健全なる精神は健全なる肉体に宿る

おなじみの「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」。これは、“Anima Sana In Corpore Sano.”というラテン語を訳したものだ。ちなみに、それぞれの頭文字をつなげると、シューズで有名なスポーツメーカーの社名になる。

もう15 年以上前の話。アメリカの国際弁護士事務所が日本オフィス開設にあたって、東京と大阪でパーティーを催した。領事館員や諸外国のビジネスマン、日本の実業家らが集う大阪会場に招かれた。事務所代表のユダヤ系アメリカ人G氏がぼくへ歩み寄り、数年前から日本に滞在している息子A君のことを尋ねてきた。

「息子は、頑張って仕事をしていますか?」
「ええ、とても。ただ、トライアスロンほどではないですが(笑)……」とぼく。

もちろんジョークである。欧米人主催のパーティーでは、会話相手に一度や二度は笑いの場面を作らねばならない。質よりもスピードがものを言う。A君の父G氏も切り返しは速い。

「予想通りですな(笑)。しかし、健全なる精神は健全なる肉体に宿る、と言いますからね」と暗に息子を援護した。

この時の諺が、なんと冒頭のラテン語での引用だったのだ。ふつうは分からない。しかし、ぼくは悪運が強い。当時から勉強していたイタリア語では“Mente Sana In Corpo Sano.”なので、その類似性から意味がわかったのである。そこで、さらに切り返した。

「できることなら、『健全なる肉体が健全なる精神に宿る』であってほしいですがね(笑)」

芸は身を助ける。こんな場面はめったにないが、外国語とディベートを学んでおいてよかったと思う瞬間である。


その後、G氏が居を構えた東京麻布の広いコンドミニアムにも招待された。A君には六本木に連れていってもらい、夜遅くまで飲み語り合った。

A君はぼくの会社に約3年間勤めてくれた。頭の回転がいい父親に比べればおっとりタイプ。たぶん潜在的には能力が高かったと思うが、知的であることよりもマッチョであることに「逃げていた」かもしれない。カラオケでは自称十八番の『和歌山ブルース』をよく歌った。彼が歌うたび、耳鳴りと苦笑に耐えながら、みんなで拍手喝采をしてあげたのを覚えている。

この諺、洋の東西を問わず、あまりオツムのよろしくない肉体派スポーツマンを美化するために用いられるようである。人間のメカニズムは、良質の野菜が良質の土壌で育つようにはいかないだろう。精神と肉体の相関関係を否定する気はない。しかし、野菜に比べれば相関関係はだいぶ薄い。

それにつけても、つくづく教養と思考スピードは武器だと思う。加えて、ユーモアと自己正当化も対話の必需品である。もしかすると、「健全なる……」は、奥手な息子に大器晩成の夢を託したある父親がこしらえた「苦肉の金言」だったかもしれない。

諺や金言は自分の都合であり自己正当化であるものが多い。トラ、特に子どものトラを希少だと考えた者が、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」を編み出した。「餅は餅屋」と言い出したのは間違いなく餅屋であって、饅頭屋ではない。「酒は百薬の長」の作者? もうお分かりだろう、大酒飲みに決まっている。 

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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