食事と薀蓄の密な関係

知人がブログで鰻に関する薀蓄を傾けていた。興味津々、文章を追ってみた。

「鰻は腹より尻尾が美味しい。そこで、うな重は左手前に鰻の腹、右奥に鰻の尻尾が来るように配膳する。そして左手前つまり腹から食べ始めて、最後に右奥つまり尻尾を食べるのが流儀だそうだ」と料理専門家の話を紹介する。

なるほど。しかし、そんなに尻尾が旨いなら、尻尾ばかり四切れほど乗せてあげるのが最上の顧客満足なのではないか。あまり上等な鰻を食べないので、尻尾は少し堅いというイメージがある。だからぼくなら尻尾は遠慮する。

紹介された話にケチをつけているのではない。鰻という食材はご飯との相性によって成り立っていると思う。「鰻巻うまき」というタマゴとのコラボレーション料理や、キュウリという意外な仲間と組む「うざく」や「細巻きのうな胡」というのもあるが、ウナギサラダやウナギ五目ラーメンなどにお目にかかったことはない。鰻を無理やりに使ったヌーベルの冒険レシピがないこともないが、たいていは失敗作だ。

要するに、うな丼であれうな重であれ、せいぜいお吸い物と漬物がつくだけで、ひたすら鰻とご飯を食すことを強いられる。しかも、値が張るわりにはあっという間に食べ終わる。遠目に見たら、チープな牛丼を食っているように見間違うかもしれない。

だからこそ、鰻は薀蓄を必要とする。背開きだの腹開きだの、やれ国産はこうだ、山椒はこう振れ、腹から始めて尻尾で終われ……となるのである。主役はもちろん鰻だが、共演して主役を引き立てるのが薀蓄だ。そう言えば、鰻のタレを自慢する店主が多いが、あのタレの主成分も「昭和初期からのつぎ足し」という薀蓄ではないか。


一週間前、敬愛するM先生とA先生、それにM先生の子息ご夫婦と、はも会席をいただく機会があった。M家とはよく会っているが、A先生にお会いするのはかれこれ五年ぶりである。二十年前に知り合って以来、まったく変わっていないのに驚いた。おそらく何か妙薬を使っておられるに違いない。

鱧のしゃぶしゃぶのほか、鱧づくしの小皿料理、ふぐのてっさなど色とりどりの味を堪能した。招待を受けていたので、さらに旨さが増したような気がする。一品目は三種盛り。「ハモと茄子のハーモニーです」と店の人。ダジャレでありイマイチの芸だが、ツッコミは入れずに口に入れた。鱧は淡白である。だから梅や酢味噌のほか、少し濃いめのタレや紅葉おろしやネギと合わせる。

この席でも薀蓄が名脇役、いや、先の鰻の話とは違って、こちらは「会席の薀蓄一番鱧二番」という風情で、薀蓄が堂々の主役を担った。昔の小さなエピソードから仕事観へ、遊びの話からジョークへと縦横無尽の談論風発にあっという間の2時間半。この夜にかぎって、鱧は地味な存在であった。

ことばが次なることばを呼び起こし、イメージが貪欲に広がる。ああ言えばこう言う、さわやかな負けず嫌い。笑いのフォンの大きさを競って記憶をまさぐり、あの手この手の話題を捻り出す。嫌味な自慢話の吹聴になるか、それともサービス精神に満ちた薀蓄の披露になるかは紙一重。そのギリギリの綱渡りが楽しい。非生産性的な生真面目に出番はない。食のシーンでは、愉快精神が「どうだ!」とばかりに旺盛な生産性を発揮してくれるのだ。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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