遅ればせながら、秋来たる

エアコン疲れした3ヵ月半がやっと終わり、まだ昼間は気温が上がるものの、朝夕は過ごしやすくなった。灼熱の外気を遮断していた窓を開けて涼しい風を取り込む。肩に布団を掛けて眠れる季節である。

半世紀前に出版された『ことばの歳時記』(金田一春彦)では、10月はもちろんのこと、9月早々から題材は秋色に染まっている。たとえば9月は「秋風」と「秋の扇」と「秋雨」。10月に入ると「秋寒し」と「秋の空」。夏が長引く今時の歳時との差が大きい。

男心か女心か知らないが、秋の空とは「定まらないこと」の比喩である。しかし、上記の著者は「秋は一番晴天の続く季節で、朝、ハイキングに出掛けて、一日お天気にめぐまれて帰ってくることが多いではないか」と異議を唱え、秋の空が変わりやすいと思うのは、古来、わが国が京都を天気の標準としてきた感覚のせいだと言う。


天気のことはさておき、近くの川の対岸を遠目に見ると、まだ申し訳程度の秋の気配しか感じない。ところが、橋を渡って遊歩道を実際に歩いてみると、足元はすでに秋色に染まっている。秋の始まりはクローズアップするほうが実感しやすいように思う。

他方、秋の深まりを感知するのは景色を遠望する時かもしれない。都会では遠望の対象は、紅葉していく山ではなく、空である。気まぐれに変わる天気ではなく、様々な表情を見せる空であり雲の模様である。

日曜日に見上げた空はまるで和紙のちぎり絵のような作品で、大都会と空の合作コラージュだった。今日から11月、意識して空を見上げることにしよう。ところで、先の歳時記では119日のテーマは早々と「秋の暮れ」である。秋という季節は年々短くなっていく。

何々屋と言う時、言わない時

仕事の合間にメモした今週のエピソード。

💭 衆議院選挙

「選挙期日」(投票日)に投票に行けないし、「期日前投票」にも行けない。できれば「期日後投票」がありがたい。

💭 似ている音

「千代に~八千代に」と「蝶に~野鳥に」。

💭 仕事

好きなことを職業にするのは難しい。嫌々就いた仕事を好きになるのも難しい。ほとんどの人は好きな仕事をせずに一生を過ごす。

💭 予約の取れない店

2ヵ月先まで予約が取れない店」→休業している。
「そんなに混んでいないのに予約が取れない店」→オーナーの気まぐれで休む。
「予約が取れない店」→予約を受け付けていない。


💭 天ぷらの店の前で

ふと、天ぷらの店のことを「天ぷら屋」と言わない自分に気づく。「天ぷら〇〇」と固有名詞で呼ぶのがほとんどだ。写真のような店なら「天ぷら割烹」と言うかもしれない。寿司店も寿司屋とは言わない。八百屋、散髪屋、そば屋、パン屋、駄菓子屋とは言う。中華料理屋とは言わずに、単に「中華」と言ったりする。
昔は印刷屋と呼んでいた。チームを組んだり取引したりするようになってからは印刷会社である。
なお、お寿司屋さんとは言うが、お天ぷら屋さんとは言わない。
辞書には、屋で呼ぶのは「それだけを専門に扱う職業(の人)」と書いてあり、肉屋、花屋、八百屋、植木屋、事務屋、技術屋などの例が挙がっている。それだけを専門に扱うのなら「何でも屋」は例外か。

💭 ジョーク

フロント係「明朝のモーニングコールはいかがいたしましょうか?」
客「いつも5時半に目覚めるからいらないよ」
フロント係「お客さま、では私にモーニングコールしていただけますか?」

💭 今朝

モーニングコールもなしに、無事に今朝も心地よく睡眠から帰還した。

スペルミスとスペルチェック

1970年代の終わりから海外広報の仕事に従事し、30数年間、英文を書いていた。日本企業の海外向け会社概要、アニュアルレポート、定期刊行物の執筆と編集が主たる業務。英語のネイティブライターとチームを組んでいた。

しかるべき取材と調査の後に最初から英語で記事を書く場合と、いったん日本語で原稿を書いてから翻訳する場合があった。書いてから仕上げるまで文章を推敲・校正し、個々の単語のスペルを何人もが何回もチェックする。書いたり翻訳したりする以上に大変な作業だった。PCの英文ワープロを使い始めたのが80年代半ば。それまでは電子タイプライター。PCを使うようになっても、しばらくはスペルチェック機能はなかった。

複数の人間が何度もチェックしているのに、入稿後にミスが見つかる。そのまま印刷されたことも数回あり、そのうち一度か二度は刷り直しを余儀なくされた。知っている単語を当たり前のように知っていると考えず、すべての文字を念入りに見つめる……疑わしきは念のために辞書を引く……見間違いやすそうな書体は避ける……などの工夫を重ねて、ミスは段々と少なくなり、やがてミスをしなくなった。


英語ができる人ほど辞書をよく引く。対して、英語に自信がない人ほど辞書を引かない。そのくせ、セレクトやランチやワインなどは辞書がなくても間違わないと甘く見ている。

自販機のサイド面に貼られたポップにスペルミスを見つけたことがある。一目「秘密」の意の″SECRETシークレットに見えたが、「秘密の飲み物」はおかしい。まもなくSELECTセレクトのつもりだとわかった。「セレクトショップ」などと言う時のあのセレクトだが、L”R”としてしまった。「よりすぐりの飲み物」のつもりであることはわかるが、不注意なスペルミスだ。

日本人は「アール」と「エル」の発音が苦手で、文字を書く時にもそれが影響することが多い。ボードに「本日のRanch」と書かれている店があった。なぜオーナーも店員も気づかないのか。”Lunch”という綴りはそんなにハードルが高いのか。ライス(Rice)のスペルを″Lice”(シラミ)とした例は、幸いなるかな、まだ目撃したことはない。

ワインの綴りが″Wine”ではなく、″Wain″となっていたのも見たことがある。スペルを間違うのは元々知らないというケースもあるが、英語の前にローマ字を学んだ弊害が出ているのではないかと睨んでいる。

数年前、カレンダーの表紙に″Calender”と綴られたミスを見つけた(正しくは″Calendar″)。これなどは気づきにくい。もしかしてこのスペルもあるのかと思わず辞書を引いたくらいだ。そして、数日前の大きなのぼりに印刷された″spice carry”である。のぼりがこれ見よがしに堂々とそよいでいたので、正しいはずの″curry”のほうが怪しく見えたほどだ。

元原稿と照合しながら複数回、複数人でチェックする、そして分かっているつもりでも辞書を引く――スペルミス防止策はこれしかない。それでもなお、スペルチェックで疲れてくるとスペルミスを見逃しやすくなる。また、ミスに気づいて校正したはずなのに正しいスペルが反映されていなかったという、原因不明の予期せぬトラブルも生じることがある。

抜き書き録〈テーマ:おもしろい〉

本棚に入れたままだったのが2冊、最近古本市で買ったのが1冊。仕事もあるので隅々まで丁寧に読む時間はない。ジャンルは違うし大笑いするわけではないが、いずれも「おもしろい」。3冊共通のテーマにふさわしい。


📖『ぜんまい屋の葉書』(金田理恵)

おみくじは人がつくります。
それを人が引きます。
その時神さまどっこいしょと乗り出します。
「あんたはこれ引きなさい。中吉かい、またおいで。」

著者が年賀状や暑中見舞いを出しているかどうか知らない。しかし、上記のような小話や季節の挨拶や視点を毎月葉書にして、活版印刷で一枚ずつ印刷して知人に送っている(それらを本にした)。活版印刷の味を生かしたイラストや柄模様も添える。文章がおもしろい。わがブログもそろそろ「おもしろい」に特化する時かもしれない。


📖『ことばの国』(清水義範)

『永遠のジャック&ベティ』で知られる著者の本は何冊か持っている。一冊も完読していないが、気ままにページを繰れるエッセイや小説なのでちょっと空いた時間に読むにはありがたい。
ことわざパロディに20ページほど割いている。創作ことわざに手を染めたことがあるので、ぼくのツボである。本書の「二兎を追う者は目がいい」はまずまずだが、鬼奴の「二兎追う者はウサギ好き」には及ばない。「餅は餅屋」のパロディがバカらしくておもしろい。

餅は餅や
そんなこともわからんのか。餅をバームクーヘンだとでも思ってるのか。アホ。
〔使用例〕
「だから、餅は餅や。まだわからんのか」


📖『街に煙突があったころ』(清水 潔)

1988年発行の本なので、それ以前の風俗史である。つまり、今から見れば40年、50年、時にはもっと昔の昭和まで遡る。四十いくつかの「もの」「ファッション」「慣習」の中から、タイトルになった煙突を差し置いて栄養ドリンクを抜き書きする。

「リポビタンD」(大正製薬)。昭和三十七年四月に登場し、それまでのアンプル剤の病的なイメージを破る(……)ビン詰は、十分世間の注目を引いた。
小さな巨人、オロナミン(大塚製薬)が発売されたのが昭和四十年。リポDは認可を受けた「医薬品」だが、オロナミンは(……)医薬品から外された。

一見残念な扱いを受けたように見えるが、これが幸いした。清涼飲料だからオロナミンは薬局以外でも取り扱え、販路はリポビタンの5倍になったのである。

リポビタンD、オロナミン、アリナミン、グロモント、ユンケル、タフマン、リアルゴールドなど、錚々たる顔ぶれのドリンク剤。ネーミングが力強い。勢い余って昭和の終わりには大丸東京店にドリンク剤専用バーまでできた。ドリンク剤小史はおもしろい。

語句の断章(58) 日陰、日影

日陰と書いて「ひかげ」と読む。日の陰とは、物の陰になって光が照らない、日が射さない場所を意味する。

日影も「ひかげ」と読むが、日陰の同義語ではない。それどころか、日陰と日影は同音異義の関係にある。日陰と日影が同じ意味だと思っている人がかなりいると聞いたが、読みが同じだし似たイメージなのだから、意味も同じだと思うのもやむをえない。

公園のベンチに座ろうとして、「おっと、ここはひかげ・・・が当たるから、ひかげ・・・のあるあっちのベンチに座ろう」と思い直す。前者が日影で、後者が日陰だ。影は英語で“shadow”、日影になると“sunshine”とか“sunlight”になる。日影は「太陽、月、灯りなどの光」の意と古語辞典には書いてある。

日陰者ということばがある。差別用語ではないが、それっぽく響くので書いたり話したりしたことはない。身にやましいことや人をはばかる事情があって社会の表舞台に出ない人のことをいう。世に陰の実力者はいるが、日陰の実力者などは聞いたことがない。ちなみに、日影者ということばはない。

再び古語辞典に戻る。日影の見出し語には〔雅〕の印が付いている。雅語がごのことだ。現代の日常会話や普段書く文章で使われることは稀だが、短歌や俳句や文語文では今も使われるやまとことばである。日影もその一つ。今の時代、「ひかげ」と言えば「日陰」のことだと思われる。「日影」のつもりなら日光か日射しと言うほうがいい。

窓からそよ風、二字熟語遊び

著名ちょめい名著めいちょ

(例文)著名でない人が書いた名著もあるし、名著なのに著者不明の作品もある。著名な著者の作品が必ずしも名著であるとはかぎらない。

デカルトは歴史に名を残している。「デカンショ」のあのデカルトはカントとショーペンハウエルと肩を並べる著名な哲学者だ。ところが、デカルトを知っている人は多いが、『方法序説』を知っている人は少なく、読んだ人になるとさらに少なくなる。執筆されてから時を経て今も評価されている本だが、読みもせずに名著だと思っている人がほとんど。

一画いっかく画一かくいつ

(例文)漢字では一筆で書く線を一画という。線を引いて区切った土地も一画と呼ぶが、戸建ての宅地の面積や形は画一とはかぎらない。

画数が一画の漢字は何? と問われたことがある。「一」と答えたが、もう一つあると言われてすぐに思いつかなかった。しばらくして「乙」を見つけた。一画の漢字が2つと言われていなかったら、さらに続けて頭の中を弄ろうとしたに違いない。

晴天せいてん天晴あっぱれ

(例文)晴天とは雨天や曇天と対照的な晴れた空のこと。空以外のことにはつかいづらい。他方、天晴は見事な出来映えに対してならどんなことにでも使える。

天晴はほめ言葉である。誰かが実力以上の成果を発揮したら「あっぱれ!」とほめる。出来映えが同じなら、力のある人よりも力のない人のほうがほめられる。

故事 こじ事故じこ

(例文)故事は古い時代から伝わる話やいわれで、「故事来歴」という熟語でも使われる。事故は不注意が招く人災や支障を来すことを意味するが、その故事はわからない。

事故の起源や由来を調べたことがあるが、「ことゆゑ」という昔の訓読みが出てくるばかりで、なぜそう言うようになったかは不明である。事故が「ことゆゑ」なら、故事は「ゆゑごと」と言うのか。辞書には見当たらないが、AIは「ゆえごととは先行する事柄を理由として後続する事柄が生じることを指すことば」と語釈を付けてくれた。


〈二字熟語遊び〉は二字の漢字「〇△」を「△〇」としても別の漢字が成立する、熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

旧地名ノスタルジア

過去は記憶と記録の中にある。特に当てのない街歩きの途中に出くわす旧跡の碑や案内板などの記録から歴史や由来を思う。自分の記憶とつながりやすい碑とそうでない碑がある。そうでない碑は案内板を読んでもわからないので、散歩中に巡り合った縁だと思って少し調べるようにしている。

大阪市中央区はかつて商売の中心地だったので、いろいろな物品の取引所跡が少なくない。綿も信用取引の対象になった。江戸時代、大阪の摂津、河内、和泉は、大和・三河・遠州と肩を並べる、良質な綿花の産地で知られていた。こんな旧跡の案内板に出くわすと、しばし佇んで読み、写真に収めておく。


1987年に旧東区の内淡路町うちあわじまちで起業したが、2年後の1989年(平成元年)に当時の東区と南区が合区して中央区になった。同じ年に、通り三つ北の釣鐘町つりがねちょうに移転した。内淡路町も釣鐘町も旧東区時代の町名がそのままだ。さて、下記の町名である。

越中町えっちゅうまち東雲町しののめちょう仁右衛門町にえもんちょう両替町りょうがえちょう唐物町からものちょう紀伊国町きのくにちょう左官町さかんまち半入町はんにゅうちょう豊後町ぶんごまち弁天町べんてんちょう元伊勢町もといせちょう八尾町やおちょう広小路町ひろこうじちょう山之下町やまのしたちょう横堀よこぼり黒門町くろもんちょう

見た目も響きも江戸時代に名付けられた町名で、当時の風情が伝わってくる。惜しいことにこれらの町名は中央区になって消えた。弁天町は西区にあるが、中央区の弁天町とは関係がない。横堀は東横堀川に名をとどめるが、住所として存在しない。同じく、黒門市場はあるが黒門町はない。

今日のところは地名の由来や旧町名の案内板について詳しく書かない。個人的には東雲町の語感が好きだった。市電の停留所にもその名があり、「次はしののめちょう、しののめちょう」と告げる車掌の口調を覚えている。仁右衛門町はつい最近までしらなかった。池波正太郎の『雲霧仁左衛門』の時代が思い浮かぶ。材木町が生き残っているのだから、左官町も残せばよかったのに……。

合区して中央区になった頃、大阪市の郊外に住んでいたので、どんな過程を経て旧名を消し新しい名称にしたのか、あるいは別の町名に再編したのか、決まるまでに一悶着があったのかなどについては知らない。大阪市中央区民になってまもなく20年。街歩きで知る地名や町名はノスタルジアを感じるきっかけになる。

語句の断章(57)衣替え

今日は101日。わが家には56種類のカレンダーがある。その一つ、洗面所の壁に吊ってるカレンダーは、今日が「衣替え」だと告げている。10月で他に印刷されているのが14日の「スポーツの日」と31日の「ハロウィン」。衣替えは、スポーツの日とハロウィンと堂々と肩を並べているのだ。

大阪では今週も最高気温30℃超えの日々が続くとの予報。明らかに残暑である。しかし、歳時というものは、実際の季節の変化とは無関係に型通りに暦に節目を刻む。衣替えも、まるで国民の休日を祝うかのように101日の枠に印刷されている。

衣替えの「ころも」は古めかしく響き、怠らずに執り行うべき儀式を思わせる。なにしろ更衣という字も「ころもがえ」と読ませるのだから手が込んでいる。衣替えの日を年中行事の一つとして捉えて、わざわざカレンダーに印刷するのは親切心かもしれないが、余計なお節介でもある。

年中行事の四季と現実の季節感がズレてきた今、暑さや寒さの変わり目と歳時が一致しない。春間近と秋間近の衣替えのタイミングは、風習や勤務先や学校ではなく、自分で決めるしかない。今日、タンスやクローゼットの整理整頓をするのは、少なくともわが住まう所では早過ぎる。半袖のTシャツ姿で眺める衣替えの文字が現実とシンクロしていない。

現在の衣替えは、冬から春・夏へと夏から秋・冬への年2回が一般的だが、江戸時代までは違っていた。冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬への変わり目の年4回だった。少々面倒だが、さぞかしお洒落で風情もあったに違いない。何よりも,今よりも四季のメリハリが利いていたのだろう。

「よく知らない」という自覚

梅田のある北区のすぐ南の中央区の住民だが、梅田のことをあまりよく知らない。行かないわけではない。むしろ、学生時代から今に到るまでちょくちょく出掛けている。迷って困り果てることはないが、必ず少し迷う。だいたいわかっているようで、実はあまりよくわかっていない。

梅田の駅前再開発計画がずいぶん長く続いていて、今もなお現在進行形である。うめきたプロジェクトという。これもぼくの梅田感覚を狂わせる一因。近頃誕生したグラングリーン大阪に人が集まり賑わう。梅田が盛り上がっているのである。そして盛り上がりに比例して物価も上がっている。


インド・ネパール・スリランカ料理はよく食べる。キャリアはかなり長く、初心者に蘊蓄したり指南したりできると思う。しかし、何事もそうだが、経験値が上がるにつれて知らないことも増えるものだ。何事も、たとえ得意な領域であっても、新しい情報がどんどん押し寄せてくる。

ここでは詳しいことは書かないが、カレーにつけて食べるパンの類にナン、ロティ、チャパティなどがある。日本のインド・ネパールの店では、本場ではあまり食べないナンが出てくる。チーズナンやガーリックナンというのもある。数年前に入った店で初めて「サダナン」という文字を見た。ナンではなく、「サ、ダ、ナ、ン」。

後で調べようなどとは思わない。すぐさま店員に聞いた。サダナンはプレーンのナンのこと。つまり、何も混ぜたりせず何も足さないシンプルなナン。メニューに「サダナンの追加は1枚無料」と書いてあるが、所望する時はナンと言えば済む。いつも食べていたナンの苗字は「サダ」だったのである。


世界史に比べると、日本の歴史に詳しくない。いろんな本を何冊も読もうとしたが、途中で挫折した。平安時代の貴族の生き様や文化と相性が悪く、たいていそのあたりで本を閉じた。縄文時代から飛鳥・奈良時代までは何度も読んでいるので、まずまずわかっている。貴族の時代をパスした後は一気に幕末・維新に飛んだので、そのあたりも少し知識はある。

秋分の日に自宅から安居神社まで歩いた。目的地はもうちょっと先だったが、迂回したり寄り道したりして1時間弱。神社は真田幸村終焉の地である。そのことは知っている。ふと、なぜか明智光秀を思い出す。この時代はほぼパスしているので本では読んでおらず、ドラマや歴史ドキュメンタリーで齧る程度。真田と明智、どちらが年長か歳の差はどのくらいか、言い当てる自信がない。

境内に石垣が積んであり、道場か修行場の立て札があった。これはいったい何か、気になってしかたがない。ネットで調べても何も出てこなかったが、翌日も辛抱して追いかけたら、明治時代に奈良からやって来た「中井シゲノ」という霊能者と巫女集団の話を見つけた。

関連する本も2冊あるようだが、まずはネットで少し深掘りしてみよう。よく知らないどころか、まったく何も知らないが、梅田やサダナンよりもおもしろいエピソードがありそうな気がする。

夏の忍耐、昔の3倍

昔も暑かった。大阪の賑やかな下町に育ったが、子どもの頃の夏の暑さ、その肌感覚の記憶はいくばくか残っている。暑くても、住宅街の大部分がアスファルト舗装されていなかった時代だったから、土の地面に打ち水すれば空気がひんやりした。今のように、一日中ずっと暑かったわけではなかった。

自宅に電気を使わない冷蔵庫があって、近所の製氷店でブロックの氷を買って保存していた。魚や麦茶も入れていた。氷は高価で貴重だったから、いつも備えていたわけではないが、外で遊ぶ時はカチ割りにして口に含んでいた。

夏は防犯意識よりも避暑意識が強かった。玄関も裏木戸も四六時中開けっ放して風通しの工夫をしていた。涼をとる方法はいろいろあった。風鈴、蚊取り線香、団扇、花火、朝顔、素麺、かき氷、すいか……。これらの工夫がそのまま夏の風物詩になっていた。

昔も暑かったし湿度も高かった。しかし、そんな日々はおそらくわずか1ヵ月だったような気がする。盆を過ぎる頃から朝夕の気温も下がり始め、微風の吹く時間帯が少しずつ長くなった。空と雲が、虫や植物が、そして音と梢のそよぎが、こぞって夏の終わりの始まりを告げていた。

1ヵ月程度だった暑さ――酷暑または猛暑――が、今では3倍長く続く。春は早めに夏を先取りし、秋は持ち分を削って夏に割り当てる。エアコンという装置があるから、かろうじて長期の夏に耐えているが、引きこもっていては季節感も体調も狂ってしまう。

動物行動学者の日高敏隆著『春のかぞえ方』によれば、植物も虫も生き物はみなそれぞれの方法で春の到来を知るという。三寒四温を「積算」して、ある値に達すると、植物は花を咲かせ、虫たちは土から顔を出す。動植物はおそらく同じように夏も秋もかぞえるのだろう。

人も生き物であるから、そんなふうに温度を積算して春夏秋冬の季節を体感してきたはずだ。ところが、この10数年、猛暑は長引く。四季のメリハリがあったこの国で3ヵ月も高温を積算していたら、バグが生じて夏と秋を正しく数えることができなくなる。

何日続くかわからないが、少なくとも秋分の日の昨日は過ごしやすかった。しかし、「涼しい、秋めいてきた」と小躍りしている場合ではない。盆過ぎに涼風がそよぎ、秋分の日に秋風が吹くのはかつて当たり前だったのだ。夏は毎年次第に、かつ確実に秋を侵食している。そして、早晩、長引く夏の風物詩は「冷房」だけになるかもしれない。