突然の訪問客が減った

見ず知らずのセールスマンが相変わらずアポ無しでオフィスにやってくる。「新入社員です」とか「この地域の担当になりました」などと言って侵入を図ろうとする。名刺をゲットできる可能性すらほとんどないというのに……。これに対して、めっきり減ったのが、知り合いのふいの訪問である。オフィスには年に一人か二人。自宅への突然訪問はまったくない。

たまたまいればいいが、オフィスにはいないことが多いので、知り合いは「お邪魔したい」と携帯やメールで日時を伝えてからやって来る。思い起こせば、昭和30年代後半はまだまだ固定電話が普及していなかった。事前に連絡するすべはなかったから、訪問客は突然やって来るしかなかったのである。電報という手段はあったが、電報よりも人の方が先に着いてしまう。


わが家に黒電話がついたのは昭和40年代前半。高校生の頃だ。それ以前は呼出だった。町内の一区画20世帯ほどのうち、電話のある家は2軒のみ。近い方の、3軒向こうのW宅が取り次いでくれていた。中学生の頃は「W方呼出」と電話番号を書いて担任に連絡先を提出していた。W宅に呼出を依頼していたのはわが家も含めて10軒はあったから、電話がかかるたびにおばさんがそれぞれの家まで告げに行かねばならなかった。負担は決して少なくなかったはずである。当時はほとんどが専業主婦だったから、取り次ぎのために呼出に行けばたいてい家にいた。

隔世の感がある一人一機のスマホ時代。「○○駅に着いたらメールで知らせて」と言えば済む。約束の場所も時間もかなりアバウトなやりとりだ。昔は、黒電話がついた頃になっても、いったん自宅を出たら相手への連絡手段は公衆電話のみ。相手が在宅していたらいいが、相手もすでに出ていたら連絡は不可能。と言うわけで、事前に綿密な打ち合わせをしておかねばならなかった。

「大阪駅中央改札口を入って6番線の階段下の売店前に午前1040分厳守、1045分の快速に乗るから。万が一遅れたら、三ノ宮駅前の喫茶□□に行っているのでそこに電話を入れること」という具合。喫茶店には公衆電話があって、そこに外から電話をかけることができたのである。ともあれ、電話の不自由な時代のほうが描写力も表現力も優れていたのは否めない。何よりも伝えることにマメだった。

危うい一般化

笑みを湛えて、おやつとおにぎりをもぐもぐ食べる。そして、かつてソフトボールにも併行して打ち込んでいた女子ゴルファーなら全英女子オープンで優勝できる……。早速自分の娘にもそうさせようという親が出てくる。きわめて滑稽な一般法則の一丁上がり。

英語で“hasty generalization”と言う。こなれた日本語になりにくく、〈早まった一般化〉と訳されるが、論理用語としてぎこちない。思慮不足の一般化、軽はずみな一般化、慌て者の一般化、性急な一般化と訳しても間違いではない。

小さな個別事例をほんの少し――極端な場合はわずか一つ――だけ挙げて、そこから大きな結論を導く誤謬のこと。導かれた結論が妥当なことも稀にあるが、ほとんどまぐれ当たり。「雲が出てきた。雨が降るだろう」という類推が仮に当たりだとしても、調子に乗ってはいけない。一例を以て一般化するのは危うい。


「みたらし団子が売られている」というたった一例から「和菓子店である」と導くのも慌てすぎ。今ではコンビニや百円ショップでもみたらし団子が売られている。では、みたらし団子、最中、羊羹、饅頭、大福餅と列挙したら和菓子店と言い得るか。そうかもしれないが、デパートの和菓子コーナーの可能性も否定できない。ならばとばかりに、桜餅、三色団子を加え、ついでに老舗の暖簾、店頭での今川焼の実演まで列挙してみる。何が何でも和菓子店にしてしまいたいのか。

しかし、こんなふうにデータをとことん積み重ねたら、事実に語らせることと同じ。早まって虚偽の結論を導いてはいけないが、ここまで慎重に構えて事例を増やして結論したら、現場調査みたいなもので、机上での推論の技がまったく活用されないことになる。情報不足にも問題はあるが、かと言って、情報過剰でものを考えるのはつまらない。

全英女子オープン優勝の条件の選び方にそもそも問題がある。プレイ中のもぐもぐよりも練習の度合や技術のほうが重要だ。商品ばかり並べたてるのではなく、和菓子屋の最たる特徴を他に探すべきである。かつて松下幸之助の成功要件として「貧乏な家に生まれ、病弱で、学歴がなかった」を挙げた人がいた。才覚や人付き合いを差し置いたのは、逆境から這い上がる人生の劇画的美化を求めたからだろう。成功美談は早まった一般化の産物と相場が決まっている。

T O M A T O

南米アンデスに由来するトマトがヨーロッパに伝えられたのは16世紀。意外にも歴史が浅い。しかも、当初は観賞されるだけの植物に過ぎなかった。広く食用として受け入れられたのは、さらに下って18世紀のこと。日本でトマトの栽培が始まったのが19世紀なので、さほど時間差はない。トマトは洋の東西で比較的新しい食材なのである。

栄養価もあり重宝されている。ところが、テレビで取り上げられたりすると、翌日から敏な消費者が大量に買い出しに出掛ける。普段から料理に使っているのだから、煽られるには及ばないのに……。熱しやすく冷めやすい国民がトマトをサプリメントのように扱う。こういう偏りはいただけない。

食べる側の正しい食事のありようは、「いろんな食材を、なるべく旬に応じてバランスよく食べる」ことに尽きると思う。普段から少しずつ料理に用いたり食べたりしていたらいいわけで、大量買い付けは滑稽である。トマトは加工しやすく、加工しても栄養価に問題がないので、缶詰ならいつでも手に入る。


酒は穏やかに嗜む程度だが、ここ20年ほどワインを飲むようになった。日本料理店が近場から消えたこと、付き合いなどでも洋食傾向が強まってきたことと無関係ではなさそうだ。いいワインも安価に手に入るようになり、肉料理のパートナーとして出番が増えた。

トマトが肉食と特に相性がよいことをフィレンツェで知った。とりわけ、牛の第二胃のトリッパ(ハチノス)や第四胃のランプレドット(アカセン)などの内臓が合う。内臓をトマトソース、塩・コショウ、ニンニクでコトコト煮込めばかなりやわらかくなる。現地では、そのまま食べるかパニーニにはさむ。年に数回自分でも調理するが、トマトソース煮込みの内臓料理は赤ワインを手招きする。

トマトがヨーロッパに伝わってから一般化するまでに、様々なレシピの試行錯誤があったに違いない。ラテン系の人たちは、やがてトマトが肉ともっともよく合い、こうして作られた料理が赤ワインに合うことを体験していった。サラダで食べるトマトもいいが、火にかけて肉と絡ませてこそのトマトである。

あちらではトマト以外に目ぼしい野菜をふんだんに使うわけではない。パスタで使う具材も決して多くない。トマトがあれば、食材が少なくてもバランスを取ることができる。トマトソースに溶け込んだ香味野菜と肉片。それとパンだけでうまい料理が仕上がる。トマトがうまみを演出しているのである。『おししさの科学』という本によれば、トマトが昆布や鰹節のような役割を果たしているらしい。この夏、調味料も兼ねた優秀な食材に大変お世話になった。

体感についての雑感

こっちはさほど暑さを感じていないのに、挨拶かわりの「暑いですね」が耳に入ると体感温度が上がる。余計なことを言わないでほしい。温度計が示す数字とは異なる体感温度がことばやイメージによって上下する。

星を見る目から涼しくなってくる

センスのいいシュールリアリズムな句。小四男児の作品であることに驚く(『小学生の俳句歳時記』)。

窓際の温度計を見て大きくため息をつく。肌はどう反応するのか。窓を開けてみた。尋常ならぬ熱風が瞬時に入ってきた。急いで窓を閉める。家族連れがつらそうにアスファルトの舗道を歩いている。他人事ではない。まもなく出掛けなければならないのだ。


灼熱の外気から逃れて地下街に潜れば一瞬ほっとするが、ほとんど通行人がいない。人気ひとけがないと通路は長く見える。まるで無限通路のよう。潜った手前、地上に出なければならない。不幸なことにエスカレーターもエレベーターもない。心理的な無限階段が立ちはだかるが、回避するすべはない。

変幻自在に形を変えて流れて行く雲。空の青も刻々と移ろう。空と雲が提供してくれる題材はおびただしい。しかし、夏場のメンタリティは鈍感である。一篇の詩を編むのが億劫。それどころが、ことばにする軽やかさが欠けている。小四男児の感性がうらやましい。

身体を少し反らせて空を見る。低い雲あり、高い雲あり。陽射し強く、熱を帯びた風が暑さを増幅する。リアルな視覚を封じ込めて、緑の涼を精一杯イメージしてみる。ふとことばが紡がれたような気がしたが、雲のように散り、風のように止んで消えた。忘れられたことば? いや、気づきも覚えもしていないことを忘れることはできない。

二〇一九年八月、プチ随想

「予約の取れない人気店」と噂され、自らもそう名乗る店がある。しかし、ほんとうにどこの誰も予約が取れないのなら、客は存在しないことになり、人気店どころか、店じまいに追い込まれる。予約が取れない人気店は、人気店なのだから予約ができている客で賑わっているわけだ。つまり、予約が取れない人気店とは、「予約の取れる店」と言い換えることができる。

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「人は知っていることしかわからない」とまことしやかに呟かれる。たしかに、知っていることはわかる。しかし、その「知っていること」はいったいいつどのように仕入れたのか? わからない状態で、ある時知ったのに違いない。「人はわからなかったことを知ることができる」と言うほうが本筋である。

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年配から無知な人間がすべて姿を消したら、「無知は若さの証明である」という主張に与してもいい。

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気候風土の影響をもっとも強く受けるのは「食」である。人は環境適応するために環境から様々な情報を得る。かつては食材に関する情報が人の最大関心事であった。われわれの祖先は食を中心に生活環境を整えていった。肉が好きだから肉を食べたのではないし、米が好きだから米を食べたのではない。肉が手に入りやすい環境、米が育つ環境に適応したにすぎない。

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手抜きとは「素材→○→○→完成」のこと。〇の数を増やさないのがポイント。手数をかけないという意味だ。以前パテを作ったことがあるが、うまくいかなかった。下手に作るよりもフランス産の缶詰を使うほうが手っ取り早い。もっともパテをパンに乗せるだけでは芸がないから、一つだけ独自に工夫してみる。そこが手料理のよいところである。

切手の話

1963年の鳥シリーズから記念切手を買うようになった。当時、切手蒐集はブームだったように思う。中学生の頃である。この頃から発行枚数が大幅に増えたので、これ以降の記念切手にほとんど投機的価値はない。値上がりに淡い期待がなかったわけではないが、一枚10円のものが将来値上がりしてもたかが知れていると、子ども心にもわかっていた。

投機的なコレクションではないのに、その頃から大学生になるまで記念切手をもれなく買っていた。さしたる意味はなく、小遣いの範囲でずっと続けていたので、惰性的な蒐集だったと言うほかない。いったん蒐集は切れたが、十数年前に「80円の普通切手を買うくらいなら、記念切手のほうがよほどましだ」と考えて、シート単位で買い始めた。シリーズものだったので、郵便局が発行のつどオフィスに届けてくれた。

手元に各種額面の何十、何百枚もの記念切手シートがある。「日本の世界遺産」「20世紀デザイン切手」などのシリーズもの。封書や小荷物の郵送用にシートをばらして使ったこともあるが、大半が未使用のままシートホルダーに収まっている。最近は切手に出番が少なくなったものの、社用もあるし、私用でもたまに使う。原価割れでもいいから売りさばいてもいいのだが、買ったものは使えるだけ使ってみようと思う今日この頃。


来たる10月から郵便料金が変わる。定形郵便が82円から84円に、通常はがきが62円から63円に値上がりする。消費税アップ相当分である。オフィスでは値上がりして額面が変わるたびに新しい切手を買っていた。そうか、私用ではさばけないが、手元に大量にある80円の記念切手を社用で使えばいいと、遅まきながら気づいた。ところが、80円切手に一枚足して84円にはできない。4円の普通切手が売られていないのである。

不足分の4円を作るには次のオプションがある。
1円の前島密4枚。
2円のエゾユキウサギ2枚。
2円のエゾユキウサギ1枚と1円の前島密2枚。
3円のシマリス1枚と1円の前島密1枚。

80円から82円に変わった時から、便利なはずの2円を避けていた。エゾユキウサギの絵が気持悪いのだ。あんな図柄を使うくらいなら、白地に「2円」と大きく書いてもらうほうがよほど使いやすい。と言うわけで、エゾユキウサギとの組み合わせはなし。残るは前島密4枚か、シマリスと前島密各1枚か。

想像してみよう。平等院の鳳凰堂中堂の絵柄の80円切手の横に4枚の前島密である。異様であり、切手ばかりが目立つ封書になる。陸上女子800メートルの人見絹枝の横にシマリスと前島密が並ぶ。そのこころはと聞かれても口を閉ざすしかない。どんなに宛名をきれいに書いても、貼った切手の組み合わせのセンスが問われる。

いつまで続くのか、切手84円時代。普通切手は来週から発売され、記念切手が次から次へと発行される予定。日本郵便には、過去に発行した80円と82円の記念切手の面倒を見てもらわねばならない。手持ち切手に1枚だけ足せば済むように、エゾユキウサギに代わるセンスのいい2円切手と垢抜けした4円切手の発行を切望する。

1977年~1980年

一年前にほとんどの蔵書をオフィスに移した。自宅にはまだ500冊くらい古い本があるが、大半は処分する予定。一昨日、書道や美術関係の希少本をセレクトしてオフィスに運び込んだ。希少本ではないが、納戸の奥から懐かしい本やノートが見つかる。二十代中頃に読んだ本や雑文を綴ったノート。

1977年~1980年は本を買いあさりよく読んだ時期にあたる。どの程度読んだかと言うと、ほぼ一日一冊のペース。通勤に往復約2時間半かかっていたし、この頃の一年ほど無職だったこともあり、時間がたっぷりあった。197710月の読書記録には次のような書名が並んでいる。

江戸幕府、堕落論、好色五人女、ことばへの旅Ⅰ、勝負、信長と秀吉、毎日の言葉、氷川清話、山月記、李陵・弟子・名人伝、アメリカひじき・火垂るの墓、日本の伝説、新西洋事情、メディアの周辺、人間へのはるかな旅、ピンチランナー調書、考える技術・書く技術、暮らしの思想、続・暮らしの思想、日本の禅語録、海舟全集全6巻……


もっとも懐かしかったのが、今東光の『極道辻説法』と『続 極道辻説法』である。前者が1977年の第四版、後者が同年の第二版。ちなみに、今東光が没したのが同年の9月。どんな縁で手にしたのかわからないが、結構おもしろがって読んだのを覚えている。

巻頭に今東光の人物評が載っている。「八面六臂」と題した柴田錬三郎の手書きの小文がそれ。この一文と目次にざっと目を通せば、40年以上経っているにもかかわらず、かなり鮮やかに記憶が甦る。愉快なコンテンツや文章はよく覚えているものだ。

『極道辻説法』とその続編は、週刊プレイボーイに連載されていた人生相談コーナーの文章をまとめて出版した本である。放送なら禁止になりそうな用語がぎりぎり活字になっている。読者のアホらしくて卑猥な悩みごとを、和尚がこれまた毒舌的かつ過激に回答するという趣向。くだらないと言えばくだらないが、希少と言えば希少でもある。オフィスの書棚の片隅にキープすることにした。

グリーンを通して感じる移り変わり

四時しいじ」と言えば、一般的には春夏秋冬の四季のこと。四季という用語は一年にしか使えないが、四時なら一日の分節にも使える。すなわち、一日のうちの朝・昼・夕・夜をそう呼ぶことができる。

ついでながら、一ヵ月の中にも四時があることをつい最近知った。かいさくげんぼうがそれ。月が出ていない暗い日が晦。朔は新月のこと。弓を張ったような月が弦。望は望月もちづきのことで、満月の別称。これらは月の満ち欠けの姿かたちを現わしている。

四時は文字にして書けばそれぞれが分断されたように見えるが、実は切れ目なく緩やかに流れている。頭で捉えようとするかぎり、緩やかな流れを日々刻々と感じるのは容易ではない。


捲るのを失念していて、オフィスのカレンダーは今日87日まで7月のままだった。明日が立秋の始まりだと言っても、感覚は秋とはほど遠いし、外気の温度や天候は天気予報任せ。これほど暑い日が続けば室内で冷房漬けになり、身体は季節の節目に戸惑う。

ここ数年のうちに、オフィスのグリーンが大小様々およそ30鉢になった。生育させるのにかなりの手間暇がかかる。グリーンに水をやり霧吹きを使い、時折り軽く剪定したり新しい鉢に植え替えたりしていると、季節の移り変わりに気づかされることがある。頭のデジタル知覚としてではなく、体感的な――あるいは触覚的な――アナログ的変化が、朝夕の時間差のうちに確認できることもある。

都会に暮らすということは、こういうことなのだろう。自力では知識や情報に頼るばかり。他力的な手助けなくしては季節の移り変わりが感知できない。感度が極端に鈍らずに済んでいるのは、グリーンの成長具合や日々の様子のお陰なのである。手間暇の恩返しだと思う。

和菓子を人為淘汰した人たち

近くの小さなモールの地階にたまに行く。肉・野菜・惣菜などが売られているが、エントランス近くにはパン屋、洋菓子店、和菓子屋が並ぶ。人の賑わいもほぼこの順。

パン屋と和菓子屋を見て、二年前の道徳教科書の話を思い出した。パン屋という題材が和菓子に変えられた検定意見の一件である。「にちようびのさんぽみち」という文章の一節。

よいにおいがしてくるパンやさん。
「あっ、けんたさん。」
「あれ、たけおさん。」
パンやさんは、おなじ一ねんせいのおともだちのいえでした。おいしそうなパンをかって、おみやげです。

これが具合が悪い、いや、不適切だと意見したのである。学習指導要領の「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして不適切だと言うのである。不適切なのは、パンのよい匂いなのか、友達の家がパン屋を営んでいることか、それとも、パンをお土産に買ったことか。よくわからないが、伝統と文化を尊重していない、国や郷土を愛する態度が足りないと判断された。


次のように修正された。いや、修正ではない。一から書き下ろされた。

あまいににおいのするおかしやさん。
「うわあ、いろんないろやかたちのおかしがあるね。きれいだな。」
「これは、にほんのおかしで、わがしというんだよ。あきになると、かきやくりのわがしをつくっているよ。」
おみせのおにいさんがおしえてくれました。おいしそうなくりのおまんじゅうをかって、だいまんぞく。

当時様々な批判があったが、道徳という概念のことはどうでもいい。人気や売上高もさておき、実際に店の前を通りかかれば、二つの店が並んで日常光景を描き出している。店を覗けば、和菓子はそこでは作られておらず販売員がいるだけ、パンは焼きたてが売られている。

パンとパン屋、和菓子と和菓子屋に何の非もない。二律背反的対立などさせてはいけない。和菓子がこの国の伝統と文化的存在であるのなら、パンも明治初頭から数えて150年だから堂々たる伝統と文化的存在である。国や郷土を愛しながら、朝にパンを頬張り、おやつの時間に和菓子をつまむことができる。もちろん、洋菓子であっても何の不都合もない。

日曜日のぼくの散歩道の日常的光景として、ふさわしいのはパン屋である。しかし、和菓子屋が目立つ街もあるだろうから、特にこだわらない。つまり、パン屋と和菓子屋のどちらを教科書の題材として人為淘汰するかという話ではない。日曜日の散歩道に両店を発見して匂いを嗅ぐ体験こそが現実的な道徳らしい考え方なのである。

〈暑〉を生きる

暑中お見舞い申し上げます

今年の夏も義理堅いあの人から一葉が届いた。団扇のイラストから「暑ぅ~」という吹き出しのルーティーン。余計なことしなくてもいいのに。

いつも長蛇の列が並ぶラーメン店。さすがに炎天下では列にならないが、それでも数人が待つ。命がけのラーメンランチ、もしものことがあっても保険適用外。

オフィスのエントランス。ほぼ毎朝、掃除のおばさんと顔を合わす。「おはようございます。お疲れさまです」と声を掛けると、先月から返事は決まって「暑いですねぇ」。よく通るこの声で体感温度が2℃上がる。おそらく九月中旬まで繰り返されるはずである。

極暑、炎暑、大暑、酷暑、猛暑、激暑、厳暑……。爆暑や乱暑や倒暑が辞書の見出し語に加わるのは時間の問題だと思われる。

これだけ暑を並べてみると、「日+者」という文字の組み合わせが異形に見えてくる。以前調べたことがある。冠の「日」が太陽の光であることはわかる。そこになぜ者がつくのか。ある本には「煮の原字は者だった」と書かれていた。別の本には「者とは一ヵ所に集めること」とあった。併せると「太陽の光を一ヵ所に集めて煮る」。おぞましい。

一週間先は立秋なのに、真夏は始まったばかり。この先、未来永劫、暦と現実が一致することはないだろう。二十四節気に感じ入る風流な精神で過酷な身体的試練を克服するしかない。金田一春彦の『ことばの歳時記』に「立秋のころ」という一文がある。

ある風流人のところに、暑さの中を訪れた客が、茶室に通され、汗をぬぐいながら、ふと床の間の掛け字に目をやると「夕有風立秋」と書いてある。「良い句ですな。夕方ごろ吹く風に秋の気配を感じる、というのは今ごろにピタリですよ」と、お世辞半分にほめると、主人は微笑して、「いやあ、これはユーアルフーリッシュと読んで、おバカさんね、ということなんです」と答えた。

誰もが立秋までにフーリッシュになりそうな暑さである。「狂暑」と呼ぶことにする。