子を「バンビーノ、バンビーノ」とからかった。

そのあと迂回して、地下鉄なら一駅ちょっとの距離を歩いてスフォルツァ城へ向かった。スフォルツァ家の居城でありミラノ公国を象徴する要塞である。レオナルドもこの城の建築に関わったという。

ミラノに4泊したものの、丸二日間はベルガモとルガーノへ出掛けたので、見逃した名所・名画は数知れず。初日にとんでもないイタメシを食わされたが、二日目、四日目と夕食で訪れたSabatini(サバティーニ)には大いに満足した。二度とも給仕してくれたのは初老のアンジェロ。二度目に行くと名前も覚えてくれていた。レオナルドの最後の晩餐は拝めなかったが、ミラノ最終日の晩餐は極上の時間となった。 《ミラノ完》

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元僧院というだけあって落ち着いた佇まいの博物館。
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ひっそりとした地下展示通路は人気もまばら。ここならシャッターは切りやすそう。というわけで馬車の実物大模型を撮影。
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近代だが、自転車のセピア感は十分。前輪にもスタンドがついているのがおもしろい。レオナルドゆかりなのか単なる近代技術の紹介かはわからない。
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スフォルツァ城の前門。四方のすべてがしっかりと堅牢な城壁で囲まれている。1466年に完成。 
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スフォルツァ城の北西には広大なセンピオーネ公園が広がる。
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城内から見る壁。人と比較すればその高さがわかる。
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ミラノでの「最後の晩餐」に選んだ前菜。二十種類を越える料理からワンプレート分、好きなだけ盛り付ける。

はつはるの雑感

一年前の元日の朝、冷感を求めて散歩に出た。徒歩圏内の大阪天満宮にも行ってみた。まるで福袋を求めて開店前のデパートに並ぶ客気分。参拝にも時間がかかったが境内から脱出するのにも苦労した。

今年はごく近くにある、中堅クラスだが、由緒ある神社に行ってみた。ちょうどいい具合の参拝客数。都心にもかかわらず喧騒とは無縁の正月気分。運勢や占いにあまり興味はないが、金百円也でおみくじを引く。三十六番。これは、ぼくと同年代とおぼしき男性が直前に引いたのと同じ番号であった。


初夢は超難解だった。画像がなく文字ばかり。大晦日に読んだ超難解な哲学書の影響なのだろう。「知っていることを歓迎し、知らないことを回避するのが人間」というお告げ(?)である。目が覚めてから少考。「わかっていることを学び、わかっていないことを学べないのが人間のさが。たとえば読書。ともすれば、自分の知識の範囲内に落ちてくれる内容を確認して満足している。異種の知を身につけるのは大変だ」という具合に展開してみた。


徒歩15分圏内の職住接近生活をしているので、オフィスまで年賀状を取りに行く。自分が差し出している年賀状の文字が二千字に近く、受取人に大きな負担をかける。逆の立場ならという意識を強くして、いただく年賀状は文章量の多寡にかかわらず一言一句しっかりと目を通すようにしている。

年賀状を二枚出してきた人がいる。宛名がラベルであれ印字であれ、何か一語でも一文でも直筆を加えれば誰に書いたのかはうっすらと記憶に残るものである。二枚差し出すというのはパソコンデータに重複記録されていて、そのことに気づいていないという証拠だ。そんな人が今年は二人いた。

数年前にも二枚の年賀状をくれた人がいた。その人には出していなかったので早速一文を書いて年賀状を送った。しばらくしてその人から三枚目の年賀状が届いた。「早々の賀状ありがとうございました」と書かれてあった。


景気に対して自力で抗することができない。そのことを嘆くのはやめて、しっかりと力を蓄える。一人で辛ければ仲間と精励する。今月から有志で会読会を開く。最近読んだ一冊の本を仲間相手に15分間解説する。テーマの要約でもいいし、さわりの拾い読みでもいい。口頭で書評し、そして他人の書評を聞く。すぐれた書評は読書に匹敵する。新しくて異種なる知の成果にひそかに期待している。

おおつごもり雑感

年内四日、年明け四日の八日間、仕事は休業である。仕事はしないが、自宅の本棚を片付けると、ついつい本を読んでしまい、整理がはかどらない。気がついたら仕事のネタを探している。さて、今日からは超難解な哲学の本を毎日数時間読むことに決めていた。ゆるんでアバウトになりそうな脳に気合を入れるため。哲学なんて正月早々無粋な話だが、テレビを観ておせちを食らって初詣もいまいち芸がない。


欄干橋虎屋藤右衛門、唯今は剃髪いたして円斎竹しげと名のりまする、元朝がんちょうより大晦日おおつごもりまで各々様のお手に入れまするは此の透頂香とうちんこうと申す薬……。

外郎売ういろううり』の冒頭である。透頂香とは気つけ、二日酔い覚まし、食い合わせ、喉に効くオールマイティな妙薬。これが昼夜を問わず毎日売れて売れてしかたがない。だから元朝(元旦の朝)から365日間商売繁盛というわけである。妙薬は無理だが、妙案をひねり出すべく見習わねばならない。


本棚に見つけたのは岩波の『いろはカルタ辞典』。「いろはカルタ」なのに五十音順で検索する。それもそのはず、「いろは順」で引ける世代が圧倒的に少なくなっているのである。カルタに採用される諺・慣用句などの語句は大きく上方系と江戸系に分かれるらしい。しかし、驚いたのは「い」だけであるわあるわの18種。てっきり「犬も歩けば棒に当たる」か「石の上にも三年」くらいしかないと思っていた。

急がば回れ。一を聞いて十を知る。一寸先は闇。井の中の蛙大海を知らず。居食いぐいをすれば山でもむなし。砂子いさごも遂にいわおとなる。石臼箸で刺す。石原で薬罐やかん引く。医者の不養生。一心岩をも通す。芋の煮えたもご存知ない。いやいや三杯。祝いは千年万年。鰯の頭も信心から。言わぬは言うに勝る。

最初の四つは「なるほどあるかもしれない」と納得もするが、その他はなかなか教養を要するではないか。いろはカルタ侮るべからず。「ろ」以下にざっと目を通して、レベルの高さに驚いた。決して子どもオンリーの遊びでなかったと見当がつく。


この辞典の最後は「わ」である。

我が田へ水を引く。我が身をつめって人の痛さを知れ。わからず屋に付ける薬はないか。禍は口から。

ややネガティブで教訓的なものが続いたあと、やっと定番が登場――「笑う門には福来たる」。嫌というほど見慣れ聞き慣れした常套句だが、しかめっ面する奴よりも笑っている人間のほうが福に恵まれる可能性は大きい。やっぱり難しい哲学など読み耽らずに、お笑い番組で正月気分に浸るのが正解か。  

イタリア紀行24 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

ミラノⅢ

数年前の横綱格ほどではないにしても、ここ十年ほどイタリア観光は人気番付の上位をキープしている。少し下火にはなったが、タレントを起用したイタリア都市を探訪するテレビ番組も相変わらずだ。ちなみに、日本のみならず世界で一番人気の国はフランス、都市はパリである。

そのパリでもいいし、ウィーン、フランクフルト、アムステルダムを経由すれば、主要なイタリアの都市へ行ける。しかし、関西発で直行できるイタリアの都市はミラノのみだ。したがって、ほとんどのパッケージツアーはミラノ→ヴェネツィア→フィレンツェ→ローマという順になり、帰路もミラノ発となる。ところで、ミラノを東京に類比する人がいるが、ぼくにはそうは見えない。やや派手めのファッション、下町のカフェにたむろするヤンキー風のお兄さん、建物や壁の落書き、服飾・繊維産業などから大阪市を連想してしまう。実際、ミラノと大阪市は姉妹都市の関係にある。

ルネサンスの主役であり歴史上の大天才であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)。私生児説もあるが、幼少の頃に実父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチに引き取られた事実があるので、正しくは「婚外児」と言うべきだ。わが国ではレオナルド・ダ・ヴィンチのことを「ダ・ヴィンチ」と言うが、イタリアでは苗字での呼称は稀で、ふつうは「レオナルド」と呼ぶ。「ダ・ヴィンチ」はもともと「ヴィンチ村の」を意味し、やがて前置詞と固有名詞が一体化して「ダ・ヴィンチ」という家名になったようである。

レオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの街をフィレンツェと決めつけてはいけない。ここミラノも同程度に縁が深い。フィレンツェで思うような活躍ができなかったレオナルドは30歳の頃ミラノへと旅立った。当時のミラノはスフォルツァ公が君臨して活力があった。この地のサンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会でレオナルドは1497年の45歳の時に『最後の晩餐』を完成させる。ジェノヴァ出身のイタリア人コロンブスがアメリカ大陸を発見したのがその5年前である。

前々回にも書いたが、この年の仏伊紀行では当初ミラノに滞在する予定はなく、『最後の晩餐』鑑賞の予約はしていなかった。団体ツアーなら予約の手配などしなくてもいいが、個人の場合は何から何まで自分で手続きをしなければならない。予約をしていないからたぶんダメだろうと心得ながらも、観光のシーズンオフだし、万に一つの幸運を授かるかもと淡い期待をかけていた。ドゥオーモ前のカフェでエスプレッソを飲み、店のスタッフに聞いてみた。「レオナルドの最後の晩餐を見たい。ここから教会へは歩けるか?」 ご機嫌な顔をして彼は「ああ、レオナルドの絵。歩いても半時間もかからない」と言い、指を示しながら道筋を教えてくれた。

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ドゥオーモ前のカフェで道をたずねたが、教わったほど簡単ではなかった。路面電車に沿い西へと歩く。
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広場をいくつか横目にし、建物を見ながらぶらぶら。
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さほど迷わずに、やがてマジェンタ大通りに入る。
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赤茶色のクーポラ。これがサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会だった。
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この建物が『最後の晩餐』への入口であり受付。「三ヵ月後なら予約できるわ」と呆れ顔で告げられた。 
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心残りながらも、教会の建物と壁色を存分に眺めてから帰る。

大阪人の悪しき自画自賛

挑発的に書きたいと常々思っていたテーマである。大阪人の所作や弁舌に独特のおかしみがあることをひとまず認めておこう。テレビ番組『秘密のケンミンSHOW』でも毎回取り上げられるので、大阪人の生態は全国的にもよく知られつつある。聞くところによると、いよいよ大晦日(関東では元旦)には、みのもんた直々の大阪体感ツアーが放映されるらしい。

仕事柄日本各地に出掛けるが、テレビで見た大阪・大阪人の真偽を確かめられる。「大阪の人って、ほんとうにあんなふうなんですか?」と。「誇張はされているけれども、実体から遠からず」と答える。しかしだ、テレビ画面の向こう側にいる大阪人を「お茶目な対象」として遠巻きに大笑いはできても、実際に彼らと至近距離内で接した瞬間、あなたの顔から笑顔が消えるに違いない。


大阪部族
その昔、大阪はアキンド、ヤクザ、ヨシモトという三大土着部族で構成される多人種都市であると、まことしやかに語られていた。そんなバカなことはないが、他の少数部族に目立つ余地がなかったことは事実である。ちなみにぼくの両親は大阪生まれだが、祖父・祖母の代になると、広島、京都、京都、奈良である(ぼく自身はマイノリティと自覚している)。なお、メジャーな三大部族にしても純血種はほとんど存在していない。知り合いにはいずれか二部族のハーフか、三部族すべての混血が多い。さる東京の知識人は「大阪土着民は日本人ではなくアジア人」という説を唱えている。

愛郷精神
大阪部族は4月から10月にかけて虎に熱狂するが、この季節的愛郷精神など可愛いものである。何をおいても問題なのは、オバチャンやコナモンなのではなく、オバチャンをはじめB級名所・B級グルメを年がら年中必死に熱弁する「ステレオタイプな人々」なのである。彼らには大阪の正しい実像が見えておらず、「オモロイ」というコンセプトを唯一の頼りにして土着風土と衣食住を偏愛する。昨今、大阪府も大阪市も観光行政に力を入れつつある。このことは評価できるが、クールに大阪の長所・短所を見てもらわないと困る。グローバル視点からするとあまりにも滑稽なことを、あまりにも本気で考え、おぞましくも本気でやろうとしているのだ。

観光資源
お願いである。どなたか権威筋の方は正直に語ってほしい、「大阪には胸を張れるような観光資源はない」と。この謙虚で控え目なスタンスから独自の観光哲学が生まれる。江戸時代末期の風情ある浪速百景を根こそぎ壊しておいて、今さらセーヌ河やヴェネツィアを真似ようとするのは虫がよすぎる。「光を観る」のが観光ならば、どこにその光とやらがあるのか。キラキラコテコテのミナミ界隈のネオンか、はたまたメタリックな大阪城か(世界遺産の姫路城と比較すれば、たしかにオモロイかもしれない)。「大阪のオバチャンを観光資源にしよう」と提案する、とんでもない錯覚に陥っている知識人もいる。「見ず知らずだが、
咳き込んだ人にアメちゃんを配り、デパートや高級店で商品を値切り、豹柄を着て日傘を立てた自転車に乗るオバチャン」。そんなものが観光資源になるわけがない。海外からの観光客数一位と二位のフランスとスペインにそんなオバチャンがいたら、誰も寄りつかないだろう。

食い倒れ
B級グルメの食べすぎで倒れた?」と言われかねないから、くいだおれ太郎の引退を絶好の機会として、「食い倒れ」ということばを死語にしてしまおう。大阪発のグルメ番組をご覧になればいい。「焼肉→串カツ→たこ焼き・お好み焼き」をローテーションで放送している。「大阪の味は世界でも通用する」などとよくも平然と語れるものである。観光に来たから食べるのであって、どこの国の人もわざわざ自国でたこ焼きに食指を伸ばさない。断言するが、蛸料理は未来永劫世界のスタンダードにはならない。コナモン大阪と言うけれど、欧米はみんな粉ものではないか。パン、パスタ、ピザ、クッキー、パイ、ケーキ……。まったく差別化などできていない。敢えて言えば、大阪食文化はコナモンなのではなく、ソース味が特徴なのだろう。何を食べてもソース味。濃い味付けは食の文化度に「?」がつく。


大阪および大阪人に悪態をつくと、「そんなに気に入らんのやったら、出て行ったらええがな!」と誰かが言ってくる。そう、幼稚なワンパターン反駁である。

大阪を魅力ある街として再生したいのなら、観光客と住民双方の視点で見るべきなのだ。大阪という受け皿から見ているかぎり、いつまでたっても悪しき自画自賛を繰り返すばかり。オバチャン、大阪城、コナモンに罪はない。それらを偏愛し誇張することが、大阪の像を歪めていることに気づこう。ステレオタイプな大阪を浮き彫りにすればするほど、魅力ある街へのチャンスが遠ざかることを忘れてはならない。