よく見る よく聞く よく言う

パリのパッサージュで買った置き物がある。相手特定しないままお土産にと持ち帰ったが、そのままになっている。置き物ではあるが、三段のケース箱に無造作に入っていて見える所にはない。「見ざる聞かざる言わざる」の、いわゆる三匹のサルを別のキャラクターで表現したセットである。

一昨日は「棚に上げる」話をしたが、この三匹は自分に都合の悪いものを棚には上げない。その代わりに意識的に見ない、聞かない、言わないことにする。それに、自分のまずいことだけではなく、他人の欠点なども見ないよう聞かないよう言わないように配慮する。総じて言えば、さしさわりのない無難な生き方を象徴しているのだが、このことが同時になかなかマネのできない叡智でもある。

三匹の猿は、こちらの虫の居所が悪かったりすると、所作が憎たらしく見えることがあるもの。しかし、ぼくが買ったキャラクターは愛らしくてお茶目だ(ぼくが「愛らしい」という形容詞を使うことはめったにない)。

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それがこれ。キャラクターは天使である。髪型や体型はもちろん、脚の組み方や羽根もそれぞれに特徴があって愛嬌がある。

名づけて「見エンジェル、聞こエンジェル、言エンジェル」。三猿の場合は「言わ猿」も両手だが、こちらの天使は片手で口を押さえている。この写真のように配置するほうがバランスはいいだろう。

年末の週刊イタリア紀行でレオナルド・ダ・ヴィンチを書いてから10日間のうちにダ・ヴィンチがらみの本を数冊まとめて読んだ。昨今の時勢に「ドウナルノ・ダ・ピンチ」などとダジャレを言ってみたり、師匠ヴェロッキオと共作した『キリストの洗礼』の左端に描かれている天使の筆さばきに驚嘆したり(実物は8年前にウッフィツィ美術館で鑑賞した)。そんなこんなで買いっぱなしにしていた天使を思い出した(特別な思い入れがあるわけではないが、記念に買った天使のフィギュアは他にもいくつかある)。

さて、この写真のエンジェルたち、どう見たって、ユーモラスかつ意識的に見ない聞かない言わないように振舞っている。実は、これは「よく見えよく聞こえよく言える才能」による自己抑制なのだ。物事が見えず人の話が聞けず言いたいことがうまく言えない……ただでさえリテラシー能力に疑問符がつく者にとっては「見ざる聞かざる言わざる」は至難の業。

不運や厄を見たり聞いたりせず、また口にも出さない。そんなことをしていると、忍び寄る魔の手に気づかなくなる。「ピンチはチャンス!」と無理やり笑顔して叫んでも、方策がなければピンチはチャンスへと転じない。「ピンチはピンチ」と考えるほうが尻に火がつき行動も速くなる。お茶目な天使に反面教師をだぶらせて、「(嫌なことを)よく見てよく聞いてよく言ってみよう」と決意する。