注文の順序――食事か酒か

どう見ても居酒屋とは呼べない、ある程度の格のある割烹。あるいは少々値の張る寿司屋。こんな店で席に着くなり、「まず飲み物のご注文からおうかがいします」と促される。

庶民的居酒屋で多人数ということになれば、それもやむをえない。年配者が和を乱すこともないだろうと、一応妥協する。しかし、実のところ、「とりあえずビール」など論外だ。集まりの冒頭の乾杯で足並みを揃える必要などまったくない。これは単に幹事と店側の都合にすぎない。二十代に入って酒を飲み始めた頃から異様に思っていた。

酒を飲むことよりも食べることを優先しているからかもしれないが、「飲みに行かないか?」に未だになじめない。「食べに行かないか?」でなければならない。「飲みに行かないかには食も含まれているんだよ」と言い含められても、納得しづらい。野暮を承知で言う、ぼくは食べに行くのであり、食べたいものに合わせて飲み物を決める。ゆえに、最初にドリンクを注文しない。する時は、何を食べるかがわかっているときである。


先月、吉田類の『酒場放浪記』で「(焼きとりの)白レバーを頬張り、生ビールで胃に流し込む」というナレーションを耳にした。不快であった。「とりあえずビール」で始め、その後お店がお薦めする一品の白レバーを注文した場面である。

胃に流し込まれる白レバーにも流し込む生ビールにも失礼である。早食い大食いコンテストでもあるまいし。じっくりと味わい、食と酒の相性を味わうべきではないか。自称グルメには咀嚼時間の短い輩がとても多い。三口ほど噛んで酒を流し込むくせに、食通ぶってはいけない。

場末の居酒屋とは一線を画すると自負する飲食店なら、洋の東西を問わず、食べ物の注文が先である。メニューを眺めて「ああでもない、こうでもない」と考慮する時間から食事が始まっている。よく来る店で注文するものもだいたい決まっていても、時間をかける。しかるべき後に、好みの酒を選ぶか薦めてもらう。

もちろん例外もある。高級な焼酎を一本もらったりワインの店で薦められて買ったりする時は、「はじめに酒ありき」だ。また、料理と連動させなくてもよい食前酒や食後酒もありうる。しかしながら、何を食べるかに迷い、その料理に合いそうな酒を選ぶという時間を楽しみたい。おそらく、「飲み放題付き宴会コース」なるものが、選択の自由と時間を奪うようになったのだろう。

ゆめゆめ手を抜くことなかれ

昨日のタイトルが『もはや手に負えない』で、今日が「手を抜かない」。語呂合わせを企んだわけではない。たまたま二日続きで「手」がひょいと出ただけである。

人間を分類する基準にはいろいろある。血液型は4タイプに分けるし、干支は12タイプに分ける。男女に分けるなら2タイプ、老若男女だと4タイプ。正確を期すれば、後者は老若と男女をクロスして4タイプになる。つまり、男・老、女・老、男・若、女・若。「男」のみや「若い」のみでは、あまり分類効果は感じられない。「犯人は男」や「犯人は若い」では捜しにくいだろう。もっと項目が欲しいところだ。「犯人は若い男でメガネをかけ、黒いTシャツを着ていた」という、より細かな分類、すなわちより具体的な描写をするほうが逮捕の手掛かりになりやすい。

最近、モノローグ派とダイアローグ派に分けて人間観察している。モノローグ派とは相手を意識せずに独白するタイプで、社交ダンスのように歩調を合わせるように会話をしない人のことだ。モノローグ派二人が会話をしているのを傍らで聞いていると、片方が一方通行でひとしきり喋り、続いて相手が同じように喋る。交替に話してはいるのだが、さほど交叉することなく、フラットに流れていく。他方、対話を得意とするダイアローグ派は、たとえ話し手と聞き手の役割があるように見えても、問いや相槌も含めてよく交叉する。複雑にり組み、よく接合し、話に凹凸感が漲る。言をよく尽くすので、交わされる情報量も圧倒的にモノローグ派よりも多い。


ダイアローグ派は「この間、あの店へ行ったら、多忙にかこつけてサービスがおろそかになっていた。お勘定する時に詫びもしなかった。しばらくあの店に行くのはごめんだね」というふうに話す。これがモノローグ派になると、下線部を独白――内へ向かっての無言のつぶやき――で済まし、結論部分の「しばらくあの店に行くのはごめんだね」だけを発話する。唐突もはなはだしいが、本人は下線部も発話したつもりになっているのである。ダイアローグ派は棘のある言を発し、時には毒舌で相手を傷つけ、モノローグ派は独りよがりな話法に終始し、ことば足らずで誤解を招く。

いずれもパーフェクトではない。しかし、手を抜いたように見られるモノローグ派よりも手を抜かないダイアローグ派をぼくは優位に見立てたい。

そもそも、一般常識から考えても当たり前の意見である。事はことばの発しようだけに止まらない。手を抜いていいことなどめったにないのである。あることを貫徹するには、必要欠くべからざる最少工程をこなす。一工程を飛ばしてしまうと完結しないし、仮に手順前後してもよい場合でも、いずれ手を抜いた工程をどこかで穴埋めしなければならない。手を抜いたツケを仕事も人も見逃してくれはしないのだ。

まずまず気に入っている居酒屋がオフィス近くにある。ここ二ヵ月ほどの間に、昼も夜もそれぞれ三、四回利用している。ある日、ランチに行って、日替わり弁当を注文した。酢豚に魚フライ、野菜と味噌汁、それにご飯である。不満なく食べ終わった。夕方に来客があるので、席を予約して店を出た。(……)夕刻。予約の時間に店に行き、焼酎の水割りを頼む。最初に出てきた付き出しは、なんとお昼に食べたのと同じ魚フライだった。ランチの残り物か、同じものを付き出し用に今しがた用意したのか。明らかに前者であった。

その店に二度と行かないぞなどと頑固を決めこんではいない。なにしろオーナーとも親しくなったし、とてもいい人なのだ。料理にも趣向を凝らしているから一応の評価を下している。しかし、一品料理同様に一工夫すべきだろう。いや、ランチのおかずを夜の宴席の付き出しに回すような、拙い手抜きをしてはいけない。しばらく間を空けてから行き、誠実にぼくの意見を述べようと思う。ぼくの誠実とは、はっきりと非を指摘することにほかならない。